言の葉の庭と同じ状況で新宿御苑に行った話
会社には行けなかったその日、
あ、この状況は言の葉の庭の先生と同じ状況だ
と思い、新宿御苑に行った。
特に会社に怖い人がいる、というわかりやすいものではなく、今考えると、前の職場の影に怯えていた。
もうその職場には自分は所属していない
そこはもう去ったんだ
そう思っても、
今の自分の状況を、あいつは笑っているのかもしれない
などと考え、体が動かなくなった。
今考えると、馬鹿馬鹿しい話だったが、体が言うことを聞かない、と言うのはこのことだった。
行く宛もなくなったその日
どこに行くわけでもない自分の足は地下鉄の新宿御苑前の駅にあった
言の葉の庭の高校生もここで学校に行きたくない日を過ごしていたその庭園は映画の中でも楽園に見えた
PASMOでゲートを潜ると、そこには緑の絨毯、遠くに見える木々、案内図で見える池など、都会の中にあるとは思えない広い庭が広がっていた
予想以上だった
こんな場所があるんだったら早く来ておけばよかった。
そんな気持ちもさることながら、映画に出ていた池の近くの東屋を探した。
その東屋はなかった。
いや、探しきれなかったのかもしれない
その都会の庭で、もう関わることのないそいつと頭の中で必死に戦っていたのだから、東屋を探している余裕はなかった。
歩いている途中、
池の水に浸かりそうな楓の枝が見つかった。
この映像は見たことがある
直感的に思った自分は嬉しくなり、そこにカメラを向けて、
撮るのをやめた。
なんかミーハーだな
そう、これが言の葉の庭のあのシーンだよ
なんて興奮して誰かに言う人もいない
自分の中に留めておいた。
一通り歩き終わり、トイレの近くの自動販売機で水を買って飲んでいると、公園整備の仕事をしているおばさまから声をかけられた。
あなた、日本人?
平日の新宿御苑は外国人ばかりだった。
仕事に行けなくてここに来ている日本人は自分しかいないのでは?と思うほどだった。
映画で見て、ここに来た
と言っても、反応は薄かった。
それもそうだろう。
こんなとこにいると熱中症になるから、早くクーラーの効いた部屋に行ったほうがいい
もっともなアドバイスをいただいて、そこを後にした。
帰り際、
白人の家族が英語で話しながら歩く一行とすれ違った。
あれ?
言っていることがわかるぞ
2、3年前にはなかったことだ。
毎日NHKの英語ニュースを通勤時に欠かさず聞いている効果だったのか、そこではそんなに考えなかったが、
なんとなく、やっていけそうな感じがした。
総じて、ここに来てよかったのだった。
もう、頭の中のあいつを倒した瞬間だった。
頭の中では、もう尸を片付けていた。
当然のことだが、幻影だった。
明日からは、何かがうまく行くのでは、と言う気持ちで園を後にした。
言の葉の庭の先生も、きっとこんな気持ちで毎日ここに来ていたのかもしれない。