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どこまで行っても逃げてやる!

「どこまで行っても逃げてやる!」とは98年毎日王冠でサイレンススズカが圧巻の逃げ切り勝ちを収めた際の名実況。リアタイ世代としてはその次走で天まで逃げ切ってしまったことを思うと涙を禁じえない。

実生活でそんなフレーズを我が事として思い浮かべる機会があった、ということで。

7月下旬、2日前から出張に行っている夫はあと1~2日は帰らないし、マイペースで仕事して自分の分だけ家事をして、のんびり過ごしていたところ。
そんなある朝、不穏なLINE。
「発熱した」と。
折しもコロナ7波が爆発的に広がり始めた頃。やはりこれは、とその時点で覚悟した。
残念ながら現地の医療機関ではどこも受け付けてもらえず、発熱した状態で新幹線で帰る他は打つ手なし。とはいえ出張先で入院とかホテル療養になっても後々大変なのでそうするしかないわけで。

戻ってくるまでの間、休憩時間を利用しひとまず必要なものを買い出しに。当座の食料に飲料、アルコール除菌グッズ等々を、いずれ自分も感染することを見越して多めに買い込み、別室に布団を敷く。
念のため部署内には現状を共有して、同席予定の商談をキャンセル。
普段うすらぼんやりしてる割には、こういう時に妙に冷静になる私。

昼過ぎに夫帰宅。
熱は38℃台後半。帰りにかかりつけ医に寄ったが飛び込みのPCR検査は不可とのことで、とりあえず私もマスクに手袋と完全防備で対応し、まずは寝てもらう。一応食事はとれる状態でひと安心。

ついに我が家にも流行り病が来たか、いや違うかも知れない、とぐるぐる考える不安な一夜。とにかくこまめに手を洗い、タオルは別にして、ドアノブもこまめにアルコールシートで拭きまくり。トイレの便座まで毎回消毒はしてなかったけど。
食事は部屋まで運び、ほぼ無言でトレイで受け渡し。もちろん室内でもマスク着用。
これでどこまで防げるか、防げる自信は全く無かった。

翌朝、熱が下がったとのこと。その代わり咳が出始めたのでこれはもうビンゴではないかと。幸い、朝一でかかりつけ医に電話をしたらPCR検査の予約が取れたので少し安心。
実は前日のうちにAmazonで注文していた抗原検査キットが届くことになっていた、はずが届かず。夜遅くになって遅れる旨の連絡が……
*抗原検査キットで正確な判定が出来るわけでないとは理解済み。ほぼ気休めながらも、ここ数日の感染爆発で注文が殺到していたのかも。

そんなこんなで熱は下がって少し元気になった夫、PCR検査へ。
結果が出るのが24時間以上先ということで悶々としながらも、本人はみるみる回復している様子。そして私自身の体調もおかしなところがないか気を配らないといけなかった。

結局のところ翌日、病院から電話で「YO!SAY!」と告げられ、あーやっぱりかと。その頃は本人すっかり元気で、隔離された部屋でモンハン・サンブレイクを絶賛プレイ中。追って保健所からメールで〇〇日まで自宅療養の旨指示あり。
陽性とわかったので、私もこれで濃厚接触者となる。仲の良い同僚にいろいろ相談する。以前感染した際、家族に感染させなかったということで隔離生活のノウハウを教えてもらった。話を聞く限り私の対応は概ね正しかった。

この際、情は無用。最愛の夫をバイキン扱いする勢いで距離を置き、それでも食事だけはしっかり作って部屋へ運んだ。毎回完食してくれるとほっとする。味覚も問題ない模様。
そんなわけで仕事もしながら家事ワンオペ状態にならざるを得ないから、なおさら私が感染したら共倒れになる。いっそ感染すれば隔離しなくていいんじゃね?とか、感染しといて免疫ついた方が楽じゃないかと考えたけれど、どうにか逃げ切ってみせたいという思いも強く。

そんなこんなで発症から10日、ようやく保健所から無罪放免との報せが届く。私?はい、なんともないです!
遅れて届いた検査キットを一緒に試してみたら、抗原陰性と出た。
ひとまずこれで我が家の流行り病は終息宣言ということで、ワタクシは鮮やかな逃げ切り勝ち!
熱の後で咳がひどくなったのを見ていると、ウイルス側は私に感染させたかったんだろうなぁ、と思ったけどそうはさせないよ。

そんなこと言ってて後日どっかから貰ってきてアッサリ感染したら笑ってくださいな。

とりあえず、この自宅療養期間にライブとか舞台の予定が入ってなくて良かったと胸をなでおろす不謹慎さは相変わらずということで。


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