いますぐ思い浮かばない「恩師」も、絶対にいるんだと思う。
小学校の先生の名前なんて覚えてる?
どうせ忘れちゃうんだからさ、適当でいいんだよ。
映画「怪物」の1シーン。
クラスに悩みを抱えた小学校教師の彼氏に、その彼女がそんなに深く考えないで、というニュアンスで励ます時の言葉。
映画のストーリーとは関係なく、
胸がチクッとして、考えさせられて、noteのテーマにしたくなる印象的な台詞だった。
(このセリフ、当事者である小学校の先生たちは何を思ったんだろう。聞いてみたいなあ。)
僕自身の記憶を振り返ってみる。
小学校の先生の名前はギリ覚えていたが、顔も思い出せず、どんな会話をしたかはっきり覚えていない。
担任を離れて数年は出していたはずの年賀状も、自分のズボラな性格もあって、いつが境なのかわからないが出さなくなってしまった。
毎日クラスで顔を合わせた濃い1年を経て、
年に一度の年賀状だけで繋がっていた脆弱すぎる関係性だ。
一旦途切れてしまえば、再開するきっかけもない。
そうして、
人との疎遠というものは一瞬にしてやってくると、近頃よく感じる。
僕がいまどこで何の仕事をしているのか、家族はできたのか、元気なのか、そもそも生きているのか。
クラスの30分の1だった僕に対して先生は覚えているだろうか、興味がないだろう、とか
そういう話ではなく、教え子からの連絡ってたぶんうれしいはず。
卒業して12年経つが、今でも大学の先生には会う。
京都を訪れるたびに、先生に連絡をとって会うし、会ってなくともSNSで連絡やコメントを取り合う先生もいる。
一方で、中学の先生は電話番号を交換して知っていたのに大学1年から疎遠だ。
「修学旅行で京都に来てるよー」というメールを、大学生特有の忙しぶりで特に返さずに、
そこからお互いに連絡が取りづらくなってしまった気がする。
疎遠と隣り合わせのこの関係性は本当に脆くて、
いまは会う大学の先生も、僕が先生のどちらかのアクションが途絶えるだけで疎遠になる可能性は、今後ゼロではない。
先生に限った話でもない。もちろんかつての友達や同僚もそうだ。
恩師と思いやすいのは、わりと成長したあとに出会う人。
駅伝の監督。社会人の上司。会社を窮地を救ってくれたヒーロー。病気を治してくれた医師。
人格が割と形成されて、だいぶ成長し、今の自分の生活に直結している人を恩師に思いやすい傾向がある気がしている。
一方で、いますぐには思いつかない「隠れ恩師」はだれにでも存在すると思っている。
2年前、仕事のインタビューで、
保育士志望の女子大生に、保育士を目指す理由を聞いたことがある。
「子どもが好き」とか「尊敬できる保育士がいる」とか「親が保育士だった」とか。
なんとなくそうだろうなという話が出てきた。
僕はすこし脱線して「他人の2-3歳の子を育てるやりがい」に対する、本質的な部分を聞いてみたくなった。
意地悪な質問をあえてしてみたのだが「保育園の頃の記憶はほとんど僕はないんだけど、恩師と思われたいとか、子どもに感謝されたいとかある?」と聞いてみた。
僕は、恩師として保育園の先生をあげる人は小学校の先生以上にいない、と思った。
映画「怪物」のあの彼女と、完全に同じ感覚だったのだ。
その質問に対する女子大生の答えで、
僕はハッとした。
「恩師と思われなくても全然いいですし、そもそも忘れられるものだと思います。でも、3歳までの人格形成って重要なんです。その土台を作れることが嬉しい」と。
ぼくも丁寧に振り返ってみれば、もう連絡も取っていない恩師といえる人の心当たりが、何人も出てきた。
今の僕には直結してないが、僕の人生の分岐点にいた恩師や恩人は結構いる。
はじめのほうだったし、昔のことだったりするから、忘れられがちになっている。
はじめの時の価値ほど忘れやすいのは
僕の仕事でも起きていた。
仕事に置き換えれば、僕はすでに感じていたかもしれない。
実は、自分が得意とする耐久性のある土台のコンセプトワークの価値に近いこと。
そして僕らが、数年経った後にその土台が成した恩恵をよく忘れられやすいこと。
(その長期的価値を自分が伝えられていないことは問題でもあるが、ここは割愛する)
「土台」と「羅針盤」を作る仕事
いまの僕の仕事は、広告作りというより、
経営や事業の視点で、マーケティングとブランディングとクリエイティブのすべてを統合して、
この先何年もの事業を支える耐久性のある土台と、事業が進む先を指し示す羅針盤をつくることをメインにしている。
土台と羅針盤の設定が甘いと、だいたい起こることがある。
手当たり次第に目の前のことに必死になり、
数年後に想像してなかったとんでもないところ(よくない意味)に辿り着いてしまうことが多い。
土台と羅針盤のないままに施策に投資したもののほとんどは、時間が経てば残らない。
土台と羅針盤は、
長い年月事業を支える骨の部分の設計図だ。
作った当時よりも事業が成長して時代も変われば、多少の不具合や調整も出てくる。
実はその時、一緒に作った僕らは忘れられていることが多く、相談される対象ではないことが多い。
すでに作業が終わった納品物になっているからかもしれない。
営業に困れば営業代行の会社が。
人材に困れば人材会社が。
デジタルマーケに困ればマーケターが。
困っている会社にとっては、その状態を救えたらスター(恩師)になるし、そう思いやすい。
一度そのレベルで事業に関わった仕事なら、
納品で縁が切れないように、
なにかずっとその後を見守っていきたいし、定期的に話したいし、困った時には手を差し伸べられる関係性を作りたいなと思った。
これが僕がずっと心掛けている「時間軸の長い仕事をしたい」の正体なのだと思うし、
僕が結果恩師のような存在になれるように、土台と羅針盤を作っていきたいと思う。
昨年、イベント告知をSNSでしたら、
10年ぶりくらいに来た同期や、5年ぶりに会った後輩と会った。
会ってなかった時間がパッとなくなるほど、初めての出会いよりも再会の力は強いと思った。
きっかけがなければSNSで繋がっているだけで一生会わなかった人かもしれない。
そして、そんな人って多いかもな、とも思う。
30歳を過ぎてから、
知らない人と会ったり、交流会に顔を出したり、新しい人間関係をつくるエネルギーが減った。
それでも、独立して会社の枠組みをとっぱらってみると、縁を本当に感じることが多い。
僕には会ったことある人たちがたくさんいるし、すでに縁がたくさんある。
1回だけ話したことある人もたくさんいる。
勝手に恐れ多くなって仕事に誘えない業界の大先輩もいる。
おもしろいなあと思う後輩や同期もいる。
どこかの会社で働いてる友人もいる。
もちろん仕事に繋がらなくてもいいし、勝手に公私混同してるから仕事につながれば面白いし、
人に興味がある性格ではあるので、話をしてみたいなあと思う。
勇気を振り絞って、久しぶりの人に年賀状を描こう。
お世話になった人に、ちょっとメッセージしてみよう。
きっかけをつくれば、ちょっとずつ久しぶりの会いたい人に会える気がする。
これからの僕の人生は、新たな出会いよりも、
再会で前に進みそうな気がする。
本年もありがとうございました。
2024年が楽しみになるnoteを年末に書きたかったなと思って書きました。
ここまで読んでくれた方、ありがとうございます!
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