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【異世界モンスターパニックホラー】異世界ディベロッパーズ!前日譚[Escape_from_Mariera] ~日本語ver~

※前日譚は異世界モンスターパニックホラーですが、本編は異世界ハイパーバトルアクションコメディです※
※この作品は未添削※

2021/8/8
著NMY

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前日譚 Escape_from_Mariera01
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 規則正しく碁盤状に立ち並ぶ高層ビル群。灰色に輝き連なるガラス窓。目下に張り巡らされた三車線道路には、アリの軍団のような車列が連なっていた。
 そこらじゅうで音色の異なるクラクションが鳴り響く様は、非日常的な異常事態であることを誰の耳にも想像させる。

 無数の警笛によるデタラメなコンサートの喧騒は、二百メートル近くある四十階建ての高級アパート内ではちっとも聞こえない。

 三十六階の一室。外が一望できるガラス壁が横一面に並んでおり、日の光が差し込む室内は非常に明るい。清涼感のあるシンプルな色合いの空間だった。
 素足の感触が気持ち良いふわふわカーペット。淡い若葉色をした長いL字ソファー。中央には真っ白いテーブル。壁に張り付いた横長デジタル時計が十三時半を示している。

 テーブルには口紅の付いたコーヒーカップと共に、マニキュアとコスメグッズ。ケアクリームと角用ヤスリ。化粧落としのティッシュ。目薬。髪留め輪ゴムとカチューシャ。周りがLEDで輝く楕円の鏡。持ち出し用のラップトップ(ノートパソコン)。そして幾つかのファッション雑誌と、無料配布の新聞束。これら近辺は、化粧品特有の落ち着く香りがした。

 新聞記事には大きな見出しがあり、それのどれもが同じ内容について記載されている。

『マリエラ都市にディゾルブ襲来間近!』
『軍隊歯が立たず? 全滅?』
『ディゾルブ脅威の生態、魔法を無効化』
『予測不能! 突如発生するディゾルブの謎に迫る!』

 ソファーの向かいにある薄側ワイドテレビは、いつもの番組を中断して特報を繰り返していた。異様に長い両耳をピンと立てた褐色肌のニュースキャスターは、知的な赤い眼鏡越しにカメラ目線で言う。

「JIR(共同国際報道)より緊急速報です。マリエラ都市南西の隆起地帯に大規模な魔力障害を観測してから十九時間が立ちました。これを受けて市長は、マリエラ都市の住民に対し、緊急避難宣言を発表しました。マリエラ都市に御住みの方々は、速やかに安全な場所への避難を――」

 ピッ。とリモコンでテレビを消したのは、濃藍(こいあい)色に金の星が散らばるネイルアートの施された細長い指先。

 その綺麗な指の持ち主は、銀色にきらめく長い髪の美しい女性だった。

 頭に生える赤黒い巻き角二本は、まるで漆塗りの彫刻かのように光沢がある。右側には金色に刺繍されたリング。
 腰から伸びるのはコウモリのような赤黒い翼。とんがった耳には数種類のピアスとイヤリング。長いまつ毛と紫色の綺麗な瞳。
 家着用のラフな服装をしているが、女性的なボディラインは隠しきれておらず、さも不本意ながら押し込まれているのだと訴えかけるがごとく、彼女の胸は窮屈そうに服を押し広げて主張しているかのようだった。

 PC机に向かう彼女は八万モニー(モニーとは単価。単純に1モニー1円相当)もの高級ヘッドセットを付けており、リモコンをマウスの隣に置くと、パソコンに向き直って言う。

「困ったわね、皆の言う通り見たい。配信も止めた方がいいかしら……」

 画面に向かう美女はデモロア属シルバラ種の『クレア=ラシル』と言う。

 巨大動画投稿サイト『MOVIE TUNER』のアイドル、略してムーチューバーである。現在の同接数は二十万程だ。

 画面のコメント欄は「配信してる場合じゃねえ!」「速く避難して!」「安全最優先だよ!」等の言葉が溢れると、一瞬で上部へ流れて行く。

「うん。うん。そうね、名残惜しいけど……そうするわ。皆、ありがとう……あら? ちょっと、みんなー?」

 コメントが止まり、確認用の配信画面では中央にクルクル回る円が出ていた。どうやらインターネット回線が止まってしまったようだ。

《嘘でしょ?……ハァ、まったく!》

 PC机にはディスプレイが三台もあり、フルタワー型のパソコンは足元に二台ある。
 普段使い用のワイヤレスなキーボードとマウスとは別に、全て有線式で揃えらえたサブPC。電子ノイズを軽減する抵抗を噛ませたASMR用の立体マイク。歌配信用のそれもある。高フレームレートな映像を配信できる高感度カメラもあった。

 とにかくこのPC机周りには、マニア垂涎(すいぜん)もののハイテク機器が沢山置いてあった。それらを選び、調達したのはクレア自身だが、設置や組立、微細な調整を施したのは彼女の友人である。

 ヘッドセットのマイクを収納し、頭から外したクレアはため息をついた。一面に並ぶガラス壁の向こう側を見ると、長いまつ毛のまぶたを何度か瞬かせる。

 窓の向こうには飛翔能力を有する種族達が忙しく飛び交っていた。

 立ち上がり近づいて眼下を覗くと、道路いっぱいに渋滞する車列が小さく見えた。
 歩道にも沢山の人だかりが出来ていた。これが楽しいパレードだったらどれほど良かったものか。

 彼女は今見える景色と、地上から二百メートル近く離れたこの場にすら伝わってくる非日常的な焦りを伴う空気感を感じた。遮音性の高い室内には聞こえないが、きっと下ではクラクションがやかましく響いているに違いない。それは当たっていた。

《本当に……こんなことになるなんて》

 丁度その時だった。

 ガラス壁は外から中を見ることはできないが、クレアの部屋のガラス壁へ向かう、一人の鳥人属ハーピー種がいた。
 彼女の力強い腕翼は鮮やかで、オレンジ、朱色(しゅいろ)、黄色と白の配色だった。
 頭部には耳を覆う無線ヘッドフォン。肩から下げられた、大きく膨らんでいる業務用の荷物鞄。袖無しのワイシャツとハーフパンツ。脛から下は黄色の厚皮質。その先端にある鉤爪を隠すのは、白地に赤ラインの爪靴(シティシューズ)。

 オレンジ色の腕翼をはためかせてガラス壁に近寄った彼女は、外壁にある『勝手口』に近づいた。道路側にある足場のない飛翔種族用の出入口である。マジックミラーのように外から中は見えないが、来訪客は室内から丸見えだ。

 外壁に仕込まれた魔法のインターホンに念じてアクセスすると、勝手口のチャイムがチンチーンとなった。

 それでいてハーピーは、コンコンと爪靴を被せた鳥足の爪先でノックしたのだ。

 窓の外に知った顔を見つけたクレアは、少しだけ声を上げた。

 そしてハーピーの……というか鳥人全般に対して、少しだけイラッとした。これは毎回だった。本当に少しだけ。障った気持ちはすぐに収まった。それは偏見でもあった。

 ベルを鳴らせばすぐ分かるのに、どうして鳥人達はそのあと必ず靴でノックしなおすのだろう? 前回やんわりと指摘したにも関らず、しばらくするとまたやり始めるのである。それでは勝手口に靴跡がついてしまうじゃないか! いったい何のためのベルだ!

 でも『しょうがない』……他種族の暮らすこのマギエンス(魔法科学)シティ『マリエラ』において、寛容こそが美徳であった。

 種族の違い、文化の違いは必ず起こるし、摩擦や衝突だって『ありまくる』。

「はいはいはい――」

 足早に勝手口側の玄関先へと向かったクレアは重い引き戸を開く。
 眼下に広がるのは地上から二百メートル近くもある断崖絶壁な訳だが、彼女は恐怖をちっとも感じない。

 勝手口側の玄関はメンテナンスフリーなマギエンス施工が施されており、外側から風が吹きつけてこない。ただ開けた瞬間、地上で上がる喧騒とクラクションのパレードがいきなりうるさく聞こえたもので、彼女は大きめの声で喋った。

「あぁどうも。こんにちは郵便屋さん」

 ハーピー種はいつもせかせかしていた。その個性は短所でも長所でもある。逞しい両翼腕をヘッドフォンに近づけると、触れずしてそれが外れて首にかかった。彼女は八重歯が見えるくらいに口を開いて喋る。

「こんにちはクレアさん! 最後の配達に来ました! あなたの配信が途中で止まってしまったので、お渡しできるか心配しましたよ!」

 肩から下げた荷物鞄に光が宿るとパカッと開き、四角い段ボールが飛び出した。フワフワ浮かんだそれは、勝手口のウェルカムマットの上にゆっくり着地する。

「こちらをどうぞ! いつもの定期便です!」

 ハーピーの振舞いはせかせかしているが、仕事熱心な彼女達は愛想が良く、元気ハツラツな様子は見ていて気持ちがいい。
 そのためクレアは彼女が気に入っており、多少の『粗相』(例えばチャイムの後のノックとか)は、できるだけ気にしないように心がけていた。自分だって、他種族に対して思わぬ粗相をしているかもしれないのだから……。

「あらぁ~やだわ。こんな時にも持って来てくれるなんて! ありがとうございます。でも郵便屋さん、まだ配達の仕事があるんですか?」
「いいえ! 今日はクレアさんが最初で最後。あなた以外の受取人は誰もいませんでした! せっかく運んだのに! だから頭にきたので、残った荷物は全部私が貰います!」
「あぁぁははは、まぁ……でも、そうなりますよね。避難宣言だなんて」
「そうそうそうですよクレアさん! なにしてるんですか、こんな時間まで配信だなんて! ムーチューバーの生活スタイルに私が口を出すのもなんですけどっ、でも、早く逃げないと! リスナーの人達も凄い心配してましたよ!」

 ムーチューバーの生活スタイル……と言われたクレアは苦笑しつつも、返す言葉がなかった。同業者の大体は非常識な暮らしをしているからである……しかし、今の時間になってもこの場に残っていたクレアには理由があった。

「それでクレアさん。逃げるなら空路がいいらしいですよ! 同僚から聞いたんです。俯瞰じゃディゾルブが見えないから、もしかしたらメトロを通って来てるんじゃないかって話を!」
「なんですって? 地下からディゾルブが?」
「えぇそうです! でも私もあなたも、翼があるので大丈夫ですね! それでは、今までありがとうございました! これからも応援していますよ! どうか今を生き残って、配信を続けて下さい! 風と太陽の導きが、貴方にありますように!」
「こちらこそ、ありがとうございます。またどこかで会えたらいいですね。その導きを、貴方にも」

 他種族の挨拶にもクレアは配慮を怠らない。その熱心な気配りこそが彼女の人気の秘訣であった。

 クレアに笑顔を向けたハーピーは大きく頷いたのち、その場を去った。

 少し重たい段ボール箱を持って部屋に戻ると、PC机に置いたス魔ートフォンが光っているのを見つけた。
 急いで取り上げ画面ロックを解除した彼女は、安堵と落胆を同時に感じた。着信履歴はほんの数十秒前で、母親からであった。ちなみに部屋を出ることを躊躇させる原因は、未だに電話を返してこない。

 ネイルアートの施された長い指先が、PC机に置かれたス魔ホの画面をスルリと踊る。もう片方の手は、ス魔ホとブルートースで繋いだワイヤレスイヤホンを耳にくっつけていた。

 リダイヤルしたコールはすぐに取られた。

「もしもし? ママ? 私。ごめーんちょうど出られなかった。うん。今どこ? パパも家? あぁ分かってるって、そろそろ時間って話でしょ? 出る準備は終わってるから、すぐそっちに行くわ。えぇそうね……あ。あと。さっき郵便屋さんに話を聞いたんだけど、逃げるなら空路がいいって。えぇ。えぇ。うそ? あぁんはいはい。それじゃ。うん。分かった。私も愛してるわ。じゃあね」

 電話を切ると……母親と話す過程で無意識に笑顔になっていたクレアの表情が寂しげな様子になり、真顔に戻る。綺麗な指先は画面をスワイプして、もうひとつの連絡先にコールしていた。

 案の定、そちらはちっとも出る気配がない。

 コールを続けながら、持ってきた段ボールをベコッと開いた彼女は、中に入っていた愛用の五百ミリ健康精製水ペットボトルを一本取り出して口を付ける。健康志向の彼女は常温派だった。そして画面に映る「はりねずみ」の文字を見つめて思った。

《はぁ。まったくあの莫迦!》

 
 
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Escape_from_Mariera02
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 こんなこともあろうかと、クレアは避難用のグッズをずいぶん前から大きなリュックに詰め込んでいた。

 今から新たに追加するものと言ったら、下着などの着替えとラップトップくらいだ。せっかくなので、届いたペットボトルも何本か持って行こう。長旅になるだろう……出かける前に、最後のシャワーを彼女は浴びた。

 動きやすいラフな恰好に着替えたクレアはリュックを背負い、全ての電気を消して、慣れ親しんだ部屋を見回した。耳のピアスがキラリと揺れる。

 次はいつ帰ってこれるのだろうか……。

 勝手口を開き、断崖絶壁の玄関先に立ったクレアの足先がスッと浮いた。
 そのままゆっくりと体を外へ晒す。ビュウと鳴る横風は少し強い。
 翼を広げて滞空しながら戸を閉めたクレアは、しっかりと施錠を確認すると、両親の元へ急いだ。

 空路の雰囲気は明らかに変わっていた。

 行き交う多くの『飛行者』達は、みな急ぎ足で都市の外へ飛んで行く。

 眼下では、飛ぶことのできない様々な種族の人達が行き来している。

 やはり渋滞は続いており、車を捨てた人達で溢れ返っていた。既に道路規制など意味をなさず、警察も陸路は見放しているらしい。

《空を飛べない種族は大変ね……》

 風を切りながら彼女は、色んな飛行種族と肩を並べた。

 背中に多様な翼を持つ有翼人や、浮遊部位を持たずとも飛行できる種族達は、高層ビルの上層階付近をビュンビュン行きかっていた。

 誰もかれもが急ぎ足だった。

 バーディラ属。デモロア属。鳥人属に竜人属。体が炎や水の精霊(エレメンタル)。足が魚で桃色の翼のシーパラ属。昆虫形態のスロボッド属。可愛い荷台を背負った寸胴のワイバーン、その座席に座る富豪の家族と子供達……。

 各々が大きな荷物をその身に抱え、ときに地上の『ごたつき』を眺めながら飛翔している。

 クレアは高層ビルの外壁に設置された、いくつもの大型テレビを横切った。
 明らかに地上からは見えないであろうそれは、本来なら飛行者向けの新商品CMが流れている。今は緊急速報と避難勧告ばかりが放送されていた。

 ビルの側面や屋上には、ベランダチックな『バス停』や、屋上を改造したちょっとしたお洒落公園もある。無骨で無機質なビル群を植物や花壇で彩り染めて、誰が見ても綺麗な見栄えだった。
 陸路と重なる空路にはマジカルネットが張られていた。これにより歩行者は、ジュースの缶や吐き捨てられたガムに頭を悩まされることもない。また飛行者にとっても、落とし物対策として機能していた。

 空中都市とはいかないものの、このマリエラの空路はかなり先進的だ。本来ならば、もっと活気溢れる素晴らしい場所であった。

 直線距離で跨げる空路により、両親の住む高級住宅街へは数十分で辿り着くことができた。

 そこは古めかしくも立派な二階建ての一軒家。クレアの家柄は代々続く公務員の良家だった。
 ペンキがすすけてきた白い柵と広い芝生の庭。馴染み深い郵便ポスト。玄関先に続く石造りの平らな道。その両側に添えられた、幾つかの可愛らしい花壇。この家で育ち、そして一人立ちした彼女は、中央区の高級アパートに住居を構えたのだ。

 二重扉の玄関をくぐったクレアは、両親から笑顔で出迎えられた。

 それぞれにハグをして、頬を合わせた彼女は、懐かしい実家の匂いを感じながらも早々に問う。

「ねぇパパ。さっきの話だけど、どうなったの?」
「それについて、悪いがクレア……会社の役員同士で、既に郊外で汽車を貸切ったんだ。それで隣町まで避難する事になる」
「なんですって! だから陸路は危険だって言ったじゃない! 空から逃げなくちゃだめよ!」
「そうは言うがな。既に決まってたことだ。私には会社の都合というのもがある――」

 彼女の父親は背広姿のデモロア属シルバラ種だった。
 元々イケメンであったろう端整な顔立ちは、加齢によって更に渋い貫録を醸(かも)している。
 綺麗な銀髪。髭の剃られた顎。青色の目。年季の入った背広。赤白ラインのネクタイを彩る、小さな白宝石を埋め込んだ金色のピン。焦げ茶色の革靴。ボタンを閉じたワイシャツの袖口。長い耳にはお洒落なピアス。
 デモロア特有の赤黒い巻角と翼。細い尻尾……クレアと全く同じ見た目のそれらは、彼女のより大きく逞しかった。そして巻角の左側には、銀色の角リングをはめていた。

「それにだ。お前は空路が安全と言ったな? それは間違いかもしれない。会社の会議では、空路が一番良くないという話だった。奴らに近づき過ぎると、空を飛べなくなると」
「ネットでも言われてたわ。でも信じられる? それにディゾルブは地下鉄を通ってくるって。もし先回りされてたり、追い付かれたら」
「お前の言い分はよく分るが……こういう異例時には、正しい情報の選別が重要だ……そうだな。よし、クレア。私達のプランを話そう。いいか? ほら。ディゾルブは南側からくるだろう? あっち側だ――」

 彼はクレアの立つ方向に向けて指を差し、今度は逆側へ向けた。

「だから私達は、北側の隣国ケウスルプトに向かう。向こうへ。陸路でだ。空路では、さっき言った懸念がある。列車の護衛には武装した警備スタッフも沢山いるんだ。もし飛べなくなったら一巻の終わりだが、地に足を付けていれば対処ができる。落ちたワイバーンは役に立たないが、汽車なら依然健在だ」
「そうだけど――」

 彼女の発言へ横槍を入れるように、父親のポケットから着信音がなった。

「そういうことだ。もしもし……」

 不満げなクレアをよそに父親は、上に伸ばした人差し指の腹を見せる。そしてス魔ホを取り出し耳に当て、彼は二階への階段を昇って行く。

 その後姿を母親と眺めていたが、母親は彼女に向き直って言う。馴染み深い香水の香りを感じた。

「ごめんねクレア。もう決まった事は、変えられないの――」

 クレアの母親はデモロア属デモロア種で、シルバラ種ではなかった。
 母親の瞳は紫色。歳の差こそあるが、同じ輝きを持つ二人が並べば、親子なのは雰囲気ですぐに分かった。
 ブロンドヘアーで白乳色の背広とスカート姿。長い耳や首元、手首には煌びやかなイヤリングやネックレス。高そうな革靴。ツルツルで光沢のある巻角。その右側には刺繍のある金色角リング。左側には父親とペアの銀色角リング。これは既婚者であることを表しており、デモロア流の結婚指輪である。

「それに汽車の件は。パパ達が一生懸命手配したものなのよ」
「えぇ、別にいいよママ。パパが正しい」

 企業の重役員である父親の判断は、娘とはいえ覆すのは容易ではない。昔からである。クレアが鼻を鳴らすと、母親が苦笑した。

「あの人ったら。さっきから電話が掛かって来て、荷物整理どころじゃないみたい。奥で座って待ってて? コーヒーを淹れるわ」
「はぁ……パパは変わってないわね。そうする」

 母親の計らいに苦笑しながらクレアも同意する。二人が笑った顔はそっくりだった。

 重いリュックを床に置き、客間のソファーへ深々と座ったクレアは早速ス魔ホを取り出した。爪を当てながら画面をスワイプしてリダイヤルをタッチする。コール音は続くばかりだ。

 湯気立つコーヒーカップを持って来た母親がクレアに問う。

「あら。お友達に電話?」
「そうなのよまったく。何してんだかあの莫迦……」

 テーブルに置かれたカップに目を落とした途端……電話に出た!

「ちょっとちょっとテイル! 今どこいんの!」
<……んぁ……んん>
「ねぇアンタ! ちょっと!」
<……ボザザザッ(布がこすれる音)>

 電話が切れた。何という事だ!

《嘘でしょ何今の! 寝てるの何処で!? 家ならいいけど……いや良くない!》

「なんだかその……穏やかじゃないみたいね?」

 心配する母親は、娘が困った顔をするのを見つける。

「えぇちょっと色々あって……」

 クレアはカップに口を付けた。母親の淹れるコーヒーはいつも甘めだった。

 予定では、クレアは両親と共に汽車でこの街を出ることになっている。
 そんな折に最後の確認として、友達の『テイル』に電話し続けた結果がこれだ。

 再度リダイヤルすると、今度は電源が入っていないためお繋ぎできませんときた。奴めス魔ホの電源を切りやがった! そしてクレアは思う。テイルは確実に寝ている……すると焦燥(しょうそう)に苛まれた。

《どうしよう……私……》

 テイルには頼もしい叔母(おば)がいる。奴は『その背に乗って』、街を離れるという話だった。今頃なら奴は嬉々として、写メ付きで自慢してきただろう……そうであるはずなのに、今はそうなってない。この時、直感がクレアにささやいた。何かまずいことが起きている。
 その直感というのは、クレアがあの二人だけの家族に関わる際、時々ささやくものだった。そして大体の場合的中するのである。それは不思議な心の繋がりのようなものだった。

《ウーママさん。何かあったの?》

 両手に大きな鞄を持って、父親が客間に戻ってきた。

「クレアも来たことだし。そろそろ向かおうか。電話先の話だと、空席があるなら乗せろって、厄介事が起きてるらしい。面倒なことにならなきゃいいが」

 母親も顔を上げた。

「そうね。それじゃあそうしましょう……うん? どうしたのクレア」

 クレアはス魔ホの画面を見下ろしながら黙っていた。それから意を決したクレアはコーヒーを一気飲みして、言葉を綴る。

「ええっとね……私なんだけど、その……友達がね。連絡がつかなくて。たぶんそのぉ……マズい事になってると思うの。だから……また中央区へ行かないと」

「なんですって? 今から戻るの?」

「そぉ、だから私は……えぇと。一緒には行けない……」

「そういえばさっき、テイルって……その子は確か、昔同級生だった――」

 母親がその名を口にした途端、二人の間に父親が口をはさんだ。

「なんだとクレア! まさかお前、そいつはハリネズミの事じゃないだろうな!」

 両手に持たれた鞄がドサッと床に落ちる音。
 クレアは全身に不愉快な熱を感じた。胸にはズキリと痛みが走る。

「お前まだあんな乱暴な奴とツルんでいたのか! なんてこと!」

「パパ聞いて! 確かにテイルは昔に莫迦をやってたけど、今は違うわ、ちゃんとしようとしているの! それに、私に今の生き方を教えてくれたのもあの子なのよ!」
「今のお前があるのは、お前自身の才能によるものだ! どうせあのハリネズミから、都合のいいことばかりを聞かされたんだろう! 上っ面だけの甘い言葉ばかりを聞かされて! お前は!」
「そんなんじゃないってば!」

 口論になりかけた時、母親が割って入った。

「こんな時によしてよアナタ。もしハリネズミがこの子に悪影響を与えてたとしたら、今のクレアはどうなの? こんなにも立派に育ったラシル家の長女に、どこか悪いところとかある? 何が不服なの? 公務員にならなかったことに関しては納得したでしょう?」
「う……」

 父親は口を閉ざしてしまった。母親はクレアに向いて続ける。

「クレア? 貴方はもう自立した大人の女よ。私達がどうこう言うのはおこがましい。貴方が決めた事なら、そうしなさい。一緒に来れないのは、辛いけれど……」
「ママ……あ、ありがとう」

 寂しそうに眉を潜め、口を結んだ母親の顔を見てしまったクレアは、両手を広げてギュッと抱き着いた。

 腕を回した母親は言う。クレアは目を閉じて聞いた。

「約束してね? 危ないと思ったら、すぐに逃げること」
「うんうん」
「落ち着いたら連絡するのよ。私達はケウスルプトにいるから」
「うんうん」

 体を離すと、隣で父親が言った。怖い顔をしているが、威圧感はない。

「クレア。私のファミリアを連れて行け」

 父親は自身の左肩上空に、コウモリの翼を持つ黒い球体を出現させた。
 人の頭ほどある球体の中央には、大きな目玉がギョロリとある。『ファミリア』はデモロアが自身の魔力で造り上げる、産まれながらの使い魔だ。

「えっ、パパ! いいの!?」
「私からすれば、お前は今でも危なっかしい。それにお前がもう自立した大人だというのなら、生きて私にもう一度顔を見せてみろ。いいな」

 目玉コウモリはクレアの頭上にヒユンと飛び交うが、その個体は二体になっていた。片方は母親のものだった。

「私のもあげるわ? クレア、行きなさい」

 二体のファミリアは光の粒子となって、クレアの体に馴染んで消えた。

 両親の愛情を貰ったクレアは、最後に父親へハグをすると、その場を去る。
 向かうは都市の西側にある古い工業地帯。都市中央区を抜けて、今来た道を逆戻りするのが最短ルートだった。

 
 
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Escape_from_Mariera03
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 しばらく飛翔を続けて都市上空を南下するクレア。
 空路は未だに、飛び交う飛行者立達でいっぱいだ。
 眼下では暴動まがいの事も起きている……彼女はしかめっ面をしながらも、見て見ぬふりをするしかなかった。

 対向する人並と高層ビル群の合間を縫いながら、クレアは友人の元へと向かう。

「うっ!?」

 そんな時である。

 飛翔中、彼女は『透明な壁』、『目印の無い境界』を通過したような、なんともいえぬ不思議な感覚に陥ったのだ。
 体に纏わりつく圧力を感じたクレアは、明らかな違和感を覚えて低く唸る。

《今のは風? 突風が吹いたようで、でも、そういうんじゃない……えっ? 私のブレイズが》

 そこで彼女は、自分の体が『きらめく緑色の光』に包まれているのを自覚した……ブレイズとは、この世界全ての生命が持つ魔力の事である。
 普段なら彼女の纏うそれの場合、青色に揺らめいていたはずなのだが……今は場違いなほどに、緑色の輝きを放っていた。

《なにこれ……》

 自然と眉間に力が入った。不可解だ。これは明らかに異常だ。かといって、別に体調が悪くなった感じもしない。
 クレアは滞空して首を振り周囲を見渡す……。

 不気味だった。飛び交っていた飛行者達の誰もかれもが足を止めている。
 今の『物理的でない突風』を感じたのは彼女だけではなかった。

 緑色に輝きだした自身の両手を今一度見下ろしたクレアに、父の言葉がよぎる。 

《でも私は今でも飛べているわ。警報もなってない。だけど……》

 嫌な予感がする……ブレイズが緑色になったこと自体おかしいのだ……不安に駆られた彼女は、急いで地上へ降りることにした。

 アスファルトの地面に足を付けたクレアは辺りを見回す。
 今も大勢の人がいて、車道には車の列が延々と連なっている。
 ただ何か……簡単には言い表せない、異様な雰囲気を肌で感じた。
 この違和感は何だろう……聡明な彼女はすぐに理解できた。

《えぇ……? 何事なの? みんな走り回っていたはずなのに、今は全員がゆっくり歩いてる。それどころか、フラフラしてて、立ち止まっていて……》

 地上で起っていた喧騒は、今やピタリとやんでいた。
 叫び声も、やかましい警笛も聞こえない。
 ありえない静寂がこの場を覆っていたのだ。

 大きな荷物を背負う猫耳男がクレアの少し先でよろけ、地面に両手をついてしまった。

「あっ、あの! 大丈夫ですか」

 気になった彼女は猫耳男の傍に寄り、冷たい地面に膝をついて問う。

「わ、分からない。さっきいきなり『風』が吹いて、そしたら体が寒くなって、震えて……す、『すごく怖い』……いったいどうしたんだ……」

 ぶるぶる震える猫耳男の表情からは、明らかな恐怖が感じ取れる。彼の横隔膜や膝、腕の筋肉は勝手に震え出しており、その表情は酷く歪んでいた。

「立てますか?」

「あぁ。ありがとう……えっ? アンタのその光――」

 猫耳男に手を貸すクレア。彼が手を取ると、クレアの緑色に変色したブレイズを肌で感じ取った。

「あったかい……アンタは今、なんともないのか」
「えぇ、私は別に――」
「うっ! なんだ!? うしろうしろ! あれあれ」

 立ち上がり、クレアの言葉を聞こうとした猫耳男が突然驚愕した。

「どうなってんだ!」

 クレアの目線は指先の向こうへ流れた。
 止まった車列の向こう側。
 高層ビル群に挟まれたアスファルトの三車線道路目掛けて……。
『あぁ何という事だろう』。

 上空を飛んでいた飛行者達が頭を地面へ向けて、次々と落下してくるではないか!

「えっ!? あっ……う……」

 それはまるで滝を見上げているかのようだった。

 空から落ちる『人の滝』は凄惨たる『悲鳴の波』を伴い、ボリュームを増し続けながら、クレア目掛けて押し寄せてくる。

 その光景の如何におぞましいものであろうか。

「はっ、はっ、はっ――」

 恐怖で呼吸が乱れて鳥肌が立つ。
 凍り付いたクレアはその場から動くことができなかった。
 可哀想にも、不本意ながら大きく見開かれた彼女の瞳の中には、次々と硬い地面へ叩きつけられてゆく『人の滝』がハッキリと映り込んでいた。

 そして『悲鳴の波』に飲まれた彼らが、一瞬にして単なる人肉へと替わってゆく様子から、目が離せない。

「あ、あ、あ――」

 ぁぁぁぁああああああアアアアアアアア!!!!!!!

『悲鳴の波』が来た!

「きゃあああーー!」
「うわああーーー!」

 目の前で。両脇で。すぐ後ろで。悲痛な叫び声と共に、大勢の飛行者達が地面に突っ込んでゆく。

 とっさに路側の店前へ避難したクレアと猫耳男は、出来る限り身を丸くしてしゃがみ、叫びまくった。

 アスファルトで小さくバウンドし、物理的に変な『寝相』になる人。
 列を成す車の天井やフロントガラスにぶち当たり、やかましい音を立ててその身を埋める人。
 ボゴボゴボゴッ! と重量感のある生々しい水っぽい『潰れる音』がそこらじゅうで鳴り響いた。

 飛散するガラス。へこむ金属。散らばる物品。
 飛び出した骨。捻じ曲がった四足と首。潰れた内蔵。そしてうめき声。

 今まで感じたこともない暴力的な音の嵐が、一帯を覆い尽くした。
 目を閉じ怯えるクレアは、その場から一歩たりとも動けなかった。
 しばらくすると……『悲鳴の波』は遠くへ去ったが、今度は激しい鼓動の音が聞こえる。

 自分の心臓の音だ……!

「ハァ、ハァ、ハァ!」

 プイプイプイと、色んな車の防犯アラームがやかましく響いていた。
 大げさに呼吸を乱すクレアは、眉をひそめながら開いた目を疑った。

 大きな三車線道路は一瞬にして地獄絵図と化した。

 人。人。人。まるで人形のように動かず、それでいて時折ビクビクンと痙攣する『それら』が辺り一面に転がっていた。

 ピントが定まらず、泳いでいた視線をぼんやりと前へ向けると……車に頭から突っ込んだ綺麗な純白の翼を持つバーディラの女性が、首を折り陥没した頭蓋を垂らし、うつろな目でクレアを見ていた。
 脳髄と血が長い髪を伝い、雫となって滴り始める。

「ヒッ!? いや、いや、いや、いやァ! いやァァーー!」

 意図せずして可哀想な『死に顔』を見つめてしまったクレア。
 悲鳴を上げた彼女は顔をそむけた。血の匂いをいきなり感じたクレアは吐き気を催す。

「うっ、ぶっ! おごぼぼーー!」

 ぶるぶる震えたクレアの胃の中身がせりあがり、その場で嘔吐してしまう。

「でぃ、ディゾルブだ、アイツらが来たんだッ! もう来ちまったんだ!」

 猫耳男が怯えて叫んぶ。

「うわぁ! うわああーーーー!」

 戦慄し、狂乱した彼は、景色を一変させた死体だらけの道路を駆け出した。

 そこで十メートルも満たない低空に、クレアは生理的に嫌悪感を催す『魔力の振動』、『マナパルス』を感じた。
 激しく躍動する心臓を先の丸い棒で強くつつくような、痛みにも似た強烈な圧迫感がその胸の内を襲ったのだ。

「うっ、ぐっ、ぐっ……」

 圧迫感はマナパルスの数だけヅクヅクとクレアの心臓を刺す。
 防ぎようがない臓器の痛みに、胸を押さえた彼女は苦痛の声を漏らす。

 空を見上げた先には、視覚化されたマナパルスが赤と黒の空間断裂に見えた。それが上空で次々に現れて、中からエビのように反り返った不気味なチューブ状の物体が現れる。

 輪切りにされたようなへらべったい頭は、大きな口と一体化していた。
 丸い口の周りには三本の鉤爪。鉤爪と対角線上にある三つの小さな目。
 胴体奥深くまで牙がびっしり並んだ口腔。
 尻尾はだらんと垂れさがり、尻すぼみのような長いコーン状。
 口の直径二十センチ、黒い鱗にまみれた細長い体は一メートル近い長さだった。

 チリリ、チリリリ……と。
 蛇腹の黒鱗が重なり擦れる軽いメタル音が聞こえる。

 瞬く間に空を覆いつくしたエビ型ディゾルブ。そのうちの一体がヒユンと動きを速めた。
 螺旋を描くように高度を落とすそれは、猫耳男の頭に食らいつこうと三本の鉤爪をグワッと広げて突っ込んでくる!

「うおおーーッ!?」

 顔面に突っ込んできた鉤爪を両腕で防ぐ。

 喰らい付いたエビ型ディゾルブは垂れた尻尾を大きく振るい、ガラ空きになっていた彼の胴体にぶつけた。

「ぐぶっ!?」

 すると彼の背負うリュックを貫通する程に長く、太い『針』が、背中からニョッキリと突き抜けた。
 針はすぐに引っ込んだが、鉤爪で掴んだ箇所を軸にして、また尻尾を振るい、針を穿(うが)つ。

 何度も何度も何度も。

「うっぐっうっうっぶっぶっぶっ……」

 ズシャズシャと針を打ち込まれる猫耳男。
 体が揺さぶられる彼は、次第に口から泡立った黒い血を垂らし始めた。
 立つ力を失った彼は膝を曲げて仰向けに倒れる。
 その間もエビ型ディゾルブは針を穿ち続けた。

「うわっ、あぁ、あぁ、いや、いやぁ……ッ! なんて、なんてこと……!!」

 恐怖に慄き、クレアは可哀想なくらいに眉を潜めた。
 腰を抜かした彼女は両手で口を覆う。

 必死に両足を使い、がんばって後方へ逃げようとするのだが、閉じた店のシャッターに背が当たってこれ以上後退できない。

 そして今起こっている惨劇から目が離せない!

 エビ型ディゾルブが鉤爪を放すと、脱力した猫耳男の両腕は開放されて、だらんと垂れさがった。彼の体は不気味に痙攣していた。

 ディゾルブがヒユンと再び舞い上がる。
 そして牙だらけの輪切り頭がクレアに向いた。鉤爪を広げて突っ込んでくる!

「ひやぁーっ!!」

 抗う術を忘れたクレアは頭を抱えて身を丸くする。
 死を覚悟するなんて暇はなかった。周囲の人達も、みんなそうやって突然死んだのだ。

 しかし彼女の傍には、頼もしい両親の『愛』があった。

 愛娘の危機に反応したのはファミリアであった。

 一体の目玉コウモリが彼女の頭上に出現すると、目玉から紫の閃光を伴う光弾を掃射した。
 毎秒七発で放たれた魔法の小球は、紫色の尾を引いて、飛来するエビ型ディゾルブに突っ込む。それらは六発が命中して、黒鱗を粉砕し深く抉った。

《えっ、パパ!?》

 突然の迎撃にクレアが驚き、涙に濡れた瞳でファミリアを見る。

 眼前まで迫っていたエビ型ディゾルブは、抉れた箇所から黄色の体液を飛び散らせた。直撃の勢いで後方に吹っ飛ばされ、地面に落ちた体は跡形もなく消えて粒子化し、『輝く青色の霧』へとその姿を変えた。

 息付く間もなく、そこら中にいたエビ型ディゾルブが動きを変えた。チリリと軽い音を立て、鉤爪を向けたその先は、涙を流して震えるクレアだ。

 それに対し、クレアの頭上には二体目のファミリアが現れた。

 迫り来る複数の脅威に対し、ファミリア達は紫光弾の掃射による迎撃を迅速に始める。
 掃射を浴びたディゾルブ達は黄色い体液をまき散らし、次々に青い霧となって消えてゆく。凄まじい弾幕だ!

《ママも……!?》

 ファミリア達が発する断続的な紫色光の『しぶき』に照らされながら、クレアの思考はすっかり止まっていたが……聡明な彼女はこのような状況下でも、現状を理解しようという試みを、なんとか始めることができた。

《に、『逃げる』のよっ。クレアッ、ここから!》

 
 
 
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Escape_from_Mariera04
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 両親から貰った目玉コウモリのファミリア達は、彼女に仇なす『敵』を紫光弾の掃射によって退けてくれている。

 見た感じ簡単に迎撃できるようで、一見すると楽勝ではないかと思える。
 だが紫光弾を形成、発射するには、自身の魔力……身に纏うブレイズが必要不可欠だ。
 そして無意識な防衛反応によって強烈な掃射を短時間で起こったことにより、その残量は残り少ない。

 そのためクレアはブレイズを増すため、周囲の魔力を吸おうとした。

 そのような行いは特別な事ではなかった。普段から人々は『呼吸』をするかように、寝てる時ですら意識せずとも体が勝手にやってくれる生理現象なのだが……。

《うっ! なにこれ、魔力が……『硬い』!? どうして――》

 どういう訳か、周囲の魔力が硬くて吸えない!

 魔法を使えば使う程にブレイズは勢いを弱めてしまい、クレアの魔力は枯渇してしまう。そうなれば目玉コウモリ達の対空射撃は止むだろう……『敵』はそこら中から無限に湧いてくるというのに!

 自発的に『魔力を吸えない』と自覚したクレアは、凄まじい閉塞感(へいそくかん)を感じた。
 まるで手足が動かせず、身動き取れない閉所へと置き去りにされたような『窒息』に似た息苦しさを、いきなり、一身に感じ出してしまったのだ。

「い、行くのよ、立って、はやく! うう、はやく、はやく……!」

 激しく呼吸が乱れ、焦りが露わになるクレア。

 立ち上がろうにも両足が震えて動けない。
 手にも力が入らない。
 何より『息苦しい』!

 寒気がする。吐き気もだ。そして胸を突く痛みと、その身を覆い始めた震えを伴う恐慌……クレアは猫耳男の言葉を思い出した。

<す、『すごく怖い』……いったいどうしたんだ……>

《思い出したわ……手に触れた時、あの人のブレイズが消えてたのが分かった。見えなかったんじゃない、あ、アイツらが『吹き消した』んだ! だから怖くて。寒くて。でも魔力の呼吸ができなくて……ううぅ、こんな。これじゃ……》

 チリリと音がした。
 また複数のエビ型ディゾルブが突っ込んでくる!
 目玉コウモリ達は残り少ないブレイズの省エネを心がけるため、三、四発刻みの点射を行う。
 迎撃自体は間に合ったが、一体のディゾルブが彼女のすぐ手元で被弾を受けた。ベシャッと地に伏したディゾルブは砂のように崩れて、輝く青い霧に姿を変える。

 するとどうだろう。
 まるで意思を持っているように、青い霧はクレアの体にスーッと流れて来たのだ。

「うわ!? だめ! やぁあっ!」

 自身に迫る青色の霧に恐れをなし、両手を前に出すクレア。
 彼女のブレイズに触れた青色の霧は緑色へと変わり、それと同化した。

 本人の意思とは関係なしに、元々ディゾルブを形成していた青い霧を取り込み、緑色のブレイズは勢いを増したのだ……『暖かい』。さっきまでの恐怖が払拭されて、息苦しさや、手足の震えも止まった。

《なにこれ……力が湧いた!?》

 ファミリアより発射される紫光弾で消費されるブレイズも補充できた。
 背負うリュックは重いが、立ち上がる活力も湧いた!

「くそォ!」

 バサッと赤黒い翼を広げたクレアは即座に空へと飛び出した。
 立ち並ぶ摩天楼の合間、飛行者達が突っ込んでベコベコになった車列の上空を飛翔する。

 空中にはフワフワ浮かぶエビ型ディゾルブが山ほどいた。彼女はそれらを蹴散らしては青い霧に変え、その中を通過するように『吸いながら』進んだ。
 理屈は知らないが、魔力の呼吸ができない今、ブレイズを増すにはこれしか方法がなかった。飛翔するにしてもブレイズを消耗するのだ。

《気持ち悪い。こんなの吸ってたら私、どうなるの……いやだ、いやだ。こんなの……》

 あちこちで悲痛な叫び声がこだまする。

 この場はまるで……現実離れした光景が広がっていた。

 見慣れた街並みに地獄のレイヤーを重ねたようだ。

 空には黒い点々が幾つもあった。
 それら全てがエビ型ディゾルブだと思うと鳥肌が立つ。
 広い三車線道路には血に染まり、飛行者だったであろう『肉塊』が眼下の全てに広がっていた。
 死体を乗せて、へこんだ車の警報アラームがうるさく鳴り響いている。
 誰もかれもが頭にかぶりつかれ、胴体を針で穿たれて死んでいた。
 助けてやりたいが、自衛で精一杯の彼女には、どうすることもできなかった……。

《どうしてみんな、魔法で応戦しないの!? やっぱりブレイズが……こんなことって!》

 クレアは迫る脅威に対し弾幕を張り続けた。
 ガラス壁の高層ビル群にその身を映して。
 いくつもの曲がり角を彼女は通過した。
 好きだった商店街。お気に入りの衣類店。馴染みの甘味処。
 全ての思い出を、身の毛もよだつ穢れに侵食されながら。

 歯を食いしばり、スピードを上げたクレアは血濡れの都市低空を飛翔する。

 高度を上げるのは不策と思えた。地面があるぶんエビ型ディゾルブが『湧いてこない』ためだ。上空は既に、目がくらむ程の黒い点でいっぱいだった。

 風を切るクレアの眼前に、獣人属、デモロア属、スロボッド属からなる集団が見えた。

 そこから声が聞こえてくる。

「莫迦共がぁー! 喰らえ喰らえええ!」

 生存者達は近場の武器屋から銃や剣を奪い、そこら中から飛来するエビ型ディゾルブに対して果敢に応戦をしているようだった。

 彼らのサブマシンガンやアサルトライフルは鉛の弾丸を吐き出して、上空に黄色の火線を何本も伸ばす。
 弾丸は直撃寸前で赤色の球状力場『魔障壁』に阻まれていた。弾道を曲げられた黄色火線は無秩序にそこら中へ飛び散った。
 それでいて何発も当てていると、魔障壁がバリンと割れて射線が通った。
 エビ型ディゾルブを覆う黒鱗に直撃した弾丸は跳弾してすっ飛んで行く。衝撃で揺さぶられたディゾルブは後方へ押しやられたが、致命打を与えているようには思えない。

 いっぽうで剣や斧、槍。それか単なる棒などの物理的な重量による格闘は、ある程度の効果があるようだった。

 上手に刃を振るえば地面に落すことができた。それから何度も叩いたり踏んだりすれば活動を止め、砂のように崩れて青い霧と化す。

「そこの人達ー!」

 地面に落としたエビ型ディゾルブの輪切りの口内に、甲殻装甲を背負う巨漢のカブトムシ男は剣を突き立てる。彼が剣を引き抜くと黄色い体液ビューと飛び出して、青い霧となり消えた。青い霧はカブトムシ男の体に吸い込まれ、溶け込んでゆく。

 フゥとため息をついた彼は自身の左手を見る。青い霧と同化した彼のブレイズは揺らめき、その勢いを増したようだった。寒気が引いてゆくようだ……空を見上げると、彼は飛翔するクレアをすぐに見つけた。

 クレアはその集団上空に突っ込み、全方位向けて紫光弾をまき散らす。
 殲滅力が明らかに違う彼女の掃射により、いっときでもこの辺りは静けさを取り戻した。

「え!? 貴方! どうして飛んでいられるの!?――」

 セミオートショットガンを所持したデモロアの女性がクレアに向かって叫んだ。

「変な『風』が吹いた時から、私達のブレイズが吹っ飛ばされたっていうのに!」

「あぁ! やっぱり! じゃあ他の人達も……」

 着地したクレアはデモロアの女性に向かう。女性は続けた。

「そうみたいよ。空を飛んでた人達もブレイズを消されて、浮力を保てず落ちたんだわ! でも貴方まさか……空の敵を倒して、『息継ぎ』しながらここまで来たの?」

 周囲に目を配ると、血だまりに溺れた多種族の翼がそこら中に見受けられた……もちろんクレアの足元にも。

「私はその、えぇと……そ、そんな感じです」
「羨ましい。優れた魔術の使い手なのね。今の私なんかが使おうとしても……こうよ!」

 デモロアの女性は頑張って手の平から紫光弾を発射する。それは空中のエビ型ディゾルブに直撃したが、半球状に赤く発色した魔障壁に楽勝で偏光され、かき消された。

 全く効果が見受けられないそれを見て、クレアは眉を潜めた。

《えっ、うそ! なら私のは、どうして通用するの? こんな……『攻撃』魔法だなんて。高校の授業以来、長らく使ったことないのに……パパ達がくれたファミリアのおかげなの?》

「ハァ、ハァ――」

 自身に残されたブレイズを使い果たした女性は、無意識に魔力の呼吸を行った。

「うっ、ふうう!? ぶぼごばーー!」

 その瞬間地面に膝をついて、盛大に嘔吐してしまった。

「がはっ、はっ! はっ……げほ。魔力が、『にがい』……うえぇ。吸えたもんじゃないわ。これは毒よ……呼吸、できない。くそっ、最悪……」

 ドドドドド……という地鳴りが聞こえる。
 青い顔をするデモロア女性に手を貸そうとクレアが近寄った。握り返された手は腕ごと震えており冷たい。相手にはクレアの手と、それを覆う緑色のブレイズが温かく感じられた。

「貴方のそれ、凄くあったかいね……でもこの音。聞こえる? なに……」
「これって……私にも全然……」

 やり取りを見ていたカブトムシ男は、ブルッと体を震わせるほどの寒気を感じた。
 不安になった彼はもう一度自身の左手を見る。
 すると彼のブレイズは……水に落とされた水性絵具のように、周りに溶け込むかのようにして、今にも消えかかっていた。青い霧を吸収した時は、勢いがあったのに……。

「うわあ!? うわああああーー!!」

 別の場所で悲鳴が上がった。

 全員がそちらへ体ごと向けると、すぐそこに『メトロへ降りる階段がある』……。
 クレアは目を丸くしてしまった。そして血の気が引いた。またしても心臓を鷲掴みにされる気分になったのだ……。

 地下へと繋がる暗闇の階段。
 その奥から地鳴りと共に。
 脚の八本ある巨大な『蜘蛛型』のディゾルブが。
 不気味な赤い光点を揺らめかせながら、何体も何体も湧き出して来たのだ。

 高さ三~五メートルほど個体差のある蜘蛛型ディゾルブには脚が両側に四本ずつある。
 前脚二本は特に太く長い。脚というよりも巨大な刃そのものだった。
 L字に伸びた胴体。その中央には四本牙を対角に備えた不気味な口腔。
 逆水滴状に膨れた分厚い頭部。それは下を向き、垂れさがる様にして胴体の口腔を守っている。

 全身真っ黒で、間接部分は鈍い赤色光を放っていた。

 メトロ階段周辺にひびが入って崩れ、大きな穴となった。そこから途切れなく蜘蛛型ディゾルブが湯水のごとく湧き出してくる!

「オオオオーー!?」
「ヤバいッ!? 撃て撃て撃て!」
「来たぞ、来たぞ、来たぞ!」

 全員はそちらに向け発砲するが、銃口より吐き出された幾重もの黄色火線はあまりにも無力だった。

 空中のエビ型と同様に、蜘蛛型ディゾルブも受動的な球状の魔障壁を常時展開していた。
 弾丸は衝撃が伴った瞬間に一瞬だけ見えた、ハニカム格子状の半透明赤色ドームに容易く弾かれて弾道を横に滑らせる。

 今ある武器では……このディゾルブに傷ひとつ付けられない!

「うそでしょ……」

 立ち尽くすクレアの目の前に、横に並んだ蜘蛛型ディゾルブが所狭しと押し寄せて来る!

「うぐああああーーー!」
「ぎぎゃあーー!」
「ああああーーー!!」

 巨体ながらも歩幅の広い八本足歩行は凄まじく機敏で、瞬く間に生存者達へ覆いかぶさった。彼らが最後に振るった苦し紛れの剣戟(けんげき)はその装甲に容易く弾かれ、鋭利な脚刃でグチャグチャに踏みつぶされた。

 銃器、物理武装共に効かない蜘蛛型ディゾルブのスワーム(群れ)は、アスファルトの地面を穴だらけにしながら突っ込み、圧倒的な物量を持って全てを飲み込んでゆく。

 まさにあっというまの出来事である……。

「た、助けて!」

 デモロアの女性がクレアに懇願する。ブレイズがない彼女は飛べないのだ。

「くっ!」

 ファミリア二体、そして腕を伸ばした自身の射撃魔法を用いて、クレアは前面の蜘蛛型ディゾルブに向け、逆デルタ陣形で紫光弾による掃射を行う。

 連なり突っ込む紫色火線は、蜘蛛型ディゾルブの赤い魔障壁を難なく貫通した。
 突き抜けた紫光弾は目前の数体へばらけ気味に直撃する。黒い装甲は抉られて砕け、黄色の体液が色んな角度でドボッと飛び出した。

 二十発近く当て続けると頭部は損壊し、動きを止め、全身を青い霧に変えることができた。

 ただしクレアが意気込んで放った射撃をもってして、やっと『数体』である。

 その間にブレイズは消耗しっぱなしで、青い霧を回収しに行くことなど不可能だ。
 敵の後続はいくらでもメトロ入口から湧き出しており、被弾を恐れず山ほど群がってくる!

「こんなの無理よ多すぎる!」

 圧倒的に不利であると悟ったクレアは、デモロアの女性を胸に抱きかかえると空中に躍り出る。

 飛翔するクレアに向いた蜘蛛型ディゾルブのスワームは、垂れていた逆水滴状の頭部をグワッと垂直に開き上げる。するとその内側に隠された口腔が真っ赤に染まり、赤いしぶきと共に単発の赤光弾を一斉に放った。

「ぬぐッ!?」

 一発の直撃弾を受けたクレアは衝撃でビルの壁に背中から衝突した……撃たれた!? ハッとしたクレアは腹部の痛みと共に、抱きかかえた女性の体が何度か跳ねるのを感じる。

 その顔を見ると……女性は軽く咳をして、口から血を吐いた。

「ごぼ……し、死にたくない」

 しがみ付く女性の手に込められた力がなくなって、スルリと地表に落ちてゆく。
 クレアの腹には、さっきまで女性に流れていたはずの赤黒い血がべったりとついている。
 それでいてクレア自身は激しい衝撃を受けたものの、我慢できるくらいの痛みだった。
 血で汚れた服も破れていない。

『重荷』を失ったクレアの両手は固まり、震えていた。

「うっ、うっ! うっうぅぅ……!」

 ヒュンヒュンと赤色火線がクレアに突っ込んでくる。
 目からは涙が零れるが、残念ながら悲しみに暮れる暇などありはしなかった。
 眉を潜め、泣きじゃくるクレアは下唇を噛みながら迅速に離脱する。
 次に突っ込んで来たいくつもの赤色火線が、破砕音と共に壁へ『縫い跡』を創った。

「うう……うぁぁ、あああ!」

 絶望だけがクレアを取り巻いていた。
 地表は既に真っ黒な蜘蛛型ディゾルブで溢れかえっていた。その隙間から、地面に散らばる死体が見え隠れする。彼らの発した断末魔の叫びは、今でも耳に残っていた。

「アァアアアーー!!」

 魔法が効かない異形の軍勢は、新しい死体を作るべく市街地の蹂躙を始めた。

  雨あられと飛来する赤色火線に晒されながらクレアは、決死のロールを繰り返す。もはや死んでいるかもしれない友人の家へ向け、ひたすら逃げ続けた。

 
 
 
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Escape_from_Mariera05
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 中央の市街地から離れた郊外は、どこもかしこも錆びれ寂れた工場が立ち並んでいた。
 昔は交通量の多かったであろう広い道路には閑古鳥が鳴いており、今やここを通るのは、貧しい生活を余儀なくされた哀れな低所得者達だけだ。

 その一角、もはや誰のか分からない和風の墓石群に囲まれた廃寺がある。

 外見こそ不気味な廃寺なのだが、内部はある程度改修されているようだった。
 その廃寺の一室は、懐かしさすら覚える古風な内装をしていた。曇りガラスの遮光としてある、淡い光を湛える破れた障子窓。所々剥げ落ちて黄ばんだ壁紙。壁に空いた穴を隠すために張られた映画のポスター。

 部屋の隅には沢山シールが張られた木製タンス。小学生用の古い学習机。そして場違いな手作りスチールパイプ製のPC机があり、サイドボタン付きマウスと高感度キーボード、高フレームレートのゲーマー仕様ディスプレイがズドンと乗っている。足元のフルタワーデスクトップは排気音を鳴らし、今なお光を灯す。

 天井には二重の丸型蛍光灯がぶら下がっていた。それから伸びた長い紐は、年季の入った畳床まで伸びている。行きつく先には布団の枕元だった。

 そこには一人の少女が眠っていた。

 彼女の背中には、まるで天使のような純白の翼がある。

 一見して幼い印象を受けるその身体は華奢で、めくれた裾から伸びる四足は若枝のように細い。日頃のケアをするまでもない、きめ細かな張りのある素肌。いたいけな可愛らしい唇。白と薄桃色が交差する乙女チックなパジャマ。それと同柄のボンボン付き三角ナイトキャップ。彼女の長い髪は、その中で団子を模していた。

 彼女の寝顔は『美しい』というよりも大変『可愛らしく』、見るものを和ませる穏やかなその表情は、まさに天使そのものであろう。

 そんな感じで、昼間を過ぎても寝腐る野郎の鼻からは、汚らしい鼻提灯がプクプクと生成されてゆく。次第に構造的強度の限界を迎える程に膨張したそれはパァンと割れた。

「あぎゃああすきゃんてィイイーーー!?」 

 自身の生成した鼻提灯の炸裂音にビビッた無様な女、バーディラ属、レコ種の『テイル=ヘッジホッグ』は、掛け布団ごと眠った姿勢でジャンプした。

「えっ、夢!? ふぅ~、焦ったぜェ……どうやら私がバレルスタビライザーをバレルバレンティーノって言い間違えたことは、夢の中の住人以外に聞かれてはいないようね……」

 副業として、テイルもクレアと同じムーチューバーのまねごとをしている。
 そのため夜遅くまで(なんなら昼まで)FPSの対戦ゲーム配信をしていた彼女は、今の今までぐーすかぴーと寝ていたのだ。

《あ~ぁ、昨日も結局、同接最高六人だったなぁ……金を稼ぐってレベルじゃないや……》

 アニメ調にデフォルメされた黄色の『鈴』が描かれたビンテージ物の『青い布団』をかけ直したテイルは、枕もとのス魔ホを手に取る。

 そこには、クレアからの着信履歴が残っていた。

《クレアから電話? しかも出たことになってる。うそん、いつ出たんだ……》

 体を横に向けてス魔ホを眺めるが、おかしなことに通信状態は×と表示されている。

「はぁもううぜぇ……またルーターの電源入れ直しかよォ」

 鈴柄の青い布団を口まで被せたテイル。
 その時、自身の体を通り抜ける『違和感』を突然に感じた。布団の中にも関わらず、身体を揺らすほどの圧力だ。
 不可視の圧力は一瞬で彼女の体を通り過ぎた。それでいて謎の圧力は物体を貫通するのか、部屋の梁は軋みを上げ、家具や小物がちょっと揺れた。

「ん゛ぬっ! うわ何今の……こっわ」

 せっかく布団の中でぬくぬくりんだったテイルなのだが、今の謎体験のせいでビクッと体が震えた。それから鳥肌が立つ感覚もする……だが、『それがどうしたというのか』……寝起きである彼女は今のところ何もかもがすっかり嫌になっており、身に起きた奇妙な感覚すら、睡眠を邪魔するただの違和感とだけでしか捉えなかった。

 顔をしかめながらビンテージ布団を頭まで被るテイル。するとその時、あることに気づいた彼女は、布団の中で目を開け、自分の手の平を見た。

《うん? なんだ……ブレイズが眩しい――》

 暗闇の中で輝く自身のブレイズを眺めたテイルは、すぐに手を引っ込めて目を閉じてしまった。

《知らね》

 今度は、汚い部屋を仕切る襖の向こうで、物が落ちる音が聞こえた。結構うるさい音だ。

「Haahhもう世の中がさっぱり寝ようとさせてくれねぇぇーー」

 乙女の白き細腕とおみ足で、豪快にビンテージ布団を半分に折ったテイルは立ち上がった。そして悪態をつきな、可愛いナイトキャップをかなぐり捨てる。

 自室の襖を開いてふわふわの猫ちゃんスリッパを履いた彼女は自室を出た。足元には、砂と腐った木屑が積もっている。廃寺にはいくつかの部屋があるのだが、襖の向こう側は、朽ち果てた廃墟そのままの姿だった。

 目的の部屋まで行くのに、テイルは朽ちた部屋の幾つかを跨いだ。どうして生活スペースの間に廃墟を挟んでいるのかというと、それは乙女のプライバシーを守るため、といった彼女なりの理由である。

「ばあちゃーん、何したのー」

 建物の反対側まで来たテイルは襖を開くと、煙草臭い小綺麗な和室に出た。
 そこには、ばら撒かれた小物の中で、畳にゲロを吐いた長身の女性がうずくまっている。

「は!? ちょっとばあちゃん!」

『ばあちゃん』と呼ばれるには若すぎる女性は、真っ赤な鱗の大きな翼があった。そして同じくらい特徴的なのは、お尻から伸びる、太くて長い立派な鱗の尻尾だ。
 美しい顎のラインと、後頭部で纏めた長い髪。鋭い目は、爬虫類のような縦長の瞳孔を持つ黄金色。セクシーに骨ばった首筋、鎖骨、長い指、そして手。左手首を彩るのは透明と黒石が連なった数珠。

 よれよれのワイシャツと黒いスラック姿の竜人属、ランドレア種の『ウーママ』は、一見するとビジネスマンに見えた。彼女はテイルに肩を借りて上半身を起こす。

「わ、わからん……家の中なのに、いきなり『風』が吹いて。そしたら眩暈がして、寒気がして……ううう。クッソ……」

 彼女の体はひどく震えていた。産まれて初めて見るウーママの怯えた状態に、テイルは言葉を失った。

「な、何故だ……私のブレイズが、き、消えた。『一瞬で消された』? 莫迦な……どうやって」

 わなわなと大げさに震える自身の左手を見て、ウーママは驚愕せざるを得なかった。

「この感じ……長らく、忘れていた感情だ……こ、『怖い』。て、テイル――」

 ウーママは座りながら彼女を抱き寄せる。その力は、彼女の長い爪がピンクチェックパジャマに食い込む程に強い。

「『恐怖』だ!……恐怖が、迫(せま)ってきた……! こんなにも、強烈に……恐ろしいものとは……」
「ばあちゃん、いったいなによ……?」
「ディゾルブだ、テイル……ニュースを見なかったのか。連中が来たんだろう……だがお前……あの風を受けても、平気なのかね……?」
「う、うん。別になんとも……」
「そういえば、お前のブレイズの色……普段から緑色だが、今はいつもと、違う輝き方をしているな……」

 優しく背中をテイルにさすられたウーママは、やっと身体の震えが止まった。

「あぁ、不思議だ。テイル。お前の緑色のブレイズに『当たって』いると、気分が良くなるよ。はぁ……莫迦娘にも、使いどころはあったか」
「何言ってんのよばばぁ。歳なんだから無理すんなって。それで、ディゾルブが来たって? それなら、とっととおさらばした方がいいんでない?」
「うーむ。その事なんだが。すまんテイル。私も不本意だが、『当初の予定が狂った』」
「ほん?」
「『変身できそうにないんだ』」
「ハァ!?」

 その時であった。地鳴りのような連続した重低音と共に、幾つもの悲鳴が……『悲鳴の波』が遠くから近づいてきた。その音と振動は、迅速に二人の頭上へと迫る。

 まるで絨毯爆撃のように降り注いだ飛行者達は、廃寺の瓦屋根を盛大に吹っ飛ばして次々と突き抜けてきた。

「わあアアーーー!?」
「うおオオオ!?」

 叫んだテイルとウーママの足元にもそれらは落下した。
 周囲の物が飛び散って、身を丸くした二人に瓦礫が降り注ぐ。

 テイルは表情を歪ませた。

 目の前には……桃色の翼を持つ『綺麗だったはずの女性』が、頭を変な風に捻じ曲げて目の前に倒れているのだ……身体をビクつかせたこの女性は、数分もせぬうちに呼吸を止めてしまうだろう。

「うわ! うわ! アァァ!? やだやだやだ!? なになになんなの……」
「あぁ、テイルおいで。お前を抱かせておくれ」

 動揺して目を丸くしたテイルはウーママに飛びつく。そんな彼女を、ウーママは胸の中で大切に抱きしめた。

「な、な、なんで、なんでなんでッ!? 意味わかんない、有翼人が頭から落ちてきて、死んだの? こんなに沢山……」

 必死にウーママへしがみ付くテイルは、落ちてきた女性をチラ見しながら言う。
 同じ女性をウーママも見ていた。屋根を貫通して落ちてきたことに驚きはしたが……ウーママは冷静だった。とは言え、これは異常だ!

 それからすぐに心臓をさすような痛みを伴い、二人は周囲いっぱいに『マナパルス』の発生を感知した。
 三本の鉤爪をカチカチ鳴らしたエビ型ディゾルブ六体が、天井に空いた穴から飛来してきたのだ。

 
 
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Escape_from_Mariera06
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「ムッ!」

 ウーママに残されたブレイズはほとんどない。だが幸いにも、他に使えるリソース元が自身の腕の中にある。

 テイルの頭を守りながらウーママは、鋭い眼光をエビ型ディゾルブに向ける。瞳孔が縦に細くしぼんだ。
 すると彼女の眼前の何もない空間から、文字通りの『赤槍』がいきなり飛び出した(実際は直径一メートルの巨大な球状をした『火球』なのだが、ウーママの魔法技能は桁外れの高位置にあるため、飛翔速度があまりにも速過ぎることにより、元々の球体が圧縮、進行方向に引き延ばされて針状の形態となっていた)。

 甲高く唸る発砲音がして、まるでレーザー光線並みの鋭い赤槍がディゾルブに突っ込む。
 たった一発の赤槍はエビ型ディゾルブを突き抜ける。その赤槍の桁外れなマナ放射により、直撃しなかった周囲のディゾルブ達も、掠めただけでジュワッと消滅した。
 跡には光り輝く青い霧が残り、それはテイルの元に吸い寄せられてゆく。

 テイルが叫ぶ。
「うわっ、こっちくる!?」

 青い霧を見つめたウーママは、目を細めて言う。
「なに? 残り火が、自ら秩序を取り戻そうとしている?」

 ウーママの言う青色の霧、『残り火』に包まれたテイル。残り火は緑色に変色して、テイルにスウンと溶けた。
 すると肥大化したテイルのブレイズは勢いよく燃え盛った。温かさを持つその光りは、不思議と二人に安心感を与えた。

 頭をきょろきょろさせて自身の緑色ブレイズを見つめるテイルに、ウーママが言う。

「お前のこの力は……『よく分からん』。分からんがテイル。ディゾルブの残り火は、何故かお前にだけ戻りたがるようだ」
「何それ。あのキモいエビが、私の中に入ってきてるってこと? えーやだやだ、どうなっちゃうの私……」
「変な感じはするかね」
「今のところはなんとも……逆に、力が湧いてラッキーって感じ」
「ふーむ。見た感じ、お前のブレイズが変異したようにも感じられん。まさかお前はディゾルブと『相性が良い』とは――」

 テイルの細い髪がとても良い手触りなため、ウーママは自分でも気づかぬうちに指の裏で梳いていた。しかし落ち着いた時間はすぐに終わった。天井に空いた穴より、更に八体のエビ型ディゾルブが飛来する。

「げー!? また!」

 見上げたテイルはビビった。
 いっぽうでウーママは、目視できる前から睨みを利かせている。
 前回はとっさにテイルのブレイズを使ったが、今の彼女はテイルの頭を撫でたことで落ち着きを取り戻していた。そのため今回はきちんと、自身の残り少ないそれを使って赤槍を放つ。

 突っ込んだ赤槍はエビ型ディゾルブに直撃するのだが、まるで赤熱した鉄板に細いつららを押し付けたかように、魔障壁で防がれた。効かない!

《うん?》

 冷静なウーママはふと思い、今度は先程同様、テイルの緑色ブレイズを自分に混入させ、再度赤槍を放つ。

「うっ」

 突然の他意によるブレイズ消失でテイルが声を漏らす。飛び出した赤槍は周囲のエビ型ディゾルブを楽勝で消滅させた。

「なるほど。『こうやって使うのか』」
 ウーママが言う。
 テイルは自分のブレイズをめろっと持っていかれ、倦怠感を感じていた。

「ちょっとばあちゃん、いきなり勝手に使われるとさ、ビビっちゃうよね……」
「すまんな、今試したんだ……新聞で読んだ通り、ディゾルブは魔法を無効化するってのが分かった。テイル、お前の以外はな」
「なんで私だけ……」
「それは知らん。相性が良いのだろう」

 テイルと一緒に立ち上がりながらウーママは、失ったブレイズを得るために、周囲の魔力を吸おうと試みた。そしてすぐ、不愉快な『淀み』が全ての空間を覆っているのに気づく。まるで毒ガスが充満しているような状態だ。

 微量ながらも淀み交じりの魔力を吸ってしまったウーママはいきなり気分が悪くなり、吐き気と眩暈、強烈な頭痛を感じてしまった。彼女は眉を潜めて胸を片手を当てる。

「うぐ!? クッソ。良くないな、テイル……周りの魔力が汚染されてる。吸わない方がいい」

 ウーママの忠告に対し、テイルもためしに魔力を吸おうと試みた。だが彼女の場合、ウーママと違った。

「うわやば、なにこれ! かった!? めっちゃ『硬い』!」
「硬いだって?」
「なんていえばいいのかな。カッチカチに凍ったバニラシェイクをストローで吸ってるみたい。全然吸えねー! みたいな」
「その表現よ」
「なにこれ、どゆこと?」
「ふむ。その緑ブレイズがフィルター変わりになってるから、無意識に汚染を除去するために『硬く』感じるんだろう……なるほど? お前がいて良かったよ、分かってきたぞ……この状況でブレイズを増やすには、連中をボコしてお前が吸うしかないな」
「うげー!? マジで言うわけ? こんなキモイ奴の残り火なんてやーよ!」
「そうも言ってられんだろう。この空間では、私が吸ってもすぐに消えてしまうんだ……悪いがテイル、そしたら私にも少し分けてくれんか? ちょっと寒くなってきた……」

 ディゾルブを撃退するには少なからずブレイズが必要だ。そしてそれは、ディゾルブを倒さなければ増やせない。
 先ほどまでウーママの腕の中にいたテイルは、ブレイズを失った彼女の体が汗ばみ、震えていたのを肌で感じていた。

「ああもぅ……聞かなくとも、勝手に使っていいよ。どうぞ?」
「すまんね、ちょっとだけ貰う……はぁ。外にもお前みたいに、ディゾルブと相性の良い人達が、どれだけいることやら……」

 緑ブレイズを分けてもらったウーママは、ようやく気分が良くなった。
 彼女の思った通りだった。テイルの纏う緑ブレイズを自分の体に混ぜこむと、今の状況でもウーママのブレイズは飛散せず、普段通り彼女に留まり続けたのだ。

 それからウーママは、もう動かなくなってしまった有翼人女性の傍にしゃがむ。可哀想な女性の両目を閉じてやると、胴体に手を添えて言葉を紡いだ。

「炎を宿し産まれた者よ……炎と共に、また昇れ……」

 ボワッと有翼人女性の体が青白い炎に包まれ、次第に炎へ溶けて消えた……この行いは、竜人族特有の弔いである。

 だが思っていたのと違った。

 本来なら炎は空高く昇り、周囲の魔力として還元四散するはずなのだが……まるで炎は『空がどこにあるか忘れてしまった』かのように、いつまでたってもこの場に留まるばかりであったのだ。

《『汚染』のせいだっていうのか?……クソ!》

 臭い顔をしたウーママは、再度炎に手を突っ込む。
 炎はウーママに吸い込まれて消えた……汚染されていない魔力として、彼女が自身のブレイズとしたのだ。

「最低だな……! 他者の命の光りをまた……またこんなことをするハメになるとは!」

 緊急事態とは言え、不本意にも活力を得たウーママは怒りを覚えた。そんな彼女が足元を睨むと、崩れた重い屋根が吹き飛んだ。下敷きになっていたリュックを掴むと、テイルへ顔を向けて言う。

「テイル。ハイロウエフェクトだ。すぐにここを出るぞ」
「う、うん!」

 テイルは両手を広げて目を閉じる。すると頭上には光り輝く輪『ハイロウ』が出現した。
 広がったハイロウがテイルの頭からつま先までくぐると、可愛らしいピンクチェックパジャマが輝き、動きやすいスポーティーな衣服に変化した。
 ピカリと光ったふわふわの猫ちゃんスリッパも、仕事用の固いブーツに変わっている。
 広がった頭髪はゴムで結われ、緩やかなルーズサイドテールとして左肩にちょこんと乗った。
 それら全てはハイロウエフェクト(輪の効果)による奇跡だ。

「『着替えた』! でも私も部屋から荷物を取ってこないと」
「よし。部屋の中じゃーお前の弓は近すぎるから、私が砲台になろう。手早く済ますぞ」
「おっけー!」

 足早に二人はテイルの自室へと戻る。

 買っておいたリュックを引っ掴んだテイルは、学習机の上にある『ホルスターハーネス』を引っ掴む。
 引き出しを開けるとジャラッと音がして、中には山ほどの『弾丸』と『弾倉』、『大ぶりのナイフ』が入っていた。
 翼と腕をハーネスに通して胸の金具を留め、弾倉を掴んで装弾数を確かめる。
 どれもみっちり詰まっており、ハーネスのポケットにスポスポはめる。
 大ぶりのナイフは腰や足など、突っ込めるところに全て忍ばせた。
 予備の弾倉と剥き出しの弾丸を鷲掴んではリュックに入れる。
 それから机の上のガラクタをかき集めた彼女は、溢れるくらいにリュックへ詰め込んだ。

 続いて、ひび割れて黄ばんだ小型冷蔵庫を開ける。

 並んだエナジードリンクや美味しいスイーツを手でどかすと、奥に『ハンドガン』が入っていた。(実際のところ、メンテナンスの関係上、銃を冷蔵庫に保管するのは良くない)
 フルカバードットサイトが乗る小振りなハンドガン『タリウス』は装弾数が十発。グリップやトリガーなどがカスタムされており、だいぶ使い込まれてあった。先端には打撃用のギザギザしたアタッチメントも追加されているため、くっついた状態でも問題なく発射できる。
 冷え冷えのタリウスに弾倉を装填し、コッキング後にセーフティーを上げてホルスターに突っ込む。

 こんな乙女のお色直し最中にも、無粋なエビ型ディゾルブの追撃は続いていた。

 対するウーママは赤槍を使わなかった。腕を組む彼女は顔をちょっと動かして、鋭い金色縦瞳孔を向けるだけだ。
 すると物理的に触れていないにも関わらず、数メートル先のエビ型ディゾルブが三本の爪で引き裂かれたように寸断された。

「雑魚共が。魔法を使うまでもないわ……」

 老練の貫録を見せつけるウーママは、既にエビ型ディゾルブの耐久度を分析し始めていた。遠隔格闘でも倒せる程度のようなので、テイルのブレイズを大量消費する赤槍は効率的に使わない方が良い。

「しかしテイル、まだ終わらんのかね? あれほど準備しておけと言ったのに……」
「まだ! 一番大事な奴が残ってる!」

 テイルは敷かれたビンテージ布団を枕ごと丸めると、垂直に立てて抱っこする。すると布団は光って消えた。

「よし終わった、行こう!」

 その様子を見ていたウーママが呆れて言う。

「まったくそんな物をいつまでも使って……」
「私はこれがないと寝れないの!!」

 
 
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Escape_from_Mariera07
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 廃寺の外は清々しい青空が広がっていた……本当にそれだけならよかったのにと、見上げた二人は思う。彼女達の表情は曇っていた。
 空中には黒い点々が無数に浮いており、それら全てがエビ型ディゾルブである事はすぐにわかった。空気は重く張りつめている……。

 廃れた墓地を小走りで駆け抜け、茶色に錆びた工場の立ち並ぶ広い道路へと出る。
 そこらじゅうで断続的な発砲音と金属音、可哀想な悲鳴が響いていた。

 足元に転がるのは地面に突っ込んだ有翼人達と、腹に無数の穴を開けた人達。ワニ男に豚男。蛇女に蜘蛛女……どこもかしこも、多種多様な種族達の死骸で溢れていた。
 ベロを出してアスファルトに横たわる中型の竜を見たウーママは眉をひそめる。そして顔を上げ、辺りを見渡しながら言った。

「なんてことだ……テイル以外の連中は、本当に……魔法が使えなくなって、しまったのか……」

 つい数時間前まで続いていたはずの『何気ない日常』。
 その『崩壊』を目の当たりにし、さすがのウーママも圧倒されるばかりであった。
 遠くに見える中心街のビル群からは煙がもくもくと上がっているのが見える。

「ばあちゃん……」

 タリウスを握りしめるテイルの右手は震えていた。彼女は視覚情報よりも、周囲に漂う大勢の感情、苦しみや嘆きといった冷たさを、その身に感じ取っていたのだ。
 不安げにテイルはウーママの袖を何気なく握る。
 
「あぁ、テイル……いつもの仕事と同じだ……『害虫駆除』だと、思えばいいよ……」

 ウーママはできるだけ普段通りの落ち着いた口調で喋るよう心掛けようとしたのだが、悪い意味でそれは場違いのように聞こえた。

「そうは言うけどさ――」

 彼女らは普段、アウトローの締め出しや排除、賞金首の追跡、エレメンタルの除霊などを生業としている。

「こんなの……無理でしょ……」

 そうであったとしても、町全体が死体の山で溢れかえる殺戮の場など、テイルはこれまで体験したことはなかった。

 更には、全方位から向けられる殺気の威圧感。
 若いテイルは戦慄せざるを得なかった……。

 広い工業地帯の道路を仕切る煉瓦壁にはスプレーの落書きがされているのだが、飛び散った鮮血によって新たなアートが上書きされていた。
 周囲を旋回飛行するエビ型ディゾルブは得物を見つけるや否や、ヒユンと飛来し襲ってくる。

 今の状況では、ウーママはテイルの傍を離れることができなかった。
 テイルより供給される緑ブレイズを混入させた攻撃でなければ、ディゾルブに有効打を与えることができない。

 テイルに流れてゆく残り火を横から吸い込んでみると、テイルより拝借したウーママの緑ブレイズは希釈され、その色合いを薄めた。するとどうなるかというと、ウーママの纏うブレイズは大気中に放散する割合が増してしまうのだ。
 ならば残り火はテイルに吸わせて、緑ブレイズを増やした方が良い。

「来るぞ、お前もやれるな」
「やる」

 ウーママが問うと、テイルは即答する。
 実際の所、エビ型ディゾルブが幾ら群れようとも、ウーママならば楽勝で払いのけることができた。彼女が金色縦瞳孔を向けた先には、手が届かないような遠方にも関らず、三本の物理的な斬撃が何もない空間に発生する。
 その効果は十分に実証された。今度はテイルの攻撃が通用するかを今のうちに試すのだ。

 ひとたび仕留めそこなえば飛び付かれ、『とても面倒なことになる』なんてのは簡単に予想できる。そのためテイルは慎重にならざるを得なかった。それを踏まえて、彼女はハンドガンタリウスをエビ型ディゾルブに向けて『試射』する。

 放たれた弾丸はテイルのブレイズを纏い、緑色の火線となって黒い装甲を深くえぐった。だが浮いたままだ。
 次いで四発撃ち込む。まだ浮いている。もう四発撃つ。やっと地面に落ちて、青色の残り火となった。

 満足のいかない効果を見たテイルは、その場にしゃがんでリュックを肩から降ろす。それから彼女は、果たしてずぼらなのか律儀なのか定かではないが、抜いた弾倉を交換するのではなく、リュックの中で輝いている金色の弾丸を指で摘まむと、一発一発弾倉に装填しながら言う。

「あんなちっこいのに、こんなに当てなきゃダメ? 効率悪すぎ」
「重たい剣で『割る』よりは楽だろう。弓の方はどうだ」

 ウーママの指示により、次にテイルは頭上へハイロウを出した。
 すると、彼女の眼前と左手が輝き出す。

 左手に現れたのは真っ白いリカーブボウである。
 この弓もタリウスと同様にカスタムされており、樹脂グリップと、広視野のリフレックスサイトが取り付けられていた。弦は束ねたアラクネの糸が使われており、強い絞りよりも、伸縮を繰り返す連射に対応している。リムにスタビライザーはついていない。

 リカーブボウを斜めに構えたテイルは右手をパパッと光らせる。
 すると七十センチ程の三本の白い矢が現れた。左側のへこんだ部分(アローレスト)にそれらを添えると、眼前に現れた半透明水色の『マーク(マジカル・アグメンティッド・リアリティ・サークル)術法陣』越しに空中の敵を視認する。

 直径五十センチ程の大きさで垂直に展開されたマーク術法陣は、五芒星がゆっくり回転し、外周には幾つもの『力の印』が刻まれている。

 マーク術法陣から望む視界の先では、群れるエビ型ディゾルブの輪郭が強調表示されており、『最寄り』の複数の個体には、薄い水色の小さな円が重なっている。

 魔法で作った三本の矢を番え、斜めに傾けたリカーブボウを引き絞りながらテイルは、頭を上下左右に揺さぶる。マーク術法陣は彼女の視線を追うように追従した。

 そしてテイルは、ヂリリッ、ヂリリリリリッと、ブリキのネジを巻くような軽いトーンの連続音が短い間隔を開けて二回鳴る音を聞く。実にコンマ五秒以内の出来事だ。
 それに伴い、効果音と並行して、最寄の標的を囲う『円状ターゲットカーソル』が形を変える。
 最初の連続音で九個。次の連続音が鳴ると、今まで円状のターゲットカーソルが付いていなかった(射程外だった)標的も対象となり、最大十八個の『逆三角形ロックオンカーソル』に変わった。

 マーク術法陣を使用する際の射撃には、物理的なサイトを覗く必要はない。標的を『ロックオン』したテイルは、狙いを付けてないリカーブボウを適当に上へ向けると、右手の指を放して矢を射る。

 飛び出した三本の魔法の矢は、弾丸と同様に緑色の尾を引きながら、空中を縦横無尽に泳ぎ回る敵に対して『誘導して』突っ込む。三つに分裂して九本になり、それらが更に三本に分裂して十八本になった。

 いきなり分裂したテイルのスプリットホーミングアローはそれぞれ放射状に軌道を変えると、過去にロックオンされた視界外の標的にすらも弧を描いて追尾し、曲線的な弾道で迅速に突っ込み貫通する。彼女はたった一射で、十八体のエビ型ディゾルブ群を全て青い霧に変えた。

「いいぞ。ハイロウエフェクトは通用するな。ところで、あの位置の残り火を吸えるかね」

 ウーママから言われて、テイルは十メートル程離れた位置の残り火に手の平を向ける。すると、ゆっくりではあるが、残り火が引き寄せられてくる。

「ぬーんむずいかも。周りが硬いから、あれだけをつまんで引っ張るみたいにしないと。それか一本細い道を作って流すとか……ちょっと練習しないと今は無理かも」
「なるほど。それでは、出来る限り残り火の近くを通って移動しよう。お前がブレイズを切らしたら終わりなんだからな……」

 残り火を吸うため、小走りで近づく二人。意図的に吸うまでもなく、残り火は勝手にテイルへ吸い込まれていった。青い霧を吸った緑ブレイズが、ボワッと勢いを増す。

「あー最悪……」

 青い霧を吸い込む感じは『美味しい空気』を吸ったような清涼感を催すのだが……変化元が元のため、テイルはなんとも嫌な想像をせざるを得なかった。

《あんな化物の残り火なんか吸い続けて、私もあぁなったりしないかしら……》

 道路上には、飛行者の死体を天井やボンネットに乗せてへこんだ車があちこちにある。
 防犯アラームがそこらじゅうで鳴り響いていた。道路状況は渋滞という訳でもなく、蛇行すれば車で通れそうだ。

「それでばあちゃん、どっちへ逃げべきだと思う?」

 リカーブボウで迎撃を行いながら、テイルが問う。

「うーむそのことなんだが……ニュースの話だと南西、あっちからディゾルブが来てるって話だった。だからその逆なんじゃないかな……はぁ。変身できてたら簡単に逃げれたのに、まさか魔法自体が使えなくなるなんて……」
「ホントそれね……まぁしょうがないよ。こうなったら、そこら辺にある車を拝借するしかないわね。大丈夫そうなのを見つけよ?」

 襲ってくるエビ型ディゾルブを蹴散らしながら、竜人とバーディラの女性二人組ペアは、しばらく車両を探す事にする。

 この時の二人には、最初外に出た時の『不安感』が一時的に和らいでいた。
 何故なら、失ったブレイズの回復手段は冷静なウーママによってすぐさま解決法を見出せたし、敵は無限に湧くものの、今のところは楽勝で撃退できていたためである。
 その僅かに産まれてしまった『余裕』により、二人はより良い状態の車両を見つけようとしていたのだ。

 いっぽうで、二人は翼を持つ飛行可能な種族だ。そのため車などなくとも自慢の翼をはためかせれば、楽勝で都市を脱出できるだろう。

 しかしその後は?

 危険生物はびこる樹海や乾ききった広大な荒野など、過酷な自然環境が都市の外には広がっている。そんな厳しい世界で生き残るため、人々は寄り添い、集まり、村や町が誕生し、巨大な国家や都市が創られた。
 彼女たちの常識を踏まえても、なんの準備もなしに外へ出るのは自殺行為なのだ。着の身着のままで都市の外へ出るのは、どうしても避けたかった。

 二人は地元の量販店の駐車場に来た。止まった車列はぐちゃぐちゃで、その中に良い車両を見つけたとしても、外に引っ張り出すのは手間がかかる。

 次に駐車場の路側へと目を向ける。

 なんとそこには荷物満載の、古びた四人乗りピックアップトラックが無傷で停車していた。しかし車の傍には、数名の白い羽根の有翼人女性達と、同じ有翼人の青年が、うつぶせの状態でアスファルトに倒れていた。青年の傍には剣も落ちている。全員が腹部に穴を開けて、血だまりに浸っていた。

 それを見て一度だけ眉に力を入れたテイルは、青年に近づいてしゃがんむと、サッと一瞥(いちべつ)する。そして、これより調べる各部位へ手を向けるジェスチャーをしながら、ひとつずつ語った。ちなみに、考えを口に出して述べる、というのはウーママから教えられたことで、その方が考えが纏まるためである。

 まずテイルは、揃えた指先を青年の手元にある剣に向けた。

「あぁクソ。最悪だわ。得物(剣)は広い範囲で刃こぼれしてる。切れ味がなくなるまで、この男の人は沢山のエビ野郎を斬りつけたみたい。あれとの接近戦は恐ろしかったでしょうね――」

 青年の両手。

「この人の手は綺麗。親指と人差し指の付け根に角質が見られないから、普段から武器を取るような人ではなかった。『普通の会社員』だったんだわ。セールスマンか、事務所務めか……それでも戦ったこの人の姿は、とても勇敢に見えたはず――」

 血に染まった翼。

「翼の形状は、鋭くて長い特徴的な羽根の形状で真っ白。バーディラ属、バーディラ種だ――」

 青年の背中。

「この人の背中には複数の穴が空いてる。でも、ここから血の池を作るような出血跡は見当たらない……衣類の破れ方が外側に向いてる。腹側から胴体を貫かれて、うつぶせに倒れたんだわ。内蔵損傷と失血。言うまでもなく、エビ野郎が針を穿つ『やりくち』と一致する……自分の血で溺れて、さぞ苦しかったことでしょう……」

 マーク術法陣を使って詳しく『検視』する必要のないほど、彼女の洞察力からすれば、見た目で分かりやすい状態であった。普段なら大きく開かれているはずのテイルの可愛い瞳。死体を見つめる今の彼女は、まるで別人のように目を鋭く細めていた。

 荷台の物資を眺めるウーママ。青いビニールシートの上からロープで固定される。
 中を確認すると、便利なキャンプ用品や保存食、ペットボトルの水、衣料品やメディキット等、是非とも欲しいものは一通りあった。車体はボロいが、これを使うならば物資を探す手間が一気に省ける。

 そこで彼女は運転席のドアに手をかける。開かない。

 今度は青年の元でしゃがむと、無言でポケットをまさぐり始めた。
 鮮度の良い温かな死体を躊躇なく触るウーママ。その行為を目の当たりにしたテイルは、サーッと血の気が引く感覚を覚える。

「ばあちゃん……や、やっぱりその、エンジンついてる車探さない……?」 

 車を奪おうなどと軽く考えていたテイルはこの土壇場で、己の行為が『略奪』に該当し、それは『恥すべき行為』であるという気持ちが今さら溢れ出し、心が良心の呵責で満たされてしまっていたのだ。

「何を言ってる。彼等にはもう必要ないものだ――」

 対してウーママは軽々と言い放つ。青年をべチャッと裏返して、血まみれの胸ポケットを探りながら言った。

「あぁクソ、こいつじゃない。お前も車の鍵を探せ。そっちの方が得意だろう」

 指先についた血を青年の衣服で拭うと、いそいそと次なる死体の『略奪』に取り掛かるウーママ。

 言われたテイルは、頭上にハイロウを出す。連動してマーク術法陣が眼前に展開された。
 目の前に浮かぶこの透明な水色魔法陣越しに探し物を想像しながら世界を見渡せば、探し物は遮蔽物を透過して、その輪郭が目立つようにハイライト表示される。

 足元を見渡すと、鍵はすぐに見つかった。車両正面に倒れた女性の……血だまりに落ちた鞄の中だ。

 テイルは中を開くと、化粧品の匂いがかすかに香る……。

《ごめんなさい》

 今まで血の匂いばかりが覆っていたため、その違いが強く感じられた……鍵以外には財布とス魔ホ、櫛や口紅、その他コスメグッズが入っている……もう見ていられない!

 丁寧に鞄を閉じ、鍵だけを手にしたテイルはウーママに見せる。
 しかし次の瞬間。なんとテイルは腕を背に回し、鍵を隠してしまったのだ。

 そしてウーママへ言う。

「ばあちゃん。この人達をさ。その……焚き上げて欲しいの」
「テイ……ッ!――」

 おでこに手を置いたウーママは目を閉じて上を向き、叫ぼうとした勢いをどうにか抑え込んだ。ため息交じりに手と顔を下ろした彼女は、ゆっくりと、静かに、だがきつめの口調で、開いた両手の仕草交じりにテイルへ言い聞かせる。

「この状況下で何を言っておるのだね?『そんなこと』をしても無意味だ!」
「だって、一応その、私達が……」
「……ハァ~まったくもう~、分かった、分かった。そうかそうか。お前がそうまで言うならそうしよう……その代わり、周りの雑魚共を近寄らせるんじゃーないぞ。あぁ面倒くさい……」

 普段はやんちゃなテイルだが、時折ひどく感傷的になることがある。そして、特に近年はその頻度が高くなる傾向があるように、ウーママは思う……状況は切迫していた。だがテイルのそれは、他人が律するべきではない『プレシャスな長所』であると強く感じるウーママは、『たとえ時間を無駄にしてでも』、我が娘の慈悲を尊重することにしたのだ。

 二人は散らばった亡骸を引っ張り並べ、それにウーママが手を向ける。
 ボワッと青い炎が燃え広がり、見る見るうちに遺体は炎へ溶けてゆく。

「炎を宿し産まれた者よ。炎と共にまた昇れ――」

 そこでウーママはテイルを想い、考えながら更に言い紡いだ。

「かの者達の軌跡は。我らの、希望と成り得るだろう……」

 燃え上がった青い炎はウーママよりも大きい。
 だがやはりディゾルブ影響下では、炎が舞い上がることはなかった。
 その場に留まる炎を見たウーママは、強烈な『飢え』をその身に感じ、『とても美味しそうだ』と食欲が誘惑する。

 ウーママは炎に手を突っ込んで頭上に持ち上げると、上空へ勢いよくぶっ飛ばした。
 発光する青い槍のように視覚化されたそれは、雲よりも高く飛び上がり、空の青色と同化した。

「あの……サンキューばあちゃん……あの魂、吸わなかったんだ」
 お礼を言うテイル。ブレイズを増やせない状況にも関わらず、娘の気持ちを汲んだウーママはそれをしなかった。

「人喰いはとても甘美で、罪深くて、背徳的だ。それにもう私は、これ以上業を背負うなんてのはごめんだ」

 空を見上げながらウーママが言う。打ち上げた炎は汚染の外に出られただろうか? そんな風に思ったテイルは、ウーママのブレイズがちょっぴり減っているのにすぐ気が付いた。その減った分というのが、家で吸った有翼人女性の魂だということも。

「私のをあげるから、ね?」

 気を利かせてテイルが言う。

「まったく莫迦むすめが。お前のは乳臭いんだ……うん?」

 ドドドド……と地鳴りが聞こえる。
 目を細めたウーママは音の方向を見る。
 すると遠くに見えるビル群の合間、空に浮かぶ黒い点々を引き連れながら、こちらに向かってくる『何か』を見つけた。

「お、おいテイル。あれあれ……見えるか?」

 指を刺すウーママ。テイルはマーク術法陣を展開し、拡大表示された遠方を見つめて声を上げた。

「えっ! ちょっとうそ! あれってばクレアだ!?」

 
 
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Escape_from_Mariera08
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 空を飛翔するクレアは、後ろに向けたファミリアに背面射撃をさせながらこちらに突っ込んでくる!

「オイオイオイ、待て待て待て! クッソ! あんなに『友達』を引き連れて! テイル、エンジンかけろ! 今すぐだ!」
「分かった!」

 叫んだウーママはクレア側に向う。
 テイルは運転席に飛び乗ってキーを回した。

 ギュンギュンギュンギュン……というような音を上げて、セルモーターの鳴き声が止まる……彼女は顔が熱くなる感覚がして、すぐに悪寒を感じた。それからキーを何度も回すのだが、まったくかかる気配がない。

「うそでしょお~~なんなのよこれ、かかんねえぞ!」

 迎撃を行うために魔法を使おうとしたウーママだったが、いきなりブレイズを吸い込むとテイルが『息切れ』してしまう。
 そのため彼女は左手を前に伸ばして、数秒かけてゆっくり丁寧にブレイズを圧縮成形し、三十センチ程の綺麗な火球を練りあげた。まるで炎を内包したピカピカの水晶玉みたいに綺麗だ。

 ドゥン! と火球を飛ばしたウーママ。向けた左手は開かれたままだ。

 まっすぐ突っ込んだ火球は見えなくなるほど遠のいたが、丹念に練りあげられた精巧な魔法の火球は、周りの様子をウーママに視覚情報として伝えている。

 トラックの方はというと、相変わらずセルモーターのか弱い鳴き声だけが響くばかりだ。

 火球はクレアを通り過ぎた。
 それを火球視点で目視確認したウーママは、しばらくもせぬうちに伸ばした左手に力を籠める。すると火球が直径三十メートル規模の大爆発を引き起こし、後続のエビ型ディゾルブ群を盛大に吹っ飛ばした。

 ギュンギュンギュン! ブルルンブルルン!

「しゃラァ! きたきたァー! フォーー!」
 ようやくエンジンがかかり、叫んだテイル。
 テンションの上がった彼女は、左手でレバーをスコスコ回して運転席の窓を下げた。そして遠方よりはるばる到着したクレアへ、呑気にも声をかけた。

「よぉ銀シャリ! バスに間に合ったなぁ、アンタも乗ってく~?」

 息を荒げたクレアは、そんなことを言うテイルを前に立ち尽くしていた……ちなみに『銀シャリ』とは、学生時代にテイルが名付けた不名誉なニックネームである。

 クレアの服にはべっとり血がついて、化粧が涙の伝った跡を残す綺麗な顔は汗まみれだ。
 ほっぺたにへばりつく銀色の髪を指で払うが、素敵なネイルアートは無残にも欠けていた。
 呼吸を乱しながらクレアは勢いよくドアを開き、中に座るテイルをぎゅっと抱きしめた。

「あぁもう莫迦! 『よかった』!『よかった』!」
「うお、ちょっとアンタ――」
「『死んだかと思った』……」
「……」
「ホントに……よかった……うう」

 嗚咽を漏らして泣き出してしまうクレアに対し、テイルはどうしていいか分からない。
 困ったテイルはウーママに目を配る。これにはさすがのウーママも、助け船を出さねばならないようである。

「あぁ、クレア……危険を冒して、よくここまでこれたものだ。強い子だ――」

 肩をさすりながらウーママが優しく告げる。クレアは名残惜しそうに体を離した。

「どうしてここが分かったんだい?」
「ぐすん。えと……青い光が、空に上がって。それで、もしかしてって、思って……」

 表情には出さなかったが、ハッとしたウーママは思った。もしかしたら先ほどの魂が、迷走したクレアの『直感』に働きかけ、導いてくれたのかもしれない。

《まさか……やはり『善行』は行うべきかね。こういう時のレコ種(テイル)の勘の鋭さたるや》

 うんうんと頷いてウーママが言う。

「そうであったか……よーし、もう心配ないぞ? ここから一緒に逃げよう。さぁ、後ろに乗って」
「は、はい……ぐすん。ありがとう、ございます……あ、あのっ、ウーママさん!――」

 後部座席を開いてくれたウーママに、クレアは来た方向へ指を向けて言う。

「向こうから大きなっ、蜘蛛型のディゾルブが来ますッ! 空のとは、段違いの強さなんです!」

 指さす方向に顔を向けるウーママ。
 そこには地平線を覆いつくす黒い物体が蠢いていた。いつの間にか高層ビルの外壁も、黒いウニョウニョで満たされている。

 更には、まるでパーティー会場のように『赤色火線』が何もない上空へ向けて無意味に乱射されていた。それにしては誰かが交戦しているようには見えない。連中が行っている事は破壊であった。

《くそ。魔法が封じられては、軍隊も意味をなさなかったようだな……こうも簡単に都市が落とされるとは……このマリエラはもう終わりだ……》

 クレアを追ってきた地走する蜘蛛型ディゾルブは、黒い帯と化して急速にこちらへと迫っている。

 不用意にネガティブな意見を口にするのはやる気をそぐため、ウーママは今の悲観を自分だけに留めた。

「あぁ~ん、『これは良くないな』。なるほど? この地鳴りは連中のマーチによるものだったか。しかしまぁ見た限りだと車の方が速そうだし、『さぁもう行こう』。ただ、荷台の締めを見るから、ちょっと待って欲しい」

 後部座席のドアが閉まる音がして、クレアが乗り込んだのをバックミラーより見つけたテイル。彼女は何度か瞬きしてから目線を逸らすと、ハンドルの下側を両手で握り、もどかしそうに口を開いた。

「あの……クレアさ。家族と一緒に逃げるんだと思ってたけど……なんでこっちに?」

 ポケットティッシュで顔を拭きながらクレアは答える。

「ハァ! もう。何回も電話したのに、『尾っぽちゃん』が寝ぼけてたからよ! 私もウーママさんに乗せて貰おうかと思ったのに……まさかこんなに速く、街が襲われるだなんて……でも生きててよかった……」

 サイドミラーにはウーママが荷台のロープを引っ張る姿が見えて、車体がグワンヌと揺れる。ちなみに『尾っぽちゃん』とは、学生時代にクレアが名付けた不名誉なニックネームである。

 自分を心配してくれた親友に対しテイルは、なんとも恥ずかしい気持ちになった。

「わわ、私はさ!? ホラあの、害虫駆除やらイレギュラーハントやらで切磋琢磨してるから。この程度でやられっかっての!」
「ぐすん。そうね。そうよね……でも……あ、そうだ」
「あ、そうだ!」

 ここで、クレアとテイルは二人同時に、同じことを思い出したのだ。

「どうして魔法が使えるの!?」

 テイルは後部座席に身を乗り出して、目を合わせたクレアと同時に言葉が被った。そして続ける。

「敵を倒すと青い残り火になって!」

 続いて体を突き出しながらクレアが言う。

「それが寄ってきて魔力になるの!」

 早口でテイルは続ける。

「みんなのブレイズが消されちゃって!」

 興奮気味にクレアも紡ぐ。

「風に吹かれたら、ブレイズが緑色になってたの!」

 勢い余った二人は、ガチ恋距離まで顔が近づいてしまった。
 はにかんだクレアは若干うつむいて、おでこをテイルにコツンと当てる。
 にやけたテイルはえへへと笑い、わざとらしく運転席に飛び戻り、バックミラー越しに目線を送る。するとクレアが言った。

「でも私だけじゃなくて本当に良かった。ウーママさんもテイルも、魔法が使えるのね」
「あーいや、それが……ばあちゃんもブレイズが消えちゃったんだ。だから今は私のを使ってる」
「え……なんですって!?」
「私のを混ぜると、ブレイズが消えにくくなるんだってさ。なんでかは知らんけど」
「それじゃ、テイルと私の、二人しか……使えないってこと?」
「そのようね。コッチは起きた時からブレイズがメッチャ光ってたけど……クレアは?」
「私は飛んでいて、ディゾルブが出した風ってのに、吹かれた時から……」
「クレア街中を通ってきたんでしょ? 他にも緑色になってた人はいた?」
「分からない……ブレイズが吹き消された人達ばかりで――」

 クレアはここに来るまでの惨劇を思い出し、ブルッと身を震わせた。

「……みんな、みんな、殺されたわ……」
「……」
「私のリスナーも、近づくだけで魔法が使えなくなるとは、誰も言ってなかったのに……」
「……」

 返す言葉を失ったテイルのすぐ真上で、天井を強く叩く音が三度鳴り響いた。彼女は驚いて両肩を上げた。その音は、積荷確認を終えたウーママの合図であった。

「オッケーだ、テイル!」
「ビックリしたー!? あいよォ!」

 
 
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Escape_from_Mariera09
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 荷台に乗ったまま、ウーママは周囲のハエ叩きを続けつつ、時折遠くを見るように目を細めた。
 そこから見えるのは、地平線を覆いつくす黒い絨毯。それは巨大な蜘蛛型ディゾルブであることが、目視で分かるほどに迫っていた。巨体にも関わらず、八本脚の移動速度は予想以上に素早い。もう数分の猶予もないだろう。
 テイルはさっそくブレーキを踏んでシフトを動かす……動かそうとしたが……?

 ギュワワン! と、あまり聞きたくないエンジンからの甲高い摩擦音が聞こえた。

「あーこれマジで言ってんの」

 不意に『運転手』は言う。

「あーはー。えーそういう感じですか。はいはい、『あー分かる』。『あー分かるなーん~』」

 それから謎のイカれたスペルを発したテイル。

「こっちのペダル踏みながらでしょ」

 次の瞬間、トラックは大げさにガンクガンクと前後に揺れて、せっかく回っていたエンジンが止まってしまった。なんということだ!

「嘘だろォ~? おい莫迦娘! 何をやっている!」

 運転席の窓枠に顔を突っ込むウーママ。テイルは両手を開いて顔を向けた。

「だってこれマニュアルじゃねーか! あたしゃーAT限定なんだよ!」

 見るからにがっかりしたウーママは大げさにうな垂れてしまった。大きなため息の後、グンと持ち上げた顔をクレアに顔を向ける。
 残念ながら、彼女も両掌を向けた。

「あのえと! わ、私は免許自体持ってなくって!」
「まったく最近の『へなべら』は! 代われ代われ!」

 テイルを強引に引っ張り出したウーママは、再度エンジンをかけ直す。ちなみにウーママには立派な赤い鱗の尻尾があるのだが、昨今の種族汎用車両は翼や尻尾のある種族でも着席できるよう、背もたれの下部が空洞となった独特な形状になっていた。この型遅れのトラックも例外ではないようだ。

 ギュンギュンギュンギュン! キーを回しても空回りを続けるセルモーターは、どうやらへそを曲げてしまったらしい。

「ウオオーーー!? オイばあちゃんなんだあれ! あっちの黒いの!?」

 外に出たテイルは、初めて蜘蛛型ディゾルブを目視して驚愕する。すでに連中がそこまで来ているではないか!

「分かったならさっさと追い返すんだよ莫迦娘が!」

 ウーママの怒号が飛んだ。

「なんだよありゃー!? オイ銀シャリあんたの厄介オタク共か!?」

 わめきながらテイルは頭上にハイロウを出して、純白の翼を翻す。荷台に飛び上がると、左手をパパッと輝かせてリカーブボウを出し、半透明水色のマーク術法陣を眼前に展開する。

「冗談じゃないわ違うわよ!」

 後部座席から飛び出したクレアも赤黒い翼を広げて軽く荷台に飛び乗り、テイルの隣で目玉コウモリのファミリアを二体出した。

 ギュンギュンギュンギュン! エンジンはちっともかかる気配がない。

「ばあちゃん! 鍵回す前に、アクセルを二回踏んづけろ!」
「なんだってぇ!?」
「アクセル踏んでから回せっつってんだよばばあ!」
「テイル! 上を頼むわ!」

 クレアのファミリアは、前方に向けて紫光弾によるワイドなバラージュを蜘蛛型ディゾルブに浴びせる。
 群れるディゾルブに突っ込んだ紫色火線は容易く魔障壁を貫通し、被弾した標的の足を止めて進行を遅らせた。

 テイルは展開したマーク術法陣を、頭上に飛び交うエビ型ディゾルブに向ける。子気味良いトーンが連続して響き、矢継ぎ早に複数の『敵意』をロックオンした。

 魔法の矢を三本番えて射る。
 放たれたホーミングアローは途中で分裂し、一度の射撃で十八のターゲットを同時に射貫いた。

 ギュンギュンギュンギュン! ふてくされたようにエンジンは空回る。

「ばばあ早くしろォーー! 蜘蛛野郎との距離、約三十メートルだ!」
「お前の『おまじない』がちっとも効かないんだよ莫迦娘が!」

 せっせと弾幕を張る二人だったが、大群相手には焼け石に水だ。
 しかも定点攻撃であるため、せっかくこしらえた残り火は遠すぎて吸えない。
 飛来するエビ型ディゾルブのそれを吸っても消費量が圧倒的に上回るため、彼女達のブレイズは底を付きかけていた。

「テイルやばい。もう撃てない……」

 本来ならいつでもその辺から魔力を吸えるのに、今はできない!
 連射速度に秀でたクレアの紫光弾による掃射は、制圧力と足止め効果が高いもののブレイズの消費が激しい。そのため彼女のブレイズはすっかり枯渇してしまい、強烈な肌寒さと息切れを感じる程になっていた。

「クレアこいつを! 銀シャリユーズディス!」

 焦るあまり、テイルは同じ意味の言葉を繰り返しつつもタリウスを抜いた。セーフティを外し、顔を向けずにクレアへとグリップを差し出した。

「あぁもう嘘でしょ止めてお願い。本当に。拳銃なんて嫌よ。駄目。それは絶対に駄目」

 それを見たクレアは両手を胸元まで引いて、いきなり駄々っ子のようになってしまった。
 彼女は最近の若者にありがちな、片寄ったマギシスト(魔法至上主義者)なのだ。暮らしを豊かにする科学技術には寛容だが、銃なんて野蛮なものを許せるわけがない!

 たまらずテイルは顔を向けた。

「しょーがないでしょ!? ブレイズがなくても銃ならこっから撃てんのよっ、じゃあこの弓でも使うかァ!?」

 クレアはアーチェリーなどしたことがなかったし、その辺に落ちてる剣や斧を拾って格闘戦を挑むなんて無茶だ。ましてや、テイルのブレイズをシェアするのは最も悪手であり、たちまち使い果たして連中に飲まてしまうだろう。

 臭い顔のクレアは汚いものを触るようにして、いやいやながらも細い指先でグリップを摘まむ。

「あああもうなにこの下品な形。う~っわ。ほんっと最悪。ほんっとサイテー。アンタの品格を疑うわ」
「酷いなそれ私のタリウスだぞ!? そいつでアンタの厄介オタクに『直筆サイン』をくれてやんのよ!」
「だから違うって言ってるでしょーが!!」

 威力こそある矢は連射が効かない。周囲を包囲せんとする蜘蛛型ディゾルブは、既に十メートル手前まで来ている!

「やべーー!? 銀シャリ撃て撃て撃て!」
「いやあああーーー!」

 矢と弾丸が無数の緑の尾を引いて、目の前を覆いつくさんとする蜘蛛型ディゾルブに降り注ぐ。複数の矢がディゾルブの魔障壁を貫通して黒装甲に深々と突き刺さると、その足を止めることが出来た。
 一方で、タリウスは実体弾を発射するため、ブレイズの消費はほとんどない。その代わり威力は見込めず、魔障壁を貫通できない。クレアは数えていなかったが、十発目を撃った瞬間に、銃のスライドが後退したまま固定された。

「うわっ!? テイルちょっとヤバ! 壊しちゃったかも!」
「そりゃー弾切れだよォ! 弾倉は内ポケ!」
「(テイルの体を)こっち向けて早く!」

 手早くテイルの脇腹から弾倉を取り出すクレア。彼女は銃など使ったことはなかったが、色んなゲームやメディアで見慣れたおかげで、大体の仕組みは分かっているつもりだった。この弾倉を交換すればいいのだ。

「は!? ちょっと! これどうやって出すの!?」
「マジかよ見ただけで分かんねーかなぁ! 親指んとこのボタンを押せ!」
「どのボタンよ! いっぱいあるじゃないの! また壊すのはやぁよ!」
「うおおヤベーーー!?」

 二人がまごまごしている間に、蜘蛛型ディゾルブが距離を詰めてしまった。その内の一体が巨大な前脚を荷台に乗せた。

「クッソがァ!」

 とっさにテイルが矢を射り、昇り始めた蜘蛛型ディゾルブを引き剥がす。もう持たない!!

 ギュンギュンギュン! ブルルンブルルン!

 丁度その時だ。ご機嫌な車体の力強い振動を、二人は同時に感じた。

「ァァァああいいぞおオオーー!?」

 車内で肝を冷やしっぱなしのウーママもさすがに叫ぶ。

「いけいけいけ! だせだせだせだせ!!」
「ウーママさあああああん!!」

 絶望と恐怖の中で、突然膨れ上がった歓喜により感情がキャパ越えした二人。
 豪語力がゼロになったテイルとクレアによる渾身の『裏声絶叫』がこだまする。

 クラッチとブレーキを踏みつけたウーママは、勢いよく叩き込んだシフトレバーを掴み続けながら、ブレーキを放してアクセルを踏み込んで、ほぼ同時にクラッチを緩やかに上げる。
 するとピックアップトラックは、タイヤをアスファルトにギャルルと食い込ませて、跳ねるように飛び出した。

「おおオオォォーー!?」
「おわアアァァーー!?」

 またしても裏声絶叫を出した二人の体は、薬莢と共にスルーンと後部へ滑った。その先には追いかけながら荷台へ乗り上げようとするディゾルブおり、二人の頭上には振り上げられた巨大な前脚の切っ先が黒光りしていた。
 左足でクラッチを踏みつけたウーママがスココンとシフトを上げると、車体がズヌンと上下に揺れる。

 前脚は振り下ろされたが、加速したトラックには『すんで』のところで届かなかった。

 がんばって両足で踏ん張るテイルとクレアは抱き合いながら、剥き出しの荷台の上で裏声になりながらも叫びまくった。

 グングン加速するピックアップトラックは、アラームを鳴らす車や死体等の障害物を回避しながら、広い工業地帯を突っ走った。

 時速七十キロに到達すると、後ろの蜘蛛型ディゾルブを徐々に引き離してゆく。

「テイルーー! まえまえまえ!」

 ウーママの叫びを聞いたテイルはそちらを見る。複数のエビ型ディゾルブが鉤爪を広げ、前方から突っ込んで来ていた。

「やば!?」

 突風吹きすさぶ中で体を起こしたテイルは、リカーブボウを運転席の天井に据えて射る。弦の絞りも甘く、ちっとも狙っていないにもかかわらず、そこから射られた分裂する矢は、緑色の尾を引いて前方のエビ型ディゾルブに誘導して突っ込み、貫通して撃破した。

 浮いた残り火目掛けてトラックが突っ込む。青い霧に包まれた二人は、やっと幾ばくかの『息継ぎ』することができた。

 後方を確認しようとウーママはサイドミラーを覗こうと目をやる。
 すると覗く間もなく、赤色火線がサイドミラーを吹っ飛ばしてしまった。

「うわっあぁクソ! なんだよ!?」

 右手でハンドルを握るウーママは驚くと同時に悪態をつく。バックミラーに映る蜘蛛型ディゾルブは、こちらに向けて赤光弾を放ってきたのだ。

「ちっくしょうアイツら!」

 ブレイズを増したクレアは、迫る赤色火線に対し左手を向け魔障壁を張る。
 能動的に展開された魔障壁は半透明な琥珀色のドームとなって車体を包み、無数に飛来する赤色火線を偏光させて左右に逸らした。

 問題はまだある、今度は十字路で玉突き事故を起こした車列が、進路を塞いでいるではないか!

「あァあァあァあァ!? やばい、やばいぞ! クッソクッソ!?」

 途端にギアを何速か下げられたエンジンはやかましい悲鳴をあげた。巧みな足さばきによる見事なドラテクを駆使し、ウーママがハンドルを素早く切る。

 ピックアップトラックは傾きながらも、封鎖された十字路を衝突ギリギリで曲がった。

「おぎゃああーーー!?」
「ほあああァァーー!?」

 荒ぶる車体に翻弄されながら、がんばってしがみ付くテイルとクレアの裏声絶叫が轟く。
 地面にゴムタイヤの跡を残しながら、オーバーステアのドリフト音がその裏声絶叫とコラボした。

 重荷を乗せる車体は倒れかけたが、荷台にへばりつく二人が無意識ながらも重心を寄せてくれたため、横転せずに無事体勢を整えることができた。
 赤色火線は連なる車列に縫い跡を創り、続いた蜘蛛型ディゾルブが次々と乗り上げては覆いつくす。

 突っ走るピックアップトラックは工業地帯を抜けて広大な田舎道へと出た。ここから先は緩やかなカーブの一本道しかない!

 走行するにつれて、周りの景色には建物や樹木が極端に少なくなった。

 近代的な街並みはいつしか、ダイナミックに隆起する岩壁の広がった、黄土色の荒野へと装いを変えてゆく……。

 赤色火線を吐き出しながら追撃をする山ほどの群れ。
 今もなお増え続ける空の不気味な黒点。
 もはや三人には見えなくなってしまったが、マリエラ都市に並ぶ幾つかの高層ビルは、音を立てて崩れ落ちていた。
 誰もいないはずの都市内。そこでは未だに赤色火線が四方八方、空中にさえも向けて乱射され続けている。
 クレアが見たメトロの入り口。そこからは今でも蜘蛛型ディゾルブが湧き出していた。さらにその暗闇の奥。明らかに他とは違う赤い眼光が、いくつか揺らめいていた。

 魔法と科学が同居するこの世界に、異変が起こっていた。
 突如出現した敵性生物『ディゾルブ』。
 その目的が支配ではないのは明らかだ。
 奴等の目的、発生理由など知る由もないまま、世界は混沌の時代へ移り変わった。

 ――――

 そしてマリエラの惨劇から一年後の春。
 天の彼方より黒煙の尾を引いて、一隻の宇宙貨物船が地表に激突する。
 そのパイロットは、おでこに白い一本角を持つオニカヅチの青年だった……。


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