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髪を切ってみたら

あまりの暑さに耐えきれず、髪をショートにした。
肩に付くくらいのセミロングだったけれど、この暑さの中ドライヤーで髪を乾かすのも苦痛になってきた。
ここ10年近くは前下がりボブがそのまま伸びたような感じで、クリップで後ろやサイドを留めていた。
何となくショートにするのが嫌で、肩に付くくらいの長さはどうしても欲しかったのだ。
実のところ、昔からショートにすると褒められて、伸ばすと反応はイマイチ。
自分でもそれは気付いていたけど、それに抗うように切るのを拒んでいた。
なぜそんなことを改めて考えたかというと、今回髪を切って非常に気分が良くなったから。

久々に髪を短くしたら、表情や顔つきが変わった気がした。
顔の造作は致し方ないとしても、鏡の中の表情が明るいのだ。
美容師さんにショートにしたいと伝えた時に、はじめはイメージしづらいような雰囲気だったけれど、いざ仕上がってみたら「絶対この方がいいですよ!」と言われた。
勿論、彼女の腕によるところが大きいのは間違いないが、妙に嬉しかったのだ。


どうして髪を短くすることをあれほど拒んでいたのか、それらしき理由がふっと浮かんだ。
それは「幼児体験」。
ごく小さい頃のアルバムを見ると、昭和40~50年代初頭なのでそんな子はたくさんいたのだけれど、短めのおかっぱ。
ワカメちゃんやちびまる子ちゃんに金太郎風味を添えて、といった髪型だった。
それが嫌で、幼稚園や小学校で髪を2つに結んでいた子や三つ編みの子がすごく羨ましかったけれど、2ヶ月もすれば床屋に連れて行かれるので憧れはなかなか成就しなかった。
ところが小2くらいのある時、床屋に行く機会がない時期があり、その間に髪が伸びた。
肩を超えるくらいの長さになったので、あの憧れの2つ結びにしてもらったのだ。
ツインテールというニュアンスではない。耳の後ろ位で2つに結んだ昭和の小学生スタイル(しずかちゃん風味か)だったけど、きれいなビー玉のついたヘアゴムを付けてもらった時は嬉しかったなあ……

それも夏休みでおしまい。
祖母の家の近所の床屋で、結び髪の短い夢は儚く消えたのだった。

その後は髪は短いまま。中学では校則で(元から長い子のみ三つ編みを許された)ショートから逃れられず。
高校生になってようやく自分の意志でロングヘアを実現。
パーマは禁止だったから前の晩に三つ編みをして寝て、朝起きたらウエーブが出来ているのが楽しくて、長い髪のケアも面倒じゃなかった。
またある時は、当時流行っていたワンレングスにしてみたくて前髪を大事に伸ばして、いざ揃えようと思って美容院に勇んで行ったら、田舎のおばちゃん美容師さんワンレングスをご存じなくて大事な前髪をバッサリ。あん時は泣いたなあ。
結局リアルちびまる子ちゃんとなり、あくる日教室に入る時に鞄で頭を隠していたら「カワイー!」と同級生にキャーキャー言われたのはちょっと救いだった。こういう時女子校で本当に良かったと思う。
一喜一憂しながらも、髪に関して最も楽しかったのは高校時代かも知れない。
されど、あの2つ結びにはもう戻れなかったのだ。

大学生から20代の頃。
最近はどうだかわからないけど、当時は髪の長い女子が良しとされていた風潮があった。
彼氏の好みに合わせて髪を伸ばしては、喧嘩した腹いせに「アンタの好きにさせてたまるかよ」とばかりにバッサリ切ったなんてこともあったし(可愛くない女っすね)、一時期モード系にカブレてベリーショートにした時は男子に大変不評だった。
女子からは「いいね!ライターっぽい!(←イメージ)」と褒められたのは面白い。
男が求める女性像と、女が求めるそれとの乖離はどうしても埋まらない溝のようなもので。

それ以降は長いこと肩に付くくらいでキープしていた。
長めにしていると、周囲から微妙に不評だったのは承知の上で。
短い方がいいよ、と言われても素直になれなかったのは、小2の頃のキラキラしたビー玉のヘアゴムへの心残りがあったのかも知れない。

髪を結ぶこともなくなり、どこかに行ってしまったオレンジ色のビー玉。

今回、美容師さんの腕と言葉をきっかけとしてそれに気付いただけでも、あのビー玉を求める気持ちがそっと昇華できたような気がする。


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