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青森の郷土料理「貝焼き味噌」 のお話

「貝焼味噌は卵がメイン」

味噌は赤、白とありますが

赤みそは元気になる成分が入っていて
白みそは気持ちを抑制する成分が含まれているんだとか

なので
赤みそは朝、
白みそは夜に食べると良いとされているそうです。

そんな味噌を使って作る
青森の郷土料理と言ったら貝焼き味噌

やはり
青森の郷土料理として真っ先に思い浮かぶのが
貝焼き味噌(「かやぎみそ」とも)ではないだろうか

鰹節、ねぎ等を味噌で煮込んで、卵でとじる
ほんと素朴な料理

思い出の中にも登場する料理でもある。

特に風邪をひいた時には青森では誰もがたまご味噌を食べている

青森の文豪と言えば太宰治

「卵が貴重だった昔、かぜなどで病気になった時
良く作ってもらったのが貝焼き味噌なのだ。」

昭和の始めにこの貝焼き味噌のことを
太宰治も自身の小説に書いています。

病気の時にお粥と一緒に食べる。と

文を眺めていてふと感じたのは
ホタテが入る感じがないという雰囲気
まるで鶏卵の方がメインのような書き方なんですね

そこで調べてみると
鶏卵が実は、大変貴重だったことがわかりました。

最近鳥インフルで鶏卵が少なくなって貴重と言えど

今では鶏卵というと実に身近な食材なので以外すぎるのですが

戦前、戦後
昭和30年前半までは卵は実は相当貴重な品だったようです。

現在のような養鶏場で
たくさんの鶏が卵を産む時代ではない頃なので
鶏卵はまさに高値の花だったようです

江戸時代にさかのぼって
当時の生蕎麦が400円くらいだとして
一緒に生卵、茹でた卵も売られている事があり
なんと卵だけでお値段が500円にもなっていたんだとか

もともと、肉食が禁止されてる日本です
鶏肉はもちろん鶏卵も食べれないような風潮だったわけで
鶏、若しくは卵を一般に流通してはいなかったのでしょう。
それが文明が開花して、徐々に肉食も進むようになって
庶民の中に鶏卵を食べる習慣も浸透していったという経緯

そしてその後の1920頃

“究極の栄養ドリンク”的な存在として

生卵が庶民に広がったと本で記されています。

まさに卵というと
栄養価の高いご馳走だったらしいんです。

そういうことを踏まえて太宰治の文を読み返すと
病人が精をつけるのに貝焼き味噌を食べたというのもよく頷けるように思います。

一方ホタテです

そもそもホタテですが
陸奥湾には古くから生息していることが知られているそうですが
10年から20年に1度ホタテは大発生を繰り返し
安定した供給も出来なかったのが
養殖技術の飛躍的発展がされた
1930年以前は
どうやら、あまり貝焼き味噌の具として
じゃんじゃん入れて食べてるイメージは湧いてきません

味噌貝焼きという
下北の郷土料理もありますが

こちらの料理は
青森県の農林水産部のページによりますと
それぞれの家庭や飲食店で、作り方や材料は様々。
みそ貝焼きの具として

ホタテ、ネギ、松藻、イカ、豆腐、フノリなど

ホタテの貝殻を鍋代わりにしたのは
もともとは
漁師さんが舟の上で調理するのに
ホタテの貝殻を鍋代わりにしたそうで

獲れた水産物を煮て食べたのがはじまりとされ
焼き干しのダシ汁、ホタテや地元の旬の食材、味噌や溶き卵を入れて煮込む

と紹介されています。

なんでも江戸時代の藩の資料にもあるそうで
おそらくこちらも鶏卵を入れるのは後世になってからのことと思われます

これは推測ですが
もともと
貝焼き味噌ですが

鶏卵と味噌、出汁で作った卵味噌というものが
貝にのって供されることの方が多かったのですが
下北の名物のように
具材を後から一般的に食べられるようになったホタテを入れて
今のような貝焼き味噌に定着していった

そのように感じられました。

実際、人づてですが
昭和40年くらいに
ホタテを貝焼きの具として売り出すピーアールもあったと
以前聞いた事もあります

いかがなものでしょうか

郷土の貝焼き味噌を巡る
拙い考察で専門家の意見を仰ぎたいところ

今でも風邪をひいた時に卵味噌食べられているんでしょうか。

素朴で美味しい郷土の味のお話でした。

記事編集文/鈴木勇(グローバルキッチンサイゴン所属)

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