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中戸山 西光院 常敬寺のあゆみ【11】

当山常敬寺の歴史をまとめています。
(タグ: #常敬寺のあゆみ

●お西からお東へ転派する
 延宝七年(1679)の正月六日(旧暦)、第十五世照惠の時代にお西(本願寺派)からお東(大谷派)へと転派し、現在に至ります。
 高田城下におけるお西の触頭寺院を務めていた常敬寺は、お東になってからも、お西時代の寺格「院家」(いんげ)を許可される等の処遇を受け、頸南、東頸等、頸城郡を中心に教線を広げ、本誓寺や浄興寺と共に「高田三ヶ寺」と称されました。

※……『院家一宗得度之栞』(大谷大学所蔵)では、「延宝七年十月七日 越後高田 中戸山常敬寺 帰参院家」とある。

◎……当山のご門徒さまの中には「お寺と一緒に来た」との家伝がある方々もいらっしゃいます。(新潟県妙高市小出雲 等)
 また 『上越市史 別編3 寺社史料一』 には、灰塚の佐藤姓(元 当山塔頭 明善寺さまの檀家)の家々は、「佐藤氏は関宿からきたのだと伝えている」(141p)とあり、高田藩周辺には、思っている以上に常敬寺の中戸山一門に随伴し、旅を共にしてくれた方々がいるのかもしれません。
 堂宇が焼き払われ、寺地も失うという一大事件でしたから、その疎開集団は想像以上に大規模であった可能性もあります。

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