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【子どもの成長】見過ごすと見失う幸せを、見過ごして見失いたくない
#ゆたかさって何だろう と考えた。
足るを知る、と老子の思想にもあるが、欠乏する心から自我を解き放てば、必要なものは満たされていることに気付く。
死ぬほど困窮しているわけでもなく、なんとかうまくやっている妻と可愛い子どもがいてくれて、人生は御の字だ。
それでも、どこかで満たされない思いに囚われる自分がいる。
これはあくまで個人的な問題で、誰もこの欠けたピースを見つけてくれないことはわかっている。
自分で、手探りで、見つけるしかない。(ぼくが人より読書が好きなのは、たぶん何かを探しているからだ。)
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ジブンの空虚にコンニチハしているとき、自分の意識が内側に向きすぎて、タニンの存在にサヨウナラしてしまっている。
ぼくはいるけど、ぼくはいない。
周囲は動いていても、ぼくは止まっている。
しかし、忘れてはいけないのは、ぼくには守り育てていかなければならない存在がいるということだ。
ぼくがどれだけ精神の海底から海面を覗いていても、子どもの笑顔と、くだらない冗談と、勝気と恐怖が入れ替わる表情と、そういったすべてのものはぼくの心の動きとは関係なく生まれているのだ。
日々新しい語彙を手に入れ、賢くなり、ズルくなり、できないことが体力の向上でできるようになり、できることが思考力の向上でできないようになり、子どもはぼくと妻に微笑むのだ。
ぼくは笑いかけ、よくやったね、すごいなと褒めてあげて、子どもは得意気に自分の世界に帰っていく。
幸せはそこに確かにある。ぼくはその世界を守ってあげたい。
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ぼくには何がゆたかさなのか結局わからない。(ここでお金という人は野暮よ)
いまでも何かを探しているし、それはきっと見つからないことも気付いている。
それは仕方のないことだ。ぼくは生きているのだから。
それよりも、子どもの幸せ、家族の幸せを願い、小さく輝く金色の王国を築こうと今日も家路につきたい。
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