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オンラインでの算数教育をどう考えるか

アメリカでは算数・数学の学力テスト結果が、1990年に学力テストが始まって以来、最低となったそうです。

背景にコロナ禍で休校&オンライン授業が行われたことがあるようです。

「手を動かしての学習」がオンラインでは出来にくいと言うことが原因の一つとして挙げられています。

これはフランスでの報告と一致しています。

コロナ禍以前からフランスではオンライン授業の導入が進められてきたそうです。

教室での対面授業の場合、先生が何か言って、すぐに理解してできる子はクラスに数名しかいないとか。

他の子は出来た子に「どうするの?」と聞いて「あ、そうするんだ」と理解して行う、

その次には「出来た子のマネをして出来た子」のマネをする子が出てくる・・・

こうして、次々と「どうすればいいか?」が伝わっていって、多くの子ができるようになる、

オンライン授業では、この子ども間の「伝搬効果」がなく、一方通行になりがちだと言うわけです。

前回の記事、

「算数につまづいている子どもたち」のために「ポーカーチップ算数」を開発したきっかけ

の中で、僕は割り算などの計算が出来ない子どもに「碁石」を並べ替える作業をさせたところ、見違えるように計算力がアップしたと言う事例を述べました。

その事例において、当初、マス目にそって碁石を並べる事をしない子どもに対し、「マス目にそって置くんだよ」と口で言うだけでなく、僕の指で碁石をマス目に沿って置くよう直したと言うことを書きました。

実は、このあたりが「オンライン授業」でできるかと言う事がかなり課題なのではないかと思います。

つまり、「碁石をマス目に沿って並べる」=「個々の碁石をマス目の中に置く」と言うことを口で言っても、何を言われているか分からないと言うか、そういう説明自体を聞けていない子どもがいると言う事です。

これは大人でもそうで、そもそも、「自分の世界」の中に存在していない考えや物事について、なにかを言われた場合、人は「誰かがなにかを言っている」程度にしか受け止めず、「内容」について理解しようとして聞く事ができないと言う傾向を持っています。

そして、算数で躓いている子どもがよく言う言葉「どうしていいか分からない」・・・これは、子ども自身の本音なのです。

そもそも、算数で習う物事と言うのは、子どもにとって未知の事なのです。単に「知らない」と言うだけでなく、その子の心の中の世界に存在していない事が示されるわけです。

だから、教える側の説明の言葉と言うのは、そもそも、受け止める枠組みが、その子の心の中の世界に存在しない、だから、意味のある言葉として聞くことができない、

意味のある言葉として聞くことが出来ないから、何を言っているか分からない、しかし、問題を与えられて、その問題を解けと言われる、

そうなると、「何をしていいか分からない」になるのは当然だと思うわけです。

そして、この「何をしていいか分からない」状態を解消するには、他の子どもが「ここはこうすればいいんだよ」と教えたり、僕がやったように「教える側」が自分の指を使って、「こういう風にするんだよ」と「修正」を施したりする・・・

つまり、「どうすればいいか」について「手とり足とり」伝える事が必要なのです。

オンライン授業で、この「手とり足とり」の方法を実現することはできるのか?
これについては、できる可能性はあると思っています。ただ、それは単にアプリを開発すると言うような事ではなく、もうちょっと「構造的な」方法論、

例えば、顔を写すカメラだけでなく、手元を写すカメラなど、複数のカメラを用意し、授業が始まったら、まず「ハイ、カメラテストします」、「1カメどうぞ」、「2カメどうぞ」、「2カメさん、手元写してください」、「1カメさん、もうちょっと引いてください」みたいなことをして、「先生」と「生徒」がお互いにオンライン越しに「伝え合う」ための訓練を「遊び感覚」で出来るようなあり方を工夫する

と言うことではないかと思います。


昨日は朝畑にいった時は、雪が積もった状態でした。昼頃には全て融けていました。

2週間予報は、最高気温10℃未満になる日が3日しかなく、15℃、または15℃近い日が5日(全体の3分の1以上)になると伝えています。

ようやく春野菜の種まきの時季が来ました。

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