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カルマは存在するのか

カルマはいわゆる因果応報、自分のしたことが自分に返ってくることを指しているとイメージしている人が多いと思います。
過去世、前世にしたことが今生にやり直しとして経験する といった思想もあるので、そういう意味でも「カルマ」というのはストーリー的には面白いですよね。

インド占星術では、カルマを「行為」として定義しています。輪廻転生の考え方もあります。
出生チャートは人生の航海図になっていることは間違いないですが、その航海図に沿って生きているとしたら、過去の行為の是非はあってもなくても変わらないと言えないだろうか。

ある行為が起こることに因果、今ここにいることに特定の理由はあるのかということですよね。

意味や理由があった方が救われるように思えるし、その方が人生ストーリーに彩りが加えられるとも思います。
人は自分に都合の良いストーリーが欲しいだけで、意味のないことがイヤなのだと思います。
逆に言えば、人生に意味が必要なのでしょうか?
意味が大事だから、人生に華やかな色どりを望むから、絶望は瞬間的にワンセットとなってきます。何かの有無によって変わるのは思考によって因果を作っているからにすぎません。


インド占星術が取り入れているカルマ、運命論に関してですが、7~8割は運命であり、3~2割は自由意思であるとされています。インドという修行大国?では、カルマという行いによって運命が変わるという考え方は理にかなっているかと思います。
しかし、それにもかかわらず運命論は7~8割なんですよね。
(運命が決まっているとするなら、修行は果たして必要なのか、個人的には疑問でもあります。)

どうにもならないことをどうにかしようとするのが自由意思の部分なのかと思いますが、そこはそのように思考が働くことも意思ではなく自然の流れ、運命なのではないだろうか。


前世は私はないと思っています。
なぜなら事実として認識できないし、しかも時間は存在しないので過去は本当はないからです。

あるとすれば、誰かの生きたDNAデータが空《くう》に存在するだけ。
近い空にある者、モノが似たようなデータを体に搭載しているだけ。あたかもそれがあまりに共鳴するから、自分の前世かのように感じるのではないでしょうか。


現実的に考えると、親子の遺伝は確実にあると思います。体を共有していたのだから当然のことかと思います。先祖から何かしらの「データ」が引き継がれています。
遺伝は性格、体格や才能だけではなく、離婚や自害などもあるようには思います。カルマを採用した考え方では、このデータが「カルマ」という別タイトルとなっているわけです。


ただ、私個人が体験し至ったことからすれば、思考が及ぶもの、名前がつけられたものはすべてストーリーです。時間もストーリーです。
動物の世界を想像してみてください。
動物は輪廻転生やカルマを気にして生きているのでしょうか。きっとNOです。親子や家族の単位すら、あまりこだわりなく生きていると思うのです。
仮にカルマがあったとしても、動物は自然の流れに乗って生きているだけ。
人間も本来、それと何ら変わりはありません。

カルマというとどうもネガティブな感じがするのですが、本当は「~でなければならない」は何もありません。
過去の行いだから受け入れなければならない こともありません。

私たちはただ生きているだけ。

ただカルマを=行為 とする時、カルマだけがある とも言えますけども。

カルマに因果関係を持たせるとき、分離の世界に一直線です。
何がどうなったからあなたはここにいるわけではなく、ただ自然とここにいるだけです。

過去のあの時、あの選択をしたからここにいる。
それは正解なのか不正解なのか。
それらの答えは出ますか?
答えがわかると言っても、それは頭の中の想像にすぎず、本当のところ「わからない」はずです。

こうなっていることは生まれた時から決まっている。そうでなければ出生チャートは全ハズレするはず。

出生チャートと、悟りと言われることからすると、何かしてもしなくてもなるようになる。としか言いようがありません。。

ひとつの答えがあるならば、「どうでもよい」のです。
希望が全部崩れ落ちた時に、すべてが明確になり余計な思考から解放されます。
とはいえその後、思考がなくなることはありえません。
思考は勝手に湧くものなので誰にも止められませんが、とても良い意味でどうでもよくなるだけです。

カルマを信じていてもいなくても、目的地は同じです。
ただ思考は余計な荷物になるものではありますね。


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