フィリピン、性的な視線、"Gift"と呼ばれた男
もう数年前の話。フィリピン留学の中心はフィリピン人講師との交流だ。授業の枠を超え、友人のように講師と仲良くなることは多い。
フィリピンの語学学校には、大学出たての若い講師が多い。女性講師の割合が大きいため、陽気な国民性も合わさり、学校には華やいだ雰囲気が広がる。
美しい身なりの男たち
男性講師は少ない。その中に、明らかに共通の傾向をもつ男性講師が複数いた。
線が細く、服装も細さを強調した服。身だしなみは綺麗、髪はアシンメトリーに立たせ、格安で手に入る香水をうっすら匂わせる。仕草が女性的で、知的で性的な冗談が好き。整った顔をしているか、清潔感のある顔をしている。
彼らは「ゲイ」だった。僕は留学途中から彼らがゲイであることを知った。仲良かったあいつもこいつもみんなゲイだったのか、と驚いたものだ。他意は一切ない。単純に自分の人生の中にゲイという概念がなかったので、初めての経験にびっくりしたのだ。
(※ちなみに韓国系の学校では、彼らは自分のことをゲイとは絶対言わない。大口顧客の韓国人にマッチョ信仰が強いため、商売上、隠す講師が多いためだ。)
僕は彼らとの交流を楽しんでいた。彼らは純粋に面白かったし、優しくされると嬉しいものだ。英語学習中の身としては、英語を話す機会も増え、嬉しかった。
ただ、卒業してから、僕はその男性講師たちから陰で"Gift"と呼ばれていたことを知った。神からの贈り物、ギフト。特に登校初日の反響がすごかったと聞いた。
なぜか。それは僕がフィリピンのゲイにとって、ハンサムだったからだ。
"Gift"という隠語
僕は決してイケメンではない。濃さがはみ出て、特徴のある顔だねと言われる。登山家・野口健に少し醤油をさした感じだ(野口さん、すいません)。
僕は人見知りが強いため、人の目を見るのが苦手で、逆に過剰に相手の目を見つめる習慣がある。僕の背はフィリピン人にとって高く、身体は細く、色は白い。細みの服が好きでよく着ていた。それらが丁度、彼らにハマった。
卒業後、情報を教えてくれた女性講師曰く、ギフトは周期的に現れるとのこと。ギフトの一挙手一投足が話題の的となるが、生徒の前では決して話題にしない。僕がその何代目かのギフトだった。
いま思えば、あの男性講師の潤う瞳や、別の男性講師と二人きりで恋煩いの歌を歌われたことなど、点が線に繋がり、すべてが走馬灯のように蘇る。
そう、僕はフィリピンでモテたのだ。ゲイの男性に。強く激しく。
舐めるような視線、そのされる側
ところで、おそらく男子の90%はそうだと思うけど、僕は美女が好きだw。
失礼とはわかっていながら、好みのタイプの人とすれ違うと見てしまわずにはいられない。見惚れて目が合う。声をかけることはできない。その勇気も技術もない。その視線は所詮、行き場のないベクトルだと思っていた。でもフィリピンに来てから、その考えは変わった。
(※ちなみに、フィリピンには明らかにゲイが多い。日本のゲイの比率はよくわからないが、体感では明らかに日本より多く感じる。)
僕は何気なく道を歩く。でも何か強い圧迫を感じる。気付くと男性が僕を見つめている。自意識過剰かと最初は思ったが、あの目は違う。あの潤んだ瞳だ。僕は知ってる。ねっとりとした感覚が身体に残る視線だ。
男性も軽やかな笑顔ならまだいいが、強く異性として見つめられると、端的に気持ち良くはないのだ。鳥肌までは立たないけど、こうぐっと疲れるのだ。性の対象として見られること。異性の目には力があるのだと僕はフィリピンで学んだ。
今なら言える。世の男性諸君、そして昔の僕。美女は絶対あなたの視線に気付いているよと。
(※追記。念のため、僕はLGBTに対する偏見は一切ない。ゲイの友人もいる。この記事は性的な視線に対する問題提起であり、同性を好む人がいても、それは単に僕と巡り合わせが違っただけで、それ以上も以下もないと思っている。)
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