才能を努力で埋めることができるか

才能と努力の問題は多くの人が考えたことがあるだろう

ここでは持論をつらつらと書いていきたいと思う

運動はたしなむ程度だったため多くの人が経験しているであろう勉強を例に出すことにする

唐突だがセンター試験8割 (既に共通テストに変わっているが)は誰でも取れる点数だと思う

実際は多くの人がこれを下回る点数を取っているが僕はそうは思わない

それこそ才能のあるものの戯言だと思うかもしれないが5浪、6浪もして努力すればかなりの人が達成できる水準ではないだろうか

1年という時間でどれだけ学力を伸ばせるかといった観点からすると才能という要素が大きく絡む問題だろうが時間を気にしなければ才能の要素はかなり排除できるはずだ

勉強を例に出したがこれが当てはまるならば人は世間一般に高水準といわれる一定のレベルまでは才能を努力で埋めることができるはずだ


だがあくまで一定までだ

一定のラインを超えると才能至上主義といっても過言ではない

というのも僕が思う才能とは能力の初期値・上限・成長度といったもので、例えば子どもが初めてやることを高いレベルでこなせたら才能があるといわれるだろう

才能溢れるものは多くいるがその中でも幼少期に才覚を発揮するものは初期値が高いかある程度までの伸び率が非常に大きいからだ

しかし一定まで伸びてもそこから伸びにくかったり能力の上限に達したため幼少期は神童と言われていたのに...といったものが出てくるのだと思う

先程例に出した話から考えるとこの才能のうち初期値・成長度といった部分は時間をかけて努力することで埋めることができる要素だ

だから昔凄かったという人といつか並ぶことができたり追い抜いたりすることができるのも道理だろう

しかし能力の上限という要素を考えた時に果たしてこの才能を努力で埋めることができるだろうか

出来ないのだ

努力しても埋まらない差というのがこの能力の上限で説明できる

これこそが世間一般に“才能”とよばれるものだろう

埋まらない差だからこそ天才という一部の突出したものがいるわけだ

才能のある人間にはこの上限が高く設定されていて普通の人間が到底たどり着けない領域にいる

どれだけ努力しても出来ない、勝てないというのはこういうことだろう

“才能”を狭義的に見た時努力では埋めることの出来ない差は間違いなくあるというのが僕の意見だ


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