誤読のフランク(改訂版) 第2回 アパートの旗(RFA-01)
Parade Hoboken, New Jersey
(RFA-01 ←便宜的に番号を付けたいと思う)
写真集の冒頭のケルアックのテキストはとりあえず置いておくつもり。まずは写真から見てゆこう。
(表紙を抜かせば)最初の写真。アパートの旗のこれまた有名な写真だ。
この写真を魅力的にしているのは顔が見えそうで見えないというとこではないだろうか。おまけにアメリカの旗だし。
アメリカ人と題した写真集の冒頭から旗がある。これって象徴的だよね。
表紙に引き続いて四角に区切られたフレームインフレームの構図。顔が見えそうで見えない。本当に見えない。悔しいかな、見えない。その見えないところが、この写真をさらに印象的にしていて、向かって左側は女性。向かって右側は男性かな?
拡大して見ると、女性の顔はむちゃくちゃギリギリまで露出を上げてて、見えないぐらいな感じで、まるでお化けみたい、ゴーストチックな、悪夢に出てきそうなほど嫌な感じ。じっと見てると夢にでるよ!
ここだけ見ると、レタッチ失敗したPhotoshop加工みたいな感じで、ああどうしようみたいな、そんな感じの顔だけど。たぶんフィルムでは、本当はもっと暗く潰れているところを、覆い焼きでちょっと露出を上げてリカバリーしている。わざわざ。じゃあ、なんでわざわざそんなことをしたのかというと、ちょっとだけ見えてるということがミソだよね。その不鮮明な部分によって、想像力が働かされ、嫌な感じと共に、スッキリとした構図と共に、ガツンと見る人に入ってくるんじゃないかな。
更に、今度は向かって右側の男。男はタバコかな、クッキーみたいなのを口にもっていっているのかな? でも顔は旗に隠れて全く見えない。そこがとても面白い、これ、顔が両方とも見えていれば全く違った印象になったと思うし、不安な雰囲気と言うものが全くない写真になっただろうな。ちゃんと見えないこと自体がこの写真の魅力でもある。
構図を見ると、引き続き表紙のフレームインフレームが続いている。
画面の上の方の、向かって左の白の流れから旗の流れる右への視線の動き。なんとなく見えていた顔がその視線の動きにしたがって右側の男にいた時に首がない状態。ページを開いた時に視線が、左上の白い窓枠の部分から女性の顔あたり、次に旗に沿って右側の男性に移ったとき、また顔が見えない。心理的に人間は顔が写っていると安心してしまうが、この写真は安心できない。唯一構図が、安定している。
表紙に使われていたトローリーの写真のフレームインフレームも、上の方の抽象的なガラスへの反射に対してフレームの中の人の顔が、フレームの中に並んでいる。そのページを開けて一番最初の写真がこの写真だとしたら非常にわかりやすいというか、導入としては、もってこいの写真ではないかなと思う。表紙は顔があるから不穏さを助長し、これは顔がないから不穏になる。パレードを見ている写真だけど、そのパレードではなく人側を撮った写真で、ロバートフランクは状況を写さない。その状況が生み出す人々の反応の方に視線があるように見える(まだ写真2枚目だけど)。
こんなの見つけた。Hoboken の歴史のページ。
B+W negative photo of the 1955 Hoboken Centennial Parade, Washington St., Hoboken, March 1955.
https://hoboken.pastperfectonline.com/photo/0713F96B-57BE-4673-A8D4-293596970839
この写真。
一番奥のこの部分。もしかしたら、ロバートフランクの窓かも知れない。
窓の感じも似てるし。もしかするとこの同じ日だったかも知れない。
そう、この文章は「かも知れない」ばかりになるかもしれない。
でも、かも知れないと考えること。思い込みや誤読は大事だと思う。前の写真も火事でもないかも知れない。でも、誤読や憶測は写真鑑賞の妨げにはならないと思っている。むしろ真実こそ、鑑賞の妨げになる場合は多いかも知れないと思う。
表紙の不穏さはそのまま引き継がれている。アメリカ人は何を見ているのだろうか? それがこの写真集の始まりの主題かも知れない。
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