下積み時代は必要か否か。
ノートを読み返すと、本当に赤面する。
なんだこの偉そうな書き方は。
こいつ、何様だ?
そう見られてしまっても仕方がない。
これはノートというサイト名からも、何となく無意識のうちに自分のノートに好きなことを書いている感覚になるから不思議なものだ。
その不思議な感覚が心地良いから毎日書けるのかもしれない。
確かに仕事が立て込んでいるような時も続けられるのかという事が不安だが、どんな形でも時間を作って書き込んでいるということはそれがいいのかもしれない。
ここに書いてあるのは、そんな小難しいものではなく日々のガス抜きに過ぎない。
前置きが長くなってしまったが、本題だ。
タイトル通り、下積み時代は必要なのかどうかと言う事だ。
下積み時代は苦しい思いもするだろうし、できれば味わいたくない屈辱的なこともあるだろう。
私ももう三十余年過ごしてきたが、あの時が下積み時代だったのかなというときもある。
しかし、そのときは分からなかった。
下積み時代と言われればそうかもしれないが、貧しい経験がバネになったということも言えると思うが、やはり思い出したくないことも多い。
このままずーっとこんな感じなのかなと絶望した時もあった。
そこから運も良かったのかもしれないが、抜け出せる時が来た。
その後の自分も下積みから抜け出せて、自由になるお金も増えたことで浪費が激しくなってしまった。
今では考えられないようなお金の使い方をしていたような気がする。
これも含めて下積み時代なのかもしれない。
一般的な感覚と少し違うと思う。
こんなジェットコースターを経て、健常な人一人生きるののにそんなに金はかからないのでは?という境地にいるまでが下積み時代と言えるのだろうか?
最初からそんな境地を持っている人には、下積み時代はいらないのだろうか?
それはわからない。
しかし、下積み時代がその後のその人の考え方に大きな影響を及ぼすことははっきりと言える。
待てよ。
何かで成功したからこそ、その下積みというのなら、
これと言って特筆できる成功実績のない私は、まだ下積み時代なのかもしれない。
もしかしたら、これからもずっと下積み時代なのかもしれないぞ。
でも、いろいろなウェブディレクターの便利な黒子(Gライター)として生きるのもそう悪くないかも。(Gで黒子と言ってもゴキブリのGじゃないですよ)
影の実力者としての存在感を高めていけば、下積み時代の黒子として今がクローズアップされるかも。
まあ、そんなどうでもいい話は置いておいて、周りが成功と認めるものがなければ、下積み時代自体が存在しないのかもしれない。
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