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Fラン大卒月収15万円の僕が、年収1000万円を超えるまでにやったこと

この記事は学歴に自信を持てない・年収に自信を持てない男性に向けて執筆した。僕のこのやり方は20代〜30代中盤までで若い一部の人たちには再現性はあると思っている。

世間ではホリエモンが、一般ユーザーの「月の手取り14万円。日本終わってる」発言に「お前が終わってんだよ」とツイッターで返信して問題になっていた時期があったが、僕はそれよりもさらに低かった笑(月収15万円だったので、手取りは10〜9万くらいだったかな?笑)

だが、東京にでて来て年収が1000万円を超えた。月収でいうと83万円だ。どうやって超えたのかそれを話したいと思う。

鍵は「狂気」だ

世の中、漠然とした稼ぎ方の方法や情報商材が溢れているが僕のやり方は情報商材ではないし具体的で、貴重なやり方だ。僕はそのやり方を伝える。もちろん簡単な道のりではなかった。だが、だからこそ少しでも志を抱いている君へ伝わればいいと思っている。

僕はそんな想いを持つ同志のためにこの記事を書いている。

ただし、覚悟があり地頭がそれなりに良い人にのみオススメする。全ての人が儲かる話なんて胡散臭い話はあるわけがない。そんなものはコモディティー化して価値を失う。

有料の記事を購入いただければ以下をお伝えできる。

・時間に余裕を持たせながら稼ぐ方法を知ることができる

・少なくとも月収が50万円を超える具体的な方法を知ることができる(早い話がプログラミングだ。だが、プログラミングはあくまで手段であり、それだけでは達成できない。エンジニアの正社員給与のみで月収50万は運が良くて少なくとも7年以上は勤めないと無理だ。僕はそんなに気長ではない)

・受講生として、僕への弟子入り申し込み券を手に入れることができる(僕が個別指導で格安でSEOマーケティングとプログラミングを教える。だが、人数制限ありだ。多くなれば締め切る)

以上を伝える。

僕の実績は

・Webメディアの立ち上げ、ディレクション 

→ そのサイトは現在月間200万PVを超えている

・Railsエンジニアとしての開発歴

・業務委託開発経験

・200万円規模のWebサイト買収経験

以上だ。詳しくは直接聞いてくれても良い。
今、私の月収はどんどん上がっている。2020年は月収100万円が目標だ。
覚悟と志を持って東京に出てきたことを本当に自分で誇りに思う。
このnoteの値段は今後一切下げない。というか安すぎるので、買われすぎれば値上げする方針だ。正直、本当に人に教えたくない。

具体的な方法は「6、年収1000万円を超えるためにやるべきこと」に記述している。それ以外は経緯などだから飛ばしてもらって大丈夫だ。

上京したい方・エンジニアになりたい生徒募集(下宿建築を検討中)
Webマーケティングやプログラミングを学びたい受講生を募集している。申し込みは下記のフォームから可能だ。

https://forms.gle/on2NWQ7NuRkZarBF8

また、IT界隈に入りたい or エンジニア志望生に需要があれば学び、IT業界に就職するための下宿を作ろうと思う。

情報共有し、家賃も控えめ、共に学びあえる環境や技術書籍も取り揃えた下宿だ。全国から志のある人たちを集める。

Webマーケティングやプログラミング、SEOライティングなどや稼ぎ方も教える。

同じ志をもつ人たちに僕が苦労したことを味あわせたくない。そのためにこの事業をやりたいと思っている。

始めるかどうかは、この記事のいいね数で計ろうと思う。それなりにいいね数が集まればすぐにでも始めようと思う。

1、Fラン大学に入学・卒業

まず僕の経歴を簡単に話す。

山口県生まれで山口県の高校を卒業し、広島のFラン私立大学に入学した普通の何も特徴のない男だ。

当初は警察官になりたいと考えていたのだが、大学3年生のときにたまたま見ていたテレビで孫正義が「竜馬がゆく」を読んで志を抱いたと言う話を聞き、試しに読んだところから僕の考えは実業家になりたいという考えに変わっていった。

理由は書くと長くなるので割愛するが、要は「竜馬がゆく」を読んで人生を変えようと決心するほどに心を打たれ、志を抱いたのだ。気になる方はぜひ読んでいただきたい。僕は全ての日本男児はこの本を教科書にすべきだと思っている。

話がそれたが、僕の経歴はこんなものだ。まさに日本の代表的なFラン大学卒の日本人だ。志を抱くまでは。

2、志を抱いてフィリピンへ。

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さて、志を抱いたところで次にどうするか僕は考えた。

本屋に行ったりネットで色々と実業家になるための情報収拾をしていた。スキルも何もない一介の学生がどのようにして事業を起こすのか?まず就職して世を知るのもよくないか?と迷っていた。

当時、大学4年生になった僕は就活もしていたが、内定をたくさんもらっている友達が海外に行っている友人が多かったことから、

「事業をやるにしても、一旦就職するにしてもこれからは英語だ。まず英語を学ぼう」

と考えた。だが、どうせやるなら短期で英語を身に付けたいと考えた。「一度海外に行く・コスパ・短期期間」を念頭に調査した結果、フィリピン留学をすることを決めた。

そのために、大学を休学して朝から晩まで3つのバイトを掛け持ちし半年で学費を貯めフィリピンへ短期英語留学を果たした。幸い大学の休学費用は0円だった。

フィリピンは物価が日本の3分の1だったため、生活費(宿泊費も全て込み)とフィリピン講師との英会話費用・学習費用を全て合わせても月額8万円だった。そのフィリピンに3ヶ月滞在し英会話・英語を学んだ。

正直、自分がまだ何をやるのかを具体的に決めてもいなかったので3ヶ月ほどの短期留学にしていた。無駄な時間は過ごしたくなかった。

だが、ここで英語を学べたおかげで、3ヶ月だけでもTOEICの点数は150点以上上がったし、英語に対するアレルギーはなくなり、英語の文章も読めるようになったし、外国人の異性とも付き合えた。

この英語留学が、後にこれほど役に立つとはこのとき夢にも思わなかった。

3、新卒で入社した会社は手取り9万円だった。

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それから帰国した僕は、何でも良いからとにかく事業を始めようと、英語の塾を父の自営業の職場を借りて始めたが惨憺たる結果だった。

マーケティング・ビジネスモデル・スキル・信用・資金など全てが欠けていた。

少子高齢化がひどい山口県の片田舎に英語を学びたいと思う人がどれだけいるのか?という視点がそもそも欠けていたのだ。

ようやくそのことに気づいた僕は、まずスキルを身に着ける・資金を貯めるために就職しようと考えた。

しかし、帰国してから就活をしていても全く内定がもらえない。当時はリーマンショックが起きた後でまだ就職氷河期の余波が残っていた。そのとき大学卒業まで後2ヶ月もない時期だった。

ようやくもらえた内定は、隣町の小・中学生向けの塾講師だった。「新卒」というブランドを失うことに焦った僕は、英語を活かせて実家から地理的にも近かったその塾に講師として入社した。(当時、第2新卒の枠はまだ存在しなかった)

今思えば、20代前半で若いし全く焦る必要はなかった。そしてその塾の給与はなんと手取りで9万円を割っていた。

世間ではホリエモンが手取り14万円で「お前が終わってんだよ」とツイッターで発言して問題になっていた時期があったが、僕はそれよりも倍近く低かった笑

だが、スキルを身に付けたいという考えから就職したので、特に後悔はないし教育業界の中身をわずかばかりも知ることができたので霧が良いタイミングで辞めさせていただいた。

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