7.君が生きる人生

私は応答のため手紙を書いた。

人生への関わり方、という答えのないコンテンツ。弟は、それについて常に頭を抱えてきた。そして私とディスカッションを重ねてきた。彼は議論を好む。

しかし、議論も重要だが、私には考えがあった。

彼には、哲学的な話の以前の問題があった。心を持て余しているのではないかという。寂しさが人生訓を狂気的なものにしているという。栄養不足と承認の欠如が、彼をあらぬ方向へ奮い立たせていると。

そのような場合には、弟を帰郷させ、不足しがちな栄養素を補給し、家族の愛情に触れさせ、そしてまた現実という名の野に放った。

彼は、旅行に出かけたり、アルコールをよく摂取した。そういう道楽的な趣味だ。その結果、日ごろの食費を減らして生活費を確保しなくてならなかった。食費を優先して捻出するよう私は助言をしてきた。しかし、弟は、いまだかつて忠告を聞いたことはなかった。

"弟へ

残念なことに、良いことにも悪いことにも、多くの人は死が待っている人生に慣れていく。そのような悩みを持っているのは自分だけだと思ってはいけない。

あなたは想像力が貧しい人なのか?肯定的で楽しい生が送られる人間なんてほんの一握りしかいない。彼らのような享楽的な生活から目を離すのはどうだ?

あなたと同じように、自分の歪みを認識しながら、たんたんと、いつも同じような日々を送っている人がいることを私は知っている。

この手紙で、私があなたを慰めてくれると思っていたか?あなたは多くの人々のように死を待っている生活に慣れる必要がある。私はそのように確信している。

説教になったが、単純に言えば、世界は甘くはない。誰もが生きようと努力しているのだ。生き残るためには、何とか世界に順応しなければならない。

それをしないで、どうやって生きようとしているのか?あなたはNEETになる予定なのか?そんなことをあなた自身が許せるのだろうか?

あなたは死にたいと思っているだろう。マエダチヒロは生きる価値がないと。それについて私は思うのだが、他者の基準にもとづいて生活しているのではないか?

あなたは何かを言うにつけて、公衆の目があることを気にして、自分を支持することはできていないのではないか?

少し厳しいものを言った。手紙で伝えられることには限界がある。平たく言えば、もっと生きて欲しい。少なくともさらに10年間は生きてくれるとうれしい。欲を言えば、もっと他にも言いたいことはあるのだが。

さて、実家に帰ってくるのだ。父さんにはお金の話をしておくから。

マエダヨウイチ "

そうやって、私は弟にキノカワへ帰るよう促した。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?