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【注意喚起】『月刊ムー』(ワン・パブリッシング社)2024年9月号における「唯善の悪霊視」について


副住職の唯真です。

オカルト・サブカルを中心とした月刊雑誌、『ムー』
の今月号(2024年9月号/No.526)に当山や
御先祖唯善に関する記事があり、(『裏拍手の呪術』79p.)、
私たちに関することなので情報をお伝えさせて
頂きたく記事をまとめさせて頂きます。
(2024年8月12日、資料とお手紙を編集部まで郵送済)

まず、紙面で取り上げられている野田の常敬寺は、
戦国期、当山が焼かれた跡地に報恩寺が自身の末寺
「福専寺」を建て、それが江戸時代に、
当山と同名のお寺に西本願寺の命で変更されたもの
であり、唯善や当山との関係はまったくありません。

当山は戦乱から疎開し、信濃~越後へと
移動しました。

【跡地研究の詳細は↓の記事に】(お寺ブログ):
https://saikoinjyokyoji.livedoor.blog/archives/20039072.html

それを踏まえて、『ムー』の記事に関し、
唯善の寺院、唯善の子孫(私、唯真は唯善から
みて第28代目にあたります)として、
”誤った”情報につきまして訂正、そして注意喚起
をさせて頂きたく存じます。

野田常敬寺の坐像に関して記事を書かれた
ライターの吉田悠軌氏(ちなみに私は氏の前
からのファンでして、
「とうもろこしの会」podcastも聴いて
おります。それもあり、ショックでした)

「これは作者唯善が寺の跡取り争いに敗れ
破門された恨みを込め、
後から両手をすげ替えたものという」
(79p.)

とありますが、繰り返しますが
こちらの坐像を所蔵しているお寺さまは、
唯善とは関係がないものです。

(坐像に関しては常盤御前の念持仏、
守り本尊という説明がされているとは
思いますが、調べたところ手は後代の
補修で、これは江戸期に福専寺から常敬寺
に変える時、ムーで語られる「唯善の由緒」
【私は原文を確認していないので分かりません
が、そういったものがあるとすれば】を加えて、
唯善のお寺という体裁を整えるために、
創作された縁起が付与されたものと思います)

強くお伝えしたいのは、
当山には「唯善が怨んだ」等の記録はありません。

そして、唯善が対立していた本願寺にもありません。

そもそも、唯善上人は天皇からの庇護を賜り、
鎌倉将軍家から土地の寄進・伽藍の造営をして
頂き、ある種、真宗の当時の一宗派とも呼べる
規模を築きましたので、本願寺を「恨む」必要
がありません。
(持っていたとして、負の感情としては、
「悔しい」とか、そういう類だと考えます)

私が、こうした月刊ムーの(サブカル的)記事に
なぜ反応するかというと、

先祖唯善に「恨みを持った呪いのキャラクター」
という属性を付与される恐れ、

そうした土壌が生まれる・育まれる可能性が
あり(ロアー化)、
それは子孫として遺憾であり、
早い段階でしっかりと私たちが指摘する
必要があると思うからです。

記事では唯善の話題のあと、

(こうした”逆手”は)「死に繋がる呪い〜…」

でもあると続き、ある種の「誘導」が
されていると見受けられると思います。

僕自身、エンタメとしての
ネットロア、オカルト愛好家であり、
(男の子はUFOとか好きですね!!)
であるからこそ今回の記事にも
気づけたのですが、

そういう訳でして、内情といいますか、
都市伝説化の過程を知っているし、
肌身に感じていることなのですが、

「心霊スポットは根も葉もない、
単なる噂から生まれる」

ことがとても多いのです。

そのようなケースは、
たとえばYouTuber「THEつぶろ」氏の
オカルト調査隊チャンネルでも
細かく調べられており、
視聴されるとよく分かると思います。

御先祖が、もし呪いのキャラにでも
なったら本当につらいです……。

『ムー』という雑誌は、そうした趣味の方
から幅広く支持をされ、またなにより
影響力を持っています。

そうした雑誌の紙面で、
まるで私の御先祖の唯善上人を
呪いの術を使った「悪霊」や「怨霊」の
ように語る(騙る)のは、やめてください。

悲しいですし、迷惑です。

オカルトはあくまでエンタメであり、
楽しい(ポジティブ)ものであると
私は考えています。

オカルト(=よく分からないモノ、の意)
は、
「不思議なコトが世の中にはあるのかも!」
と夢想し、
ドキドキワクワクして楽しむもので、
誰かをあからさまに傷つけるものではない
と思っております。

合掌

#ムー #ムー民 #お寺 #常敬寺 #浄土真宗 #真宗 #ブログ

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