【コラム】〈 縁 起 -えんぎ-〉ということ~『和而不同(わしてどうぜず)』9月号


コラム担当:西法寺若院


お盆から秋のお彼岸にかけて、先立った方を偲ぶ機会が続く。こうした場は、私自身の いのち を伺ってみる大切な仏縁でもある。眺めが変われば気づくこともある▼西本願寺の阿弥陀堂・御影堂、いうものが点在している。傷んだ箇所の修繕のため、後に埋め込まれた木片のことをそう呼ぶ。図形の他、動物や植物をモチーフにしたものなどその形状は色とりどりだ▼中でも有名なのが「一富士二鷹三茄子」。世間一般ではいわゆる〝縁起もの〟とされるこの三点セットが阿弥陀堂の一角に揃う。もちろん浄土真宗は縁起の良し悪しを問う教えではないが、こうした工夫に当時の大工さんの遊び心を垣間見ることができる▼仏教でいう《縁起》とは、『自と他は本来、縁り依って生起している』(梯實圓和上)ことを指す。例えば、「私」というものは「あなた」がいてこその「私」であり、その逆もまたしかりである▼ただ、あらゆるものと関わりあって生きる いのち でありながら、その本質は〝独り〟だ。代えはきかない。やがて私に必ず訪れる、息絶える現実を思うとき、いのちの意味と歩む方向をたずねずにはおれない。

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