見出し画像

「日本中世の歴史1・中世社会の成り立ち(木村茂光)」に当時の「百姓」の家の面積についてのお話が出てきます。

文治5年(1189)の「摂津国垂水西牧榎坂郷田畠取帳」に帰された屋敷面積である。そこには、垂水・榎坂・小曽根・穂積の4ヶ村の田畑と屋敷面積が「名」別に書き上げられている。
屋敷が1軒しかない垂水村を除くと、それぞれの平均は榎坂村が166歩、小曽根村が185歩、穂積村はやや大きく222歩であった。
そして、三ヶ村の平均は191歩となる。

60歩=6分の1反で約167平米、191歩は約530平米であるとのこと。
一方、備中国新見荘の有力百姓谷内氏の「屋敷指図」によれば、

谷内屋敷の正確な面積は確定出来ないが、堀を半間とすると、約130坪=450平米ほどになると言う。垂水西牧の屋敷の平均値が530平米であったから、ほぼ同面積であったと理解できよう

こうした古文書の記録をもとに考えていくと、

約0.5段ほどの敷地に母屋を中心に3,4軒の家屋が立ち、その周囲には菜園を中心とした畠地が存在し、それらを取り囲むように垣根が立っていた

と言うのが当時の百姓屋敷の様子だったようです。
建物面積を100-200平米程度で堀や垣根の面積もあるとすると、菜園面積は200平米ぐらいだったのではと思います。
ちなみに、かなり以前に農水省が調査した結果では、1世帯の野菜自給のための菜園面積は30平米程度との事。
これは現在の標準家庭(夫婦+子ども2人)を前提にした話で、当時は菜園で麦や豆などの穀物も育てていたとすると、200平米の菜園で2-3世帯分程度の野菜や雑穀が賄えたと思われます。

2週間予報値は、2/10に最低気温-2℃になるものの後は0℃以上、最高気温はほぼ連日10℃近辺か、それ以上。バレンタインデー前後は15℃以上になると見込みを伝えています。
今日は大根の種まきをします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?