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中戸山 西光院 常敬寺のあゆみ【8】

当山常敬寺の歴史をまとめています。
(タグ: #常敬寺のあゆみ

●下総国から信濃国へ 
 唯善上人(当山開基)と覚惠上人(本願寺覚如上人の父)が異父兄弟という縁もあり、常敬寺・本願寺両寺の結びつきは深く、本願寺顕如上人(1543~1592)は了照を上山させ、自ら指導しました。
 そして顕如上人の後援を受け、天正四年(1576)了照は常敬寺を兵乱を避けて信濃国の山田郷平塩(ひらしお、現在の長野県高山村)に再建(さいこん)し、中戸家の当主、常敬寺第十二世住職となりました。
 下総国内の常敬寺末寺も中戸から信濃国に移り、共に新しく堂宇を構えました。
 平塩時代、常敬寺は石山合戦の際に兵糧米二〇俵を送る等、本願寺を直接的に支援したことが天正五年(一五七七)付けの記録からうかがい知れます

※……長野県須坂市「勝善寺」に伝わる礼状。
◎……●「兵糧米二十俵」というと、お寺の由緒からみて少なく感じるかもしれない。しかし再建したばかりで、諸々準備も整っていなかったであろうことを鑑みると、再建への協力に対する、当時出来得る限りの、最大限の感謝を示した数値と思われる。

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