嘆きのその先へ至るには
人には思考が許されている
それ故に苦しみ項垂れ嘆くことも多い訳だが
前提として俺は常日頃より生きにくさを感じてる
上手く生きれない
そう感じており
生きてる事に能動的ではない
そこも上手く生きれないなと思う要因かもしれないが
ただこうして嘆いていて
ふと思った事がある
ならばどうしたら生きにくさを感じず、どうあれば俺は満足するんだろう
到達点は?
目指すべきゴールとは?
人は誰しも到達点やゴールを望む
ゴールや到達点自体を夢と規定して呼んでいる人も多いように感じる
ならば夢ならば?
俺には明確な夢がない
夢をなんと規定するかにも依存するだろうが
明確にこれで生きていこうや
こうして生きていこう
こいつと生きていこうなんて添い遂げるような
人
物
技能
は無い
日々を出来るからやっている事で埋め尽くしてる
主観だが人間の幸福は相対性に依存している
現代はある意味他人との心的距離
如何に依らず挙動は知れるし思惑もわかる
それは俺も同じだが
良し悪しに関しては敢えて言うことではないし人によって感じるものが変わって行くものだと思う
その中で主にウェイトを占めるものとは?
職業?
家族構成?
財産?
不動産?
などが挙げられるだろう
一方、己は数多の達成したいマイルストーンはあれど到達点は未だ霧の中
して因果の深堀りくらいしかできないわけだが
まぁ思うことというか月並みな脱却点とするならば
夢という言葉に苦しめられてはいないか?
到達点のみを夢としているから苦しいのではないか?
マイルストーンですら夢たり得るのではないか
もう少し思考を細分化して夢というものを大きく捉え過ぎずポータブルに捉えてみれば少しは楽かもしれない
俺だよ