ちょっと寄り道して聖書と神皇正統記を比較してみる

第一物質である「水」から天地が作られている過程を聖書がどう描いているかを述べてきましたが、

今回はちょっと寄り道です。(シリーズ三回目で早くもと言う感じですが)

聖書の天地創造物語では、第一物質である水を前に、神様が「水の中に大空あれ、水と水を分けよ」と述べて、「大空」が出現し、その大空を神様が「天」と呼んだとあります。

しかし、これは第二日の事です。

では第一日は何をしていたのかと言うと、

「神は言われた。『光あれ』。こうして光があった。」

と言うように、光をお造りになられたわけです。

この後、「光と闇を分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた」とありますが、実は、第四日になって、

「天の大空に光る物があって、昼と夜を分け、季節のしるし、日や年のしるしとなれ。」

と仰られて、天の光る物、すなわち、お日様、お月様、お星様をお造りになられているわけです。

そして、季節や日、年のしるしとなる日・月・星はこの時に作られているので、第一日で作られた「光」はお日様やお月様でない事になり、第一日で語られている「昼」と「夜」も、日が昇り、日が沈む一日のめぐりを指しているのではないようです。

この聖書の記述を、南北朝時代に書かれた日本の古典「神皇正統記」と比較してみると、極めて興味深いのです。

すなわち、神皇正統記は、こう述べています。

「まして人臣としては君をたうとび民をあはれみ、天にせくぐまり地にぬきあしし、日月のてらすをあふぎても心の黒して光にあたらざらんことをおぢ、雨露のほどこすをみても身のただしからずしてめぐみにもれんことをかへりみるべし」

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