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縁起でもないことについて語ること

「縁起でもない」という言葉が力がなくなっているように感じる。

もし飛行機が落ちたら、もし津波が来たら、もし自分が死んだら、とかそういうことを考えるのはタブーでなくなってきたように感じる。

自分が死んでしまうかもしれない、というのは考えるべきでないことだった。まあ、これは完全に個人の実感なのだが。

10年くらい前までは、死を口にすることは、「縁起でもない」と叱られているのをよく目にした気がする。

実際のところは、自分の考えの変化かもしれないけれど。

死について語ることは、それを引き寄せてしまう可能性を呼び起こすのではないか、ということで一種のタブーだった。そんな雰囲気は確実にあった、と僕は思う。

でも、死について語らずに放置しておくことの方が問題だったのだろう。残されたものが、多く課題を処理しなくてならない。

そういう事情もあるのか、もし死んでしまった場合について語ることが増えてきた。少なくとも、僕の身の回りではそういう状況なのだ。

「縁起でもない」と、思考停止をすることをやめる人が増えた。父や母、祖父母が自分のことばで冗談か本気かはわからないけど、自分の死に対する考えの断片を僕に伝えるようになった。

そういうおかげで、もし、縁起でもないことが起きた場合には、そういう話の断片から、僕が取るべき態度というのがある程度決定できると思う。

なんだろう、そういう時代的雰囲気の変化というのをすこし書きたくなったのでした。

それではまた



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