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「香る菜園」はやっぱり楽しい、不登校はいずれマジョリティになる他

昨年10月に公表された文部科学省の「令和3年度 児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果について」によると、不登校児童・生徒の割合は、小学校2.9%、中学校7.1%、小中学校合計4.3%となっています。

新商品の普及についての「キャズム理論」では、イノベータ2.5%、アーリーアダプタ13.5%としています。

例えば、固定電話しかない世界に「携帯電話」が登場した場合、ほとんどの人は使わないのですが、「新しい物」好きの人とか、高くてもお金があるから使ってみようとかと言う「限られた人達」が使います。

この限られた人達が「イノベータ」で、この割合が2.5%を超えると、徐々に使う人が増えだす、ここが「アーリーアダプタ」の段階です。

アーリーアダプタ13.5%、つまりイノベータと合わせて「6人に一人」ぐらいが使うようになると、普及に加速がついていき、全体に広がっていくと言うわけです。

この考え方を「不登校」に当てはめてみると、

既に小中学校とも、2.5%のイノベータ段階は過ぎています。小学生では23人にひとり、中学校では14人に一人が不登校です。

クラスに一人や二人、不登校の子がいても当たり前と言う状態になっているわけです。

何事についても「誰もいない状態」で自分が最初の一人になると言うのは、気持ちの上で抵抗があるものです。

「一人がやっている状態」で次の一人になる、つまり、「やっている一人に続く人が誰もいない状態」で「ただ一人続く」と言うのは、「誰もいない状態」で「最初の一人」になるよりは気持ちの上での抵抗は少ないかもしれませんが、

やはり、抵抗はあると思います。

「最初の一人」が既に存在し、「最初の一人に続く人」も存在している場合、「三人目」、「四人目」になるのは、かなり気持ちの上の抵抗は少なくなるでしょう。

キャズム理論が説くイノベータからアーリーアダプタの水準を超えると普及が急速に始まると言うのは、そういう事だと考えることが出来ます。

つまり、不登校がクラスに一人や二人いるのが当たり前状態は、三人目、四人目になる事への抵抗を引き下げていると言えます。

キャズム理論では、アーリーアダプタの次はアーリーマジョリティの段階、これは34%、イノベータ、アーリーアダプタ、アーリーマジョリティを合わせると50%、つまり、半数になります。

三人目、四人目より更に五人目、六人目は生まれやすく、七人目、八人目はもっと生まれやすいと言えます。

すると、不登校はごく「普通」の状態となり、気づいたらクラスの半分ぐらいが不登校になっているのがごく当たり前になる・・・

その間に、企業やNPOなどは、不登校の子ども向けの学習やケアサービスを次々打ち出すようになるでしょうし、行政も様々な対策を取るようになるでしょう。

そうすると、「不登校になってもやっていける」と考える人は増えるので、ますます、「不登校」がごく「普通」の選択肢になってくると思われます。

だから、2030-2040年代は、不登校マジョリティ時代になるのではないかと思うわけです。

こうなると、既存の「公教育」の枠組みでは対応できなくなると思われます。

(と言うより、企業やNPO、行政が打ち出す「事業」や「対策」が事実状の「新しい教育」のあり方を作っていくことになるかもしれません。)

マルクスは「唯物弁証法」と言う考え方を提案しました。

弁証法と言うのは、Aと言う意見とAに対立するBと言う意見があった場合、AかBかではなくて、Cと言う新しい考えが出てくると言う発想です。

この「弁証法」に「唯物」、つまり精神的な事ではなく、「物質的」な事を持ち出したのがマルクスの特徴です。

封建時代だったら、領主は沢山年貢を取りたい、農民は年貢をまけてほしいと言う考えの対立があります。(こういう対立をマルクスは「階級闘争」と呼びました。)

ところが、ひとたび産業革命が起こり、資本主義社会が成立してしまうと、もう領主対農民で「年貢」についての対立はなくなってしまう、

領主と農民、どちらの考えを採用すべきかではなく、そもそも、そう言う議論をする必要のない世の中になってしまう・・・

ある意見の対立があった場合に、対立している意見が出される分野・状態自体が、外部の条件によって消滅したり変質したりしてしまうので、

もうそう言う議論自体に意味がなくなってしまう・・・

これが「唯物弁証法」的な考え方だと思います。

こういう考え方を教育の分野について当てはめて考えてみると、

今まで、例えば、算数や数学教育で受験テクニックを教えるような方法がいいか悪いかと言う議論があったとして、

「不登校」マジョリティ化の現象が起きるとなると、そういう議論の仕方そのものが意味をなさなくなるのではないかと思います。

ポーカーチップ算数の体験会をやってみて感じた事は、算数が苦手な子どもからすると、ポーカーチップ算数で「苦手な人に対応します」と言われても、算数を教わりに来ること自体に拒絶感みたいなものがある、

つまり、「算数」はできれば回避したいと言う「不登校」的な気持ちがあると言えます。

こういう気持ちの子どもたちに足を向けてもらうにはどうしたらよいか?

そう考えると、算数・数学は「問題を解く事ではない」と言う発想は大切かもしれません。

「問題を解く」事につまづいている子どもに「問題を解く事ではない」と言うように伝える、

星飛雄馬が禅宗のお坊さんから「打たれまい」ではなく「打ってもらおう」と言う発想の転換を学んで「大リーグボール」を考えついたみたいな(自分が小学生だった時の漫画の例です。古過ぎて申し訳ありません m(・・)m

考え方の転換がいるのかもしれません。

しかし、実際に「問題を解く」事にも役立たないといけないわけで、これからのポーカーチップ算数について企画をどう進めるか?、

ここらが課題だなあと思っています。

話が変わりますが、昨年、野菜の畝間に植えたローマンカモミールやスープセロリがだんだん大きくなってきて、雑草が生える余地を減らしています。

こういうものが畝間にあるといい香りがして、農作業の時に気分が良くなります。

4-5月の早い時季に種まきしようと思っていたオレガノ、ローズマリー、ミント等のハーブ類ですが、このところ、他の野菜の種まきや植付けに忙しく、全然進んでいません。

明日は、これらのハーブの種まきをしようと思います。

小麦や大麦も色づいてきたので、「麦刈り」も必要になってきています。

2週間予報は、6/5を除いて、5/29-6/5、連日、雨が降る日となるとしています。

台風の影響もあるのでしょうが、高温化による「一足早い梅雨」とその後の「空梅雨」が生じていると考えることもできると思います。

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