停電は長時間に及び、三晩続きの暗い夜。市からの防災ラジオの放送も聞こえなくなりました。
すさまじい風でした。
台風14号は各地に爪痕を残し、佐伯市蒲江では最大瞬間風速50.4mを記録したとのこと。大入島の我が家が風で揺れ動いているような感覚を初めて経験しました。
台風直撃の9月19日朝、消防団長の宮本新一さんから一報が入りました。
続報があり、
近年にない被害でした。
屋根や壁や窓ガラスの損壊、床上浸水、落石や倒木、数隻の沈船、複数の養殖イカダの事故、他にも深刻な被害状況が次第に明らかになっていきました。家屋の全壊はなかったものの、屋根の崩壊によって天井が抜け室内から空が見える家屋もありました。
停電は長時間に及び、夜の明りだけでなく、冷蔵庫の食品、携帯電話の充電などの問題が生じ、多くの家庭から悲鳴が上がっていました。
なぜか、守後の半分、久保浦、片神は停電せず、停電した地区は段階的に復旧していきました。20日の夕方までに島内の一部を除くほぼ全域が回復。
そして、最後に残っていた荒網代西の半分に電気がようやく戻ってきたのは、三晩続きの暗い夜が明けた21日の午前中でした。
停電によってフェリーの接岸に必要な電動装置が動かず...島内放送も使用不可。
電線の復旧には、作業車両がどうしても必要でした。風と波が静まり、フェリーが臨時運航に協力してくれることになったのですが・・・停電によってフェリーの接岸に必要な電動装置が動かず、運航は実質的に不可能でした。
その後、石間の停電を解決する方法が見つかります。しかし、その時はすでに、工事車両は市内全域に出払っていて、島に回せる車両は1台も残っていませんでした。結局、19日のうちに作業車両を島に入れることはできませんでした。
こうした一連の問題の矢面に立ち、関係諸方面と熱く交渉したのが、区長会長の下川善信さんでした。
20日の朝、電力やケーブルテレビや道路整備の業者、作業車両、市の職員、関係者が続々と島に入り、本格的な復旧作業が始まりました。
その日の夕方にテレビが復活しました。事故の原因は、光ケーブルが揺れる樹木に叩かれ一部損傷したことによるものでした。このために、ケーブルテレビの回線を使った固定電話がつながらず、また、市からの防災ラジオの放送も聞こえなくなりました。大入島の場合、無線ではなく有線放送だからです。 さらに、同じ理由で島内放送もできませんでした。
離島という環境による制約はあるにしろ、改善できることもあるはず
今回の被災を通じて、私たちの暮らしが、県や市、たくさんの企業との関係性によって成り立っていることを改めて痛感しました。同時に、この島の災害に対する弱さを思い知らされました。離島という環境による制約はあるにしろ、改善できることはあるはずです。
停電の復旧に関する仕組みや防災無線システムについて、すでに検討すべき課題が上がっています。今後、地球温暖化を背景に台風の大型化の傾向はさらに加速するとも言われています。
最後に、
地区のために、島のために動いた住民のことについて書きます。通行を早めるために県道の石をのけたり、のこぎりで大木の枝を切ったり、他人の家の屋根に上がったり、暗渠(あんきょ)の詰まりを解消したり、一つの現場が片付けば次の現場を探したり、オルレコースの点検で荒れた山に入ったり、自分の車で充電させてあげたり、・・・
皆さんを誇らしく思います。
9月25日 記
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