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クリスマスが苦しくてクルシミマスっていう古い言い回しが似合う話

時は平成になったばかりの激動期、そしてバブルで浮かれていたある意味「なんでもあり」の時代。
私自身も上京し大学生になって、自分を取り巻く何もかもがガラッと変わり、環境変化のストレスは多少あれどやっぱりどこか浮き足立っていたのだと思う。
その頃のクリスマスといえば、今は無き「赤プリ(赤坂プリンスホテル)」を1年以上前から押さえて、高級ディナーにティファニーのオープンハートをプレゼント、といったテンプレがあった。
が、実際それやった人がいるのかは甚だ疑問である。
ちなみに当時は、スマホどころか携帯電話すらも普及していない。
待ち合わせに遅れたらどうなってしまうのだろうか。駅の伝言板が大活躍していたのもその頃だったが。

クリぼっち同士のクリスマスパーティー、夜半過ぎに異変が

イマドキの言葉でいうところの「クリぼっち」というやつだった私と同級生数名は、「寂しい同士でパーティーしよう!」と思い立った。
同じ語学クラスの男女4人ずつが私の住むアパートに集まって、ケーキやオードブルを囲んでプレゼント交換して楽しもうというささやかな企画。
尚、合コン的な要素は一切なく、単に仲良しの同級生が何の下心もなくただ楽しもうというだけ。
そういえば直前で男子が一人脱落した。彼女ができたらしい(笑)

今にして思えば不思議なくらいに、男も女もなくワイワイ盛り上がりながら買い出しから準備、そしてパーティーが始まった。
どんなに楽しかったかは、今も大切に保管している写真が全て語ってくれている。
日付が変わる頃に場所を変えて、駅前のファミレスへ。
そこでまた大いに盛り上がるはずが、私の身体に異変が起きる。いや、既に買い出しの時点で「ちょっとおかしいな」とは思っていたのだが。
その時感じた喉の違和感が、酷い寒気と震えに変わっていた。
明らかに熱発していて、認めたくないけれど風邪を引いてしまっていた。
本来はそこで友人達を駅まで送る筈だったのだが、翌日バイトがあるメンバー以外の4人(男女2人ずつ)が残って朝まで看病してくれたのだ。
記憶はおぼろげながら布団を敷いて私はそこで横になり、友人達は朝までお喋りしながらも様子を見ていてくれたどころか、朝にはお粥を作り置いてくれた。
「大丈夫?」「ちゃんと病院行くんだよ」と言いながら彼ら彼女らが帰った後で、一つ困ったことを思い出した。

まさかの渋谷デートから這う這うの体で帰宅

上記のクリスマスパーティーが23日の土曜日。実はその数日前に先輩からとある誘いを受けていた。
「24日暇?ご飯でも行かない?」という、平成初期らしい軽い誘い。
別に嫌いな先輩ではなかったが、特別な感情など一切ない。しかも些か強引ではあり断れない雰囲気だったので、正直なところ億劫ではあった。
先輩だって「どうせこいつ暇だろうし、24日一人は何だし、あわよくば」的な考えもあったのだろう。
それまで私に対するアプローチは一切なかったのだから。

ここで話を戻そう。
当時は携帯電話がない時代で、先輩も昼間はバイトだと言っていたから連絡の取りようがないのだ。
熱はあり、喉もがらがらで声を出すのも困難な状態。
今ならLINEで一言送れば済むものを、共通の知人を介そうにもあらぬ詮索をされそうでどうにもならない。
結果として、ふらふらの身体で渋谷に向かった。

在りし日の東急プラザ前での待ち合わせ。正直立っているのも辛い状態だったのに、遅刻するとはなにごとですか先輩。
ひとまず具合の悪い現況を伝えて、それじゃあ手短にということで(予約していたとかで帰してもらえなかった)目的の店へ。
ふらふらで食欲などなかったので「何が食べたい?」と訊かれても困る。
オードブル的なものがテーブルに並んだような気がしたが、飲み物のグラスも倒してしまう始末で、デートとしては散々。
店を出て路地裏に促され、プレゼントを渡される。私は何も用意できていないことを詫び、そのまま何事もなく駅まで送られた。
仮に先輩に下心があったとしてもそれに乗る気は全くなかったが、食事もまともに出来ない状態だったのは申し訳なかったのも確かだ。
ちなみに先輩とは後日談があり、バレンタインの頃にも食事に誘われたのだが、なんだかお互いそういう意味の良い雰囲気にはならず、ただの楽しい機会となってそれっきり。肉は美味しかった。以上。
後になって私の同期と付き合い始めた時は純粋に祝福したのを覚えている。

診断は「気管支喘息」

意識朦朧の渋谷デートもどきからどうにか帰宅し、布団に潜り込む。
苦しい一夜が明けて月曜の朝、ようやく病院へ。
歩いて5分ほどの内科医院への道のりは遠く、喉は常時痰がからんだ状態で時折深い咳をしていたが、横断歩道を渡っている途中で咳き込んだ際に喉が痰で詰まってしまった。
一瞬息ができなくなり恐怖がよぎる。
もう一度大きく咳をして事なきを得たのだが、内科医院の扉を開けた時に絶望の淵に叩き落とされた。

町医者スタイルで、履き物を玄関で脱いでスリッパに履き替えるようになっていたのだが、玄関はびっしりと靴で埋められていた。
待合室には高齢者がわんさか。和気藹々とした雰囲気でお喋りに花を咲かせていた。
この中で一番若いのは私だけど、一番具合が悪いのも私じゃないか?
受付をして熱を測ると38℃台はあった。
なかなか順番が回ってこない中、看護婦さん(当時)が「大丈夫ですか、もう少しですからね」と声を掛けてくれた。天使だった。

ようやく診察。結果は風邪をこじらせての気管支喘息とのことだった。
レベルの違う苦しさだったから、ただの風邪では済まないと思っていたので案の定という感じ。
でもちゃんと診てもらって薬をもらえた安心感は大きい。
薬が効いてくれば食欲も戻り、順調に回復していったのだが、その日の夜にたまたま見ていたテレビのバラエティ番組が面白すぎて笑い転げた拍子に、再び呼吸困難を起こしてしまった私のアホさ加減よ。

今年のクリスマス前に我が家でインフル騒ぎ(夫感染、私はコロナの時同様逃げ切り)があったので、記憶の引き出しの虫干しということで。




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