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引っ越し、名字変更、アイデンティティを見失なった思春期初期


個人的に思春期初期に母親が再婚して何かしんどかったので記しておきます。思春期特有の自意識過剰が原因かもしれない。今は至って元気です。もちろんそれで良かったこともありましたが今回は全く触れていません。



小学4年生のとき、母が再婚する予定であることを知る。

私は最初「絶対嫌だ!」と拒否していた。母親を取られてしまうような気持ちになったのかもしれない。もしくは、今の友達と離れたくなかったのかもしれない。一緒に住んでいた祖父母とも離れたくなかった。好きな人もいたし。

しかしその後、結局母の再婚を受け入れた。理由は、端的に言うと気が変わったからだ。私は深く考えずに、「転校生ってなんか憧れるな」という軽薄な気持ちと、母(大人)を困らせたくない気持ちで「いいよ」と言ってしまったのだ。

引っ越すタイミングは多少選ばせてくれた。私はずっと楽しみにしていた合宿の後がよかったので、小学五年生の一学期が終わった後を選んだ。私はずっとその時まで、「もう引っ越しちゃうんだな」とぼんやり思いながら過ごした。

相手(継父)の住む隣の県へ引っ越すことになるという。転校して、名字も変わる。住む県も変わる。一緒に住んでいた祖父母とも離れ、継父の両親との付き合いが始まる(一緒には住まないが定期的に訪問しなくてはならない。継父の両親が礼儀正しい少しお硬い感じで、全く礼儀について教わっていなかった私は彼らのもとを訪れるたびに劣等感が募った。当時から今に至るまで愛想笑いで乗り切っている。)急に新しい別の人の人生が始まったような感覚。今までの自分など無かったかのような。

私って誰だっけ。

名字が変わり、出席番号も大幅に変わった。なんとなく前の名字より優等生っぽい名前になってしまった。個人の感想ですが。
地味に辛かったのは、自分の物に書かれた名前を全て新しい名字に変えないといけなかったこと。大抵のものは油性ペンで書かれているため消えない。無理やり消したり、上にシールを張った。授業ノートの名前も消しゴムで無理やり消した。そこだけ色が無くなるほど強く自分の旧姓に消しゴムをかける。過去の自分も消えていくようだ。たまに名前を直すのを忘れていたものを見つけると必死に隠していた。おそらく無意識に今までの自分を否定されたように感じていたのだろう。周りの人に嘘をつき続けているような妙に後ろめたい気持ちだった。ばれたら私のことを普通だと思ってもらえなくなる気がした。周りの人と同じ境遇でいたかったのだ。でもなんだか苦しかった。「ずっと生まれた時からこの名前で、ずっと同じような自分で生きてきましたよ、これが私ですよ」という顔をしているのが辛かった。私の名字。大好きな祖父母と同じ苗字。クラスメイトや先生に何度も呼ばれたこの名前。学校で、家で、手紙で、いつも書いていた「自分」を表すこの名前。当時小学生の私には、このフルネームのバランスを変えることは足場を一旦失うようなものだった。

このあたりから自分の言動が意図せず嘘っぽくなることに悩み始める。今も正直まだ解決していない。

思春期に周りの環境が大きく変わってしまったことで、今まで
「こうすれば社会でやっていける」「こうすれば人に受け入れられる」
と思っていた自分の振る舞いのルールが通用しないと漠然と思った。だって環境があまりにも違いすぎる。自分がどう振る舞えばいいか、人とどうやって話していたか分からなくなった。
隣の県と言うだけで、何もかも違うように感じた。自分の名前が違うだけでなく、学校の規模も違う、文化も違う、方言も違う。方言は、もともと前の県では話していたが、引っ越すと自然に消え、新しい土地の方言も入らずほぼ標準語になった。親しんでいたローカル番組や地方アナウンサーも全然知らないものになった。引っ越してから数年間は新しい番組に慣れず見るだけで不機嫌になっていた。

名字が変わったばかりだということと、継父とはまだ家族になりきれていないことは、転校先の人は誰も知らない。本当はその名前で生きることを始めたばかりなのに。ハリボテみたいな状態で、私は新しい環境へと入ることとなった。

案の定、私の小学校生活は大人が想像する気楽な小学校生活とは少々かけ離れたものになった。私がそうしてしまったのかもしれないけど。というか意外と小学校高学年って地獄の始まりみたいなところがあると思っている。私に限らず。

小6のある日、突然巨大な認知のゆがみが生じてしまい、それに抗う方法を知らなかった私は中学校でとうとう石になる。これもいつか消化したい記憶。

最初は母親の再婚がこんなにも自分の人生を変化させてしまうものだと知らなかった。知る由もない。一旦失った足場を再びなんとか整えた今はもうあまり後悔していないけれど、あの頃の辛かった気持ちはずっと覚えているだろう。あの頃生まれたトラウマもまだ消えてはいない。人間こわい。

今年で二十歳になる。
今年こそもう少し人間になりたい。


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