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地代はどのように決まっているのか、原理的な問題を考えてみる必要があるかもしれない

アダム・スミスの「国富論」に「賃銀及び利潤が高いか低いかは価格の高低の原因であるが、地代が高いか低いかはその結果である」と書かれています。

例えば、売り手が商品の価格を考える際に、賃銀分300円必要だ、そこに利益を載せて1000円で売ろうと考えたとします。

この時、地代分が200円だったら、利益が500円でる(単純化のためにここでは、仕入れ代や販管費はとりあえず考えないことにします)、しかし、300円だったら利益は400円になってしまう。

利益を500円にするためには、1100円で売らねばならない、それで売れるなら地代が300円でもいいだろう・・・

1000円でないと売れそうもないなら、200円の物件を探すとか、地主と交渉するかとか・・・

まぁ、そういう事で、賃銀に利潤を載せて商品の価格を決めるとして、地代の方は先に価格ありきで、この価格で売るとしてこの地代が払えると言う順番で決まっていくと言うのです。

さて、この「地代」論が現代日本の農地についても当てはまるでしょうか。農地の地主がいて、農地にしておくか、それとも宅地として売るか?、しかし、行政の規制があって宅地として売れない・・・

やむを得ず農地のままにしておくとして、固定資産税や用水代は払わねばならない・・・

しかし、自分では農業は出来ない、したくない・・・

こうした心理によって、「地代」の額が決まってきていると思います。

ただ、こういう心理を起こさせる行政の施策の妥当性も含めて、そもそも、地代はどう決まっているのか?と言う原理的な問題をいったん考えてみる必要はあるかもしれません。

今日の予報は、曇時々雨と出ていますが、実際は昼過ぎまで雨降りのようです。ブロッコリーやキャベツ、ニンジン、サニーレタスの種まきをしたいのですが、雨の中の作業は、やっぱり嫌だなぁと思います。

ちょっとやり方を考えています。

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