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中国人整体師が、この街を去った。前に進むために。

12年前まで大学生として京都に住んでいた。今も京都に仕事で行くことが多いが、当然景色は変わる。

僕が通った馴染みの定食屋が、営業していた。
僕が大学4年間働いた居酒屋は、テナント募集中だった。
僕が住んだ古いアパートは、よりボロくなって残っていた。
僕が横になって昼寝した校舎のソファは、横になりにくい椅子に変わっていた。

僕が卒業した映像学部は、来年2024年から大阪キャンパスに移る。
つまり、京都キャンパスで映画を撮る後輩たちの光景がもう見られなくなる。

ノスタルジックな気分を好む自分

僕は、自分専用の聖地巡りが好きだと最近気づいた。
(友達のそういうルーツを深ぼる話も好きだ)

新卒時代を過ごした東銀座では、通っていた定食屋でいつものメニューを食べる。昔住んでいた街の、自分が通った店や銭湯をチラッと見に行く。実家に帰った時、あえて通学路をランニングしたりする。

居心地の良いものを変えるのが好きではないので、
ある思い出が色濃くノスタルジックに残りやすいこともあるかもしれない。
美容院は12年変えてないし、歯医者ですら変えられずわざわざ電車に乗っていく。新幹線では決まってシウマイ弁当を食べる。いつもの店にいっては同じメニューばかり食べる。


「つぶれた」という表現を使わない

街並みの変化を見たときに、僕が気をつけていること。
飲食店に対して使われがちな「この店つぶれちゃったんだ」という心ない言い方をしないようにしている。
(実際、飲食店の廃業率は非常に高いし、2年以内に閉店する店舗は半数、3年で7割が消えると言われているが)

数百万の借金して人生をかけて出店したかもしれない。もしくは、移転とか家族事情で、別のチャレンジをしたかもしれない。
それぞれの店・人生に物語があるのに、一概に「つぶれた」と全く無関係の第三者が心なく言うことが好きじゃない。

そういえば、起業してから銀行にローンの相談をしたときに「10年続く会社はほんの一部だからねえ〜」と言われて、ムッとした気持ちになった。

大企業とチェーン店ばっかりじゃ面白くない。
スモールビジネスで、それに挑戦する人たちがいて、この社会はだいぶ楽しくなってるのになあ。


今の近所にも居心地のいい場所がある

世田谷区の経堂に住んでもうすぐ3年になる。
この街がとても好きだ。

・丁寧で気持ちいい接客の蕎麦屋さん
・美味しい小さな町のビストロ
・ゴッドハンドで年中無休の中国人整体師

休日の僕は、だいたいこの辺のどこかにいた。

普段店員さんと最小限の会話をする僕なのに、店主や整体師とも打ち解けていた。居心地が良かったんだと思う。

蕎麦屋は今もあるが、
今年になってから、ビストロと整体師はもう通うことができなくなった。

いずれも共通するのが、新たなチャレンジするために旅立ったこと
心ない人は、通りがかったら「つぶれた」というだろう。そうではない。
前置きが長くなったけど、この2店舗、
特に整体師の話をしたい。

ビストロ「プチタプチ」の話

12席程度。夫婦で営む居心地のいい小さなお店だった。
夫のYさんがシェフで、妻のNさんがソムリエ。
地元の人に愛されていて、基本的に常連さんが多い印象だった。

コロナ禍で営業ができない時は、毎週のように前菜の盛り合わせ、ピザ、地鶏のオーブン焼きをテイクアウトしていた。
当然美味しかったからだけど、お店を支えたい応援経済の側面が大きかった。この店が好きだった。

突然、閉店することになった。きっかけは、テナントの老朽化で、近い将来で出ていく必要があるというお達しがあったとのこと。

長く付き合ってきた地元のお客さんがいるから、この街で新しい店を作ることも考えたらしい。
しかし子どもが長野の学校に通っていることがきっかけで、50歳目前に夫婦それぞれで新たな道にすすむことになった。

Yさん(夫)は、まだお客さんとのつながりもない新たな土地長野で店を開きシェフを続ける。
Nさん(妻)はもともと興味のあったインテリアデザイナーの勉強をしていており、長野のインテリア会社に就職したらしい。

最後プチタプチに行った時のご夫婦の印象が、長く続けてきた店を閉める悲しさよりも、変化を楽しむ前向きなパワーを感じた。


楽屋整体のワンさんの話

ワンさんは中国出身で今年40歳。
日本で整体師をはじめて15年くらいになる。
25歳の時に中国で結婚、その直後に日本語もほとんどできない中で単身で日本に来て、整体師をはじめることになったそうだ。
生活が安定してから奥さんを日本に呼び、2人の子どもに恵まれて4人暮らしをしている。
人柄は温厚で、日本語も割と上手。坊主頭に、にっこり恵比寿顔で、いつも帰る時には深々と頭を下げてくれる。

年中無休 11〜25時までの看板を見て、少し働き方が心配にもなっていた。

ワンさんの施術は激痛だけど、終わるとすごく改善されていて、僕は身体の不調を感じたらワンさんに電話していた。
いつも1時間コースで予約していた。
そして僕はその1時間、わりとワンさんとの会話も楽しんでいた。

そもそも僕が、言語や文化の違う異国で、情熱を持って活動している人がかっこいいと心から思っているので興味がある。
逆にワンさんは、僕の仕事や独立に興味を持ってくれていろんな話を聞いてくれた。
ワンさん自身が苦労してお金を稼いでいるから、商人的な感覚を持ち合わせており、ワンさん自身ビジネスの会話が結構好きだったこともある。

お互いに共通していた、自分のスキルを身につけて、自分の時間を誰かに売ることで稼ぐ。
という苦労話も、共感しながら色々話していた。

年中無休のワンさんだったはずが突然、今年4月に「僕はこれから週3日休むことにしました」と言ってきた。
僕は驚いて理由を聞くと「このままじゃ変化ができないから自分の時間を作りたい」ということ。
なぜ自分の時間を作りたいのかと聞くと「整体師は肉体労働。今後歳を重ねても生活できるようにしたい」ということだった。

目標を立てるとか意気込みだけでは人は変わらないので、
目先の売上を落としてでも週3日休んで、時間配分を変えたのは本当に素晴らしいことだなと思った。


整体師は労働集約型の最たるもの

時間を売る労働集約型ビジネスだから、長時間労働すればするほど儲かる。
加えて2人いっぺんに施術できるわけでもない。
歳をとればどんどん長時間働くのが大変になっていくだろう。
もしくは、長時間働かずに収入を維持するなら時間単価を上げるしかない。

若いころのワンさんは、日本で1時間2500円くらいの格安整体師として働いていた。
その後自分の整体師としての力も日本語能力もつけて、今や1時間6000円になっているが予約も取りにくくずっとお客さんがついている。

ちなみに、ワンさんはこうも言っていた。
「6000円にした後は客層がガラッと変わった。自分のメンテナンスを大事にして、仕事もばりばり頑張っているような。そんな素敵なお客さんに出会えて嬉しいし、話を聞くのが楽しい。自分ももっと頑張らくては!と思う。」と言っていた。

また、自分にお客さんがついてる理由を聞くと「整体師としての腕はあげましたが、接客能力や日本語能力があることの方がいまは重要だと思います」と冷静に分析できているのもハッとした。


ワンさん、突然の旅たち

6月の終わり、腰痛に悩んでいた僕はワンさんを訪ねた。
週3日の休みをとってからワンさんに変化があったか気になったので尋ねてみた。

すると「悲しいお知らせです」とワンさんは行った。

ワンさんは一旦、家族で中国に帰るらしい。
鍼やお灸など別のスキルをつけるために中国の大学に通い直す予定とのことだ。その準備や勉強で6月末で店を離れて、一度中国でゆっくりするとのこと。

鍼やお灸ができた方が、実は1時間で見れる人数が増え、力仕事というか肉体労働に頼る部分が少し減るらしい。

明らかにアロママッサージをしそうな見た目ではないけど(失礼)、ワンさんはアロマにもかなり詳しくなっていて、
アロマの知識と効能を教えてくれたりして、新しく買ってきたというちょっと高いオイルを無料で僕に試して使ってくれた。

最後の施術後、ワンさんとは電話番号を交換して、別れた。
最後のワンさんの印象も、これからの生活の変化を楽しむ前向きなパワーを感じた。
お互いに頑張りましょうねと。
また、改めて働く時は日本で仕事をやるつもりだから会いましょうと。


門出は、応援された方が絶対にいい。

数年前、僕が会社を辞めようとして悩んでいた時に先輩に言われた言葉がまだ心に残っていて、周りにやめようとしている人がいたらいつもその言葉を伝えている。
「会社に残る人を惨めな気持ちにするような理由は言わない方がいい。応援される理由で旅立たないと!」という言葉だ。

それを聞くまでの僕は「立つ鳥跡を濁しまくる」だったと思う。
ケンカ別れする必要はないのに…。(今も気をつけないとそうなる。)

この会社ではこれが実現できない。この会社の制度が良くない・・・。これじゃ若手が育たないとか。
自分が正論だったとしても、そんな話を会社に残る人にしたら、その会社にいることに惨めな思いになってしまうだろう。

本当にそう思っていたとしても伝え方は違うという話で、
僕はこれが実現したい。チャレンジしてみたい。この会社でこれが学べてよかった。これからも何かあったら助けてください。
こういう言い方をしようとしてない自分が、恥ずかしくなった。

旅立った2つの門出は前向きだった

ビストロの夫婦が「立ち退きとか無理〜。移転費用とかめっちゃかかるし。この店が気に入ってたのに続ける気がしない。」なんて不満は言っていない。
ワンさんが「この働き方続けるのしんどいから、別の楽な仕事探さないと。」なんてネガティブに言っていない。

ビストロの夫婦も、ワンさんも、前向きなエネルギーを感じた。
この街に残る常連だった僕は、全然惨めな気持ちになっていない。

今でも散歩しながら、
シャッターの閉まった「プチタプチ」を見て。
「楽屋整体」の看板を見て。
あの夫婦とワンさんは遠くで頑張っているんだろうなあ、と、
すがすがしいノスタルジーを感じている。





※ちなみにワンさんの話は、言語的な理由で+僕が激痛に耐えながら聞いているので事実と違うところもあるかもしれません
※ちなみにワンさんの整体は、ワンさんがいなくなった後も日本人スタッフで存続しています。


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