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同じ夏は二度と来ない

「#8月31日の夜に」というお題募集があったので、中学時代の夏休みの話などを。

中学時代の記憶は、部活動の思い出ばかり。学校には部活動のためだけに通っていたといっても過言ではない。音楽系の部活動だったが、体育系と変わらないような上下関係の厳しさはあり、同級生間の人間関係もそれなりに色んなことが起きていた。それでも大会に出て上位入賞するためなら幾らでも練習を重ねたし、勉強そっちのけにせざるを得なかったのも事実。それで親に叱られ反抗し更に部活動にのめり込んでいった。

そんな中学二年の夏。

一年生の頃はいわゆる「二軍扱い」で対外的な大会の出場メンバーに選ばれることはなかった。そのため二年になれば「ようやく自分たちの時代が来た」と言わんばかりに練習を重ね、少しでも上位の大会に進むことしか考えていなかった。前年の三年生、つまり卒業していった世代が実力者揃いで、今年は実力ダウンになるのではないか?と危ぶむ声もあるのではと疑心暗鬼になりながらそれを振り払うように日々練習に明け暮れていた。自分達の世代で駄目になったなんて言われたくないから。

そんな時に現・三年生の一部が部活動を休みがちになった。こんな大事な時期に来なくなるなんて信じられない、と二年生は憤慨した。受験勉強のため、というのは頭では理解しようとしても部活動を途中で投げ出すことが許せずに、じゃあ二年生だけでやってやろうじゃないの、と逆に気持ちを奮い立たせた。揃いも揃って成績優秀者ばかりだったひとつ上の先輩方。だからこそ受験に真摯に臨んでいたことなど、当時の私達にはわからなかった。

結局、ほぼ二年生、三年生と一年生が数名、という編成で予選に臨んだ。手応えはあった。それは限りなく思い上がりに近かった虚勢にも似ていた。そして。

銀賞。という名の予選落ち。

正直、この予選は突破できると思っていた。高を括っていた。この大会が終わればすぐさま上位の大会に向けて練習を重ねていくと信じて疑わなかった私達は文字通り膝から崩れ落ちる思いだった。市民会館の植え込みを囲うコンクリートブロックに一列に並ぶように座り込んで泣いた。わんわん泣いた。こんなに涙が出るものかと思った。力及ばなかったことももちろん悔しかったけれど、大会に参加した三年生の先輩が泣きもせずに「やれやれ、終わったね」みたいなドライな態度でいたのが拍車をかけた。恨みごとを言うわけにもいかず、どうにもならない悔しさを押し流すことしか出来なかった。

中学三年の春、確かに私達は夏の大会に向けて気持ちを高めていた。学業成績は正直、下降ラインを描いていたが見ないふりをしていたのも確かだった。前年に成しえなかった予選の突破を目標に、力をつけてきた二年生と共に、そう思って大会に臨んだ。気持ちは前の年と同じ、いやそれ以上の筈だった。

銅賞。前年を下回る結果。

どこをどうやって会場を出たのかは覚えていない。ただはっきりと記憶しているのは、植え込みのところに座り込んで号泣している二年生たちの姿だった。ああ、去年の私達だ、と思った。不思議なことに涙の一つも出やしなかった。8月も半ば近くなると、この街の風は秋の空気をはらみだす。少し涼しくなってきた風が、短く揃えた髪と制服のスカートをさわさわと揺らすように吹いて、寧ろそれは心地よいものだった。「終わったね」と誰かが呟いた。「そうだね」と返す。なんだ、去年の先輩と同じじゃないか。そこで泣いている二年生たちは、こちらの冷めた様子を面白くないと思っているのかも知れない。きっとそれでいい。

たった一年でこんなにも目線が変わってしまっていたことに自分でも驚いた。あんなにも夢中で、小さなことに感情を浮き沈みさせて、泣いて怒って、それでも努力するのが楽しかった14歳。情熱がなくなったわけではないにしても、結果をあるがままに受け入れて「次」のライフステージに向かうべきと悟った15歳。

それまで学校生活なんて春夏秋冬、行事の繰り返しでなんとなく過ぎていくものだと思っていた。けれど同じ一年なんてどこにもなかった。同じ夏など二度と来ないのだ。


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