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雲谷スキー場のお話

「雲谷のお話」
人口10万人以上の都市の年間降雪量を比べると、
なんと青森市が世界一の降雪量の都市
そんな青森の小学校では、
冬になると校庭に雪が積もり、
体育の授業は「スキー」の授業があり、
雲谷にも学校で行ったもんです。

スキーは良いけど、
学校にスキーと靴を持っていくのが
小学生にはしんどかった。思い出です。

雲谷

青森の方はご存知ですが
雲谷と書いて「モヤ」
先住者が小さな山の意でモ・イワと呼んだことからのようです

今でこそ雲谷峠は
青森市民が気軽に訪れることができるスキー場のイメージですが

1934(昭和9)には当時は
実業家さんが
プライベートでヒュツテを建て
スキーを楽しんだと記録にあるのみで
いまのように市民がスキーをする場所ではありませんでした

うんと昔は浅虫が“市民スキー場”だったそうです

しかし、手狭になったため
場所を戸山に移し
一時使用したものの、地権者との折り合いがつかず
雲谷がスキー場の候補となったそうです

雲谷は地元の人や、
一部の人がスキーをたまにすることはありましたが
青森市民がスキーを楽しむ場所ではなかったんです

そんな雲谷に 
運動具店イシダスポーツ社長が
仲間の協力を得

動カは、四輪駆動車のエンジンを利用するなど苦心の末ロープトウを設置、
雲谷スキー場がオープンしたのが1959年12月です

(記録によるとこの年、青森市営ヒュッテ、イシタスポーツヒュッテ、和田寛ヒュッテも開業)

本来、行政がやるべきような事を
個人の力が原動力となって出来たのが
雲谷スキー場なんだそうです。

そんなスキー揚がオープンした翌年の60年
市もリフトを建設し、雲谷はスキー場としての形を整えて行ったそうです。

「第1」、「第2」、「石雲谷」と呼ばれたゲレンデがあって
最大斜度が37度という急斜面の第2は圧巻
いつもそこを滑る人を尊敬の目で見てましたが
勇気を出し恐る恐るそこに行って
足がすくんだ子どもの頃の記憶がまだ残っています。


その後雲谷スキー場には
スカイランドなどの施設も出来
娯楽の場と定着して行きます。

1969年11月雲谷スカイランドホテルが開業、翌年の4月にパノラマタワーや
ジェットコースターがオープン
青森でも珍しいジェットコースターなどを楽しむ為、多くの市民が訪れましたが約30年前に廃業しました。

記憶が曖昧ですが、施設のトラブルで消防のレスキュー隊も出動したこともありました。
青森市を一望出来る高所感、子供心になぜかきしむジェットコースターの音が怖かった記憶がありますが、今思い返すと妙に懐かしいです。
現在は遊園地は無くなってしまい

ホテルヴィラシティ雲谷と名前を変えながらも2014年閉館

スキー場も
駐車場が狭いうえ、
施設が時代に対応できなくなったことなどの声が強まり
1998年4月、通年観光を目指したモヤヒルズとして衣替えし、全面開業して今に至ります。



記事編集/鈴木勇(グローバルキッチンサイゴン)

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