もしここが天国だったら

『もしここが天国だったら? ― あなたを制限する信念から自由になり、本当の自分を生きる』を読みました

こんばんは、トラウマ解消ヒーラーのSAICOです。

ステージIVの末期癌から、臨死体験を経て生還した著者による、『もしここが天国だったら? ― あなたを制限する信念から自由になり、本当の自分を生きる (アニータ・ムアジャーニ (著)ナチュラル・スピリット)』を読みました。

著者が、「向こう側の世界」で得た洞察を現実に活かすための方法が書かれた本です。

臨死体験をした著者は、むこうの世界で
・ただ、自分自身を無条件に愛して、ありのままの自分でいればいい。
自分の光をできるだけ明るく輝かせせればいい。
・あなたが唯一すべきことは、自分自身を愛し、自分を尊重して、その自尊心や自己愛を体現することだけです。そうすれば、あなたは愛そのものになるでしょう。それこそが、自分や周囲の人たちへの真の奉仕です。
というメッセージを受け取ります。

しかし、現実の世界の中では、臨死体験をした著者でさえそのことを忘れさせられてしまうような、誤った社会通念や、苦しみに遭遇してしまいます。この本では、誤った社会通念に背を向けて本当の自分を生きることができるように、解説されています。

スピリチュアルな内容ですが、なんせ、著者の実体験から書かれているので、説得力があります。何度も読み返したい本だと思いました。
各章は、著者の体験をもとに、とてもわかりやすく解説されているのですが、ここでは私の健忘録的にポイントだけ書きます。

誤った社会通念1 ― したことが自分に返ってくる

人がどう考えようと、何を言おうと、私たちはみんなありのままで無条件に愛される価値があります。

たとえば、 いじめにあった場合、それは自分のカルマとかのせいではなく、いじめる側の心の問題と考えたほうがよい。
いじめる側の心の苦悩や混乱を、いじめる相手に投影しているだけで、いじめられる側が悪いわけではない。

自分の価値を証明しなくても、ありのままの自分で十分だとわかっていたら、人の言動にかかわらず冷静な気持ちでいられる。

本当の自分は、純粋な愛、純粋な意識であることを考える。

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誤った社会通念2 ― 自分を愛することは利己的である

自分を愛することが自分にできる最も大切なことで、それがこの上もなく幸せな人生を生きるための鍵になる。
まず、自分を無条件に愛することを学ぶまで、他人を本当に愛することはできない。自分の持っていないものは人には与えられない。

自分を愛さなければ、私たちを通して表現されている神の部分を否定することになる。

自分を愛することは、自己陶酔や傲慢になることではない。
自己陶酔は、自分への愛がないから、それを埋め合わせるために他人の注目を得ようとしてしまう。

身なりを整えて健康的な生活をしているからといって、自分を愛しているとは限らない。
恐れ(病気になる恐怖、人にバカにされる恐怖など)から行動すると、なんであれそれは自分を愛することにはならない。
自分に対する愛から健康的な生活や身なりを整えたりすることは、自分を愛することになる。

自分を愛するのは、いつも自分をほめたり、自分がどんなに素晴らしいかを自分に言い聞かせることではない。
自分を愛するとは、本当の自分、弱点をもち、失敗をしたり、期待に応えられないこともある自分を愛するということ。誰もそうしてくれなくても、自分に対して誠実であり続けると誓うこと。

自分をどれぐらい愛せるかで人生は決まる。

<エクササイズ>
毎朝起きたら鏡の中の自分の目をまっすぐ見て、
「私はあなたを愛しています。決してあなたを落ち込ませたり、見放したり、ないがしろにはしません。私はいつもあなたの親友です。」という。
自分に対して愛情を抱いているといえるのは、、、
▼他人がどう思うかを心配するのではなく、いつも自分に楽しみと喜びをもたらすような選択をしている。
▼人生がうまくいっている時、あるいは毎日が喜びに満ちている時、そのことに罪悪感を抱いていない。自分への批判が、頭の中の一番大きな声ではなくなる。
▼他人からのほめ言葉を素直に受け取らないことはやめて、代わりに心から感謝する。
▼義務感や罪悪感から、あるいは人にコントロ ールされていると感じてではなく、自分の喜びや自由を感じながら人のために何かをしている。
▼たとえ周りの人がよい境遇にいなかったり幸せでなかったりしても、自分には幸せになる権利があると知っている。

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誤った社会通念3 ― 真の愛とは何をされてもゆるすこと

臨死体験で体験した無条件の愛が太陽の光だとしたら、条件付きの愛は蛍の光ぐらいのもの。
無条件の愛は、感情ではなく存在の状態。その反対が存在しない。コインの片面ではなく硬貨全体。

無条件に人を愛するというのは、相手が自分に対していかなる扱いをしてもそれをゆるす、ということではありません。真の無条件の愛は、自分への愛から始まります。
もしあなたが自分を愛しているなら、他人があなたを利用したり虐待したりすることを決してゆるしたりはしないでしょう!愛する人の価値観が自分のそれと対立する場合、関係にしがみついて自らの魂を殺してしまうのではなく、恨みや憎しみを持たずに別れることが自分を愛するためには必要なのです。
本当の無条件の愛とは、相手が望んでいるものをあなたも相手のために望むことです。それが自分が相手に望むことと違っていたとしてもです。ですから、パ ートナ ーに対して自分が望むように変わってほしいと思うのはやめて、ありのままでいる自由を与えなければなりません。

奉仕は、自分という存在の中心から本当の自分を表現しようとしている時、自然にできるもの。
義務感から奉仕をすることは受ける側にとっても与える側にとっても不誠実になる。
真の奉仕とは、ハートからやってくるもの。本当の自分でいれば自然にできること。
自然にできるから、そこには義務感がない。
真の奉仕は、無条件の愛の結果。

私たちは奉仕を行うのではなく、奉仕そのものになるのです。そうすれば、奉仕はもはや重荷にはなりません。軽く楽しいものに感じられ、受け取る側にとっても与える自分にとっても喜びとなるでしょう。
本当の無条件の愛を経験していると言えるのは、、、
▼他人が自分自身について新たな発見をしてスピリチュアルに成長した時、心からの幸せを感じる。脅かされたように感じり、自分への影響に対して不安を抱いたりしない。
▼パートナーとの関係において、それぞれが本当の自分になる自由をゆるし、お互いが心から幸せになれるよう助け合ってる。
▼自分の関係性を見た時、時には与えすぎたり受け取りすぎたりすることがあっても、全体としては与えることと受け取ることの健全なバランスがとれている。

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誤った社会通念4 ― 自分には問題があり、あなたにも問題がある

かつては私もは自分には根本的に悪い部分があり、改善する必要があると信じて人生の大半を過ごしてきました。心身の健康のためにいつも努力しなければならず、様々な専門家の助けが必要だと信じていたのです。そのことが実はまったく正反対の結果を生み出し、恐れや不安や傷つきやすさといった感情を含むあらゆる問題を引き起こしているとは考えもしていませんでした。
癌を寄せつけないことに注意を向ければ 〝癌に対する恐れ 〟の中で身動きができなくなり、正反対の結果を生み出すことになります。この状態はまさに、かつて私が癌になった時に起こったことでした。私はそれ以来、自分にできる最も健康に役立つことは、喜びをもたらすことに集中し、情熱に従って、恐れではなく愛から選択することだと学んだのです。
どのような専門家であれ、自分が会いにいくように導かれたと感じ、自らの希望でその処方薬を摂取するのであれば、それは自分の内なる導きに耳を傾けて自分自身に力を与えていることになるのです。これは、自分の健康や幸せを促すのに重要なステップです。
私たちは生まれながらにあらゆる点で完璧です。
私たちは本当の自分を一時的に忘れているかもしれませんが、どこかが壊れているわけではありません。
人生で起こる難題は、私たちに悪いところがあることを示すものではなく、本当の自分へと戻る旅の一部にすぎません。
<エクササイズ>
自分がぶつかっている難題を恵みとして見る習慣をつけましょう。思い通りにいかないことがあるたびに怒ったりイライラしたりするのではなく、「もしこれが宇宙からの贈り物だとしたら 、私に何を教えようとしているのだろうか ? 」と自問してみてください。視点を変えることによって自分の中にある知恵に気づけることに驚くでしょう。
自分の内なるガイダンスシステムとつながっていると言えるのは、、
人生における苦難は私の欠点によるものではなく、自分の旅の重要な一部なのだと心から理解している。
▼そういった苦難が実は贈り物だと理解している。
▼周囲のすべての出来事やその結果をコントロ ールしなければならないと思っていない。
▼人生とは自分に降りかかってくるものではなく自分を通して表現されるものだと理解しており、自分が 〝人生がそれ自体を表現できるチャネル 〟となることをゆるしている。

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誤った社会通念5 ― ヘルスケア制度が健康管理をしてくれる

ここは、ガンを作り出し、それから生還した著者が書いているので、わかりやすい!引用が多くなってしまいました。
最近はいろんな治療法がでてきているので、友人知人からいろんなアドバイスをされすぎて振り回されて苦しくなっている人もいるのではないでしょうか?そんな時、内なるガイダンスにしたがうといいという、著者のアドバイスはとても参考になると思います。

私たちの身体は戦場ではありません。ですから、身体をそのように扱うのはやめなければなりません。そこには勝ったり負けたりという闘いはなく、滅ぼすべき敵も存在しません。私たちの見方によって、癌などの病気は贈り物にも呪いにもなるのです。このような病気は 〝やっつけなければならない悪魔 〟ではありません。 〝過去世の悪いカルマ 〟の結果でもなく、自分のネガティブな思考の結果でもありません。
病気はむしろ、身体が私たちと対話する手段、よりよい道を示すための方法なのです。私たちは癌で─ ─あるいは数え切れない他の理由で ─ ─死ぬかもしれませんが、その時が来れば誰もが死ぬのです。けれど、死は敵ではありません。敵となるのはたいてい、病気に対する私たちの見方です。その見方の中には、 「もし病気になったり死んだりしたら、それは自分があきらめずに一生懸命闘わなかったからだ」あるいは 「十分勇敢ではなかったからだ」とか「生きようとする強い意志を持っていなかったからだ」「自分の思考やビジュアライゼ ーションが十分にポジティブではなかったからだ」などという、あまりにも単純すぎる考えも含まれます。これらの考えは恐れを生み出すだけでなく、真実でもありません!そして、健康上の問題を抱えている人を卑しめて、本人だけでなく彼らの愛する人たちにもものすごいプレッシャーを与えます。しかも、彼らが最も傷つきやすくなっている時にです。
現在のヘルスケア制度は、健康よりも病気に全力で取り組む病気ケアのプログラムになっています。
私は自分が病気を経験して以来、誰かが生命に関わる病気になった時には、その人の身体的な状態だけでなく感情的な状態にも注意を向けることが必要だと強く感じています。理想を言えば、ヘルスケアの従事者は患者に次のような質問をしてほしいと思っています。
◆あなたは自分を愛し、高く評価していますか?
◆あなたは幸せですか?
◆あなたにとって重要な人はいますか?また、あなたのことを重要だと思ってくれている人はいますか?
◆あなたの人生には目的がありますか?
◆あなたは何に夢中ですか?
◆何があなたに喜びをもたらしますか?
医師などのヘルスケアの専門家は、私たちの身体の状態について情報や選択肢を与えることができます。でも、私たちには自分の内なるガイダンスとつながって、最善の行動を決める責任があります。
身体が健康でないのは医療だけの問題ではありません。その原因は、環境とも関係します。精神的、感情的な状態、あるいはスピリチュアルな状態にも関係するかもしれません。
私たちは病気の犠牲者ではありません。なぜなら、他のことと無関係に病気になることはないからです。私たちは多くのレベルにおいて、自分の健康を改善するために様々なことができるのです。
病気は教師 ─ ─たいていの場合は注意を喚起するもの ─ ─で、私たちによりよい道を示してくれます。病気は滅ぼすべき悪魔や悪いカルマの結果などではなく、ネガティブな思考のせいでもありません。死そのものも、私たちの敵ではないのです。
病気を呪いだと思うのではなく 、その中に贈り物やメッセ ージを見つけるようにすると、そのことが私たちに力を与えてくれます。病気の治癒にも役立つかもしれません 。
どんな種類の情報であれ、多すぎて負担になった時は情報の断食を考えましょう。少なくとも一日か二日、外の世界から新しい情報を取り入れないようにしてください。そうすれば、自分の内なるガイダンスシステムからの指示が聞こえやすくなります。
選択が必要な時にはいつでも自分のガイダンスシステムとつながれるようになりましょう。一つひとつの選択肢について考えながら、それがどんな感情を引き起こすか、どのような感じがするか(希望にあふれて力を得たように感じるか、それとも恐れを感じて弱くなった気がするか )に注意を向けてください。そして、最も気分がよくなる選択肢に決めましょう。
他人があなたのすべきことについてしつこく言う時は、彼らは自分自身の恐れの場所から話しているのだと理解してください。彼らの愛と思いやりに心から感謝して、あなたが最終的にどのような決断をしようとそれをサポ ートしてくれるように頼みましょう。たとえあなたが彼らの望んだことをしなかったとしてもです。
自分の健康に責任を持っていると言えるのは、、、
▼ヘルスケアの専門家からも、友人や家族からも、喜んで情報を受け入れている。ただし、彼らの専門知識、気遣いに感謝しながらも、その情報に圧倒されたり、提案された通りに行動しなければならないと思ったりはしない。
▼自分が決断する時、恐れに影響を受けるのではなく、自分のガイダンスシステムにつながってその時自分にとって正しいと感じるものは何かを判断している。
▼自分の身体は、肉体的な健康だけでなく、精神的、感情的な健康、スピリチュアルな健康の状態を示すバロメーターだと理解している。そして、身体の与えてくれる学びとガイダンスに感謝している。

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誤った社会通念6 ― それは単なる偶然だ

私たちは大きな宇宙の一部であり、物質世界では目で見ることはもちろん、想像さえできないような複雑なやり方でお互いにつながり合っています。
もしすべてがつながっているという非二元性の観点から物質世界を見ることができれば、起こることはすべてそのままで完璧だとわかるでしょう。たとえ、この世での制限のある見方ではそのように思えなくてもです。
もしあなたが自分を痛めつけ、過去の自分の行動を「間違いだった 」と批判しているなら、当時のあなたは自分にできる最善のことをしたのだということを思い出し、その時に知っていたことや感じたことについて考えましょう。
どこかへ行くように、あるいは何かをしたり言ったりするように導かれたと感じたら、その第六感に従うようにしてください。シンクロニシティによって人とつながる可能性を受け入れましょう。
真のワンネスを経験していると言えるのは、、
▼ランダムな偶然に思えることが実は、自分を導いている壮大な計画の一部であると思いださせてくれるような、嬉しいシンクロニシティーが起こる。
最終的にすべては善のために協力しあって働くという理解があり、即座に自分や人に対して好意的な解釈ができる。
▼痛ましい状況を目にした時、批判や怒りから反応するのではなく、まず最初に苦しみや混乱を引き起こした人に対する思いやりを多少なりとも示すことができる。

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誤った社会通念7 ― 死んだら自分の罪を償う

とても多くの人たちが死後の審判があると考え、それを恐れるように条件付けられていることに頭を悩ませています。しかも、人々が答えや慰めを求めたり、恐れている時に頼るところがませにその誤った信念を永続させている組織や団体なのです!

向こう側の世界(臨死体験でいった世界)に存在するのは、私たち一人一人への無条件の愛と思いやりだけで、この世でしたことやしなかったことに対する審判や罪は存在しないそうです。

また、向こう側の世界では、物質世界でのアイデンティティー(人種や性別、文化や宗教など)を何一つもっていないそうです。

自分の死も愛する人の死も恐れていないと言えるのは、、
▼死は終わりではなく、愛する人が亡くなってからも彼らと会って話ができること、同様に自分がこの世を去っても、残してきた愛する人たちと会って話ができること、を知っている。
▼向こう側の世界に行った人たちのことを心から喜び、彼らが純粋な愛と安らぎと無条件の愛の状態にいること、そして、物質的次元にいた時の関係がどうであれ彼らも私のために同じように願っていることを知っている。
▼自分や他人に対して非難ではなく共感と思いやりを抱いており、私たちはみんなつながっていて、物質的次元での発言や行動にかかわらず誰もが神の愛の表現であると理解している。

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誤った社会通念8 ― スピリチュアルな人にはエゴがない

エゴは私たちの敵ではなく、私たちはそれに打ち勝つ必要はありません。エゴは物質世界で生き延びるために必要なものです。
もし、私たちにエゴがなければ自分のニーズを満たすことは不可能です。そして、他人からの虐待に身を任せることになってしまうでしょう。ですから、自分自身を愛すること、そしてエゴを持つことが重要なのです。

私たちは健全なエゴ気づきの両方を持って生まれてきます。
気づきが全開でエゴがない→臨死体験中のような状態
気づきのレベルが下がって、エゴがそのまま→利己的な人に周りから見える---この場合はエゴを減らすよりも、気づきのレベルを高めるように促すことが大事
気づきもエゴも低くなってしまう→自分を表現できない、大切にできない、本当の自分を抑圧、他人に虐待されても許してしまう

エゴを否定していると、それは様々な状況で、予告なくコントロール不能な形で現れます。
バランスがとれていて、エゴと気づきがともに最大の状態で機能していると言えるのは、、、
▼すべての人の痛みという重い荷物をまるで自分のもののように背負うことなく、他人に対して、思いやりや共感を抱いている。
▼自分のユニークさを表現し、本当の自分、そして物質世界へやってきた理由を発見させてくれるエゴに感謝している。
▼エゴを超越していないからという理由で、他の人たちを非難しない
▼他人に傷つけられた時のことについて、彼らは自分の無知や苦しみからそうしたのだと理解している
▼恐れや飢えを感じている機能不全な自己ではなく、十分な理解と喜びにあふれた自己として顕現している。また、そのことが自分だけでなく自分と接するすべての人に力を与えると知っている。

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誤った社会通念9 ― 女性は男性より弱い

スピリットの領域では、私たちには物質的身体がなく、男女の性別はありません。私たちはみんな平等であり、等しく強力な存在です。
私たちはこの世でどんな経験をしたいかによって、男性か女性、あるいはトランスジェンダーを選んで物質世界へ生まれてきます。
性別によって自分の価値を決定していないと言えるのは、、
▼(人種や社会経済的レベルと同様に)私の性別、ジェンダー、性的志向に関する人々の意見や信念によって、自らを他人より小さく感じたり、弱く感じたりしていない。
▼男女のどちらか、あるいは特定の性的志向がより望ましいとか優れているとされる社会的な条件付けに甘んじること、それを継続させることを拒否し、自分のところで責任をもって食い止めたいと思っている。
▼自分も創造の一端を担った今の世界に責任を持ち、この不均衡に加担したと他人を責め立てることはしない。むしろ、自分が積極的にバランスの修復を助けることで、他人にもそうする勇気を与えられると知っている。

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誤った社会通念10 ― いつもポジティブでなければいけない

いつもポジティブでなければならないと信じることは、「ありのままの自分では十分でないから、ポジティブなうわべで本当の自分を隠さなければならない」というメッセージを自分自身に送っていることになるのです。
楽観的に考えることや希望を持つことは確かに役立ちますが、人生の大災難が避けられないような時、前向きでいる必要があるという信念はさらに大きな重荷を加えるだけです。
痛みから抜け出る一番いい方法は、それを十分に経験することだと私は学びました。つまり、まず痛みがあることを認め、それから受け入れるということです。痛みの存在を承認して、それを心から感じることを自分にゆるす、そう、痛みを自分のものにするのです。
臨死体験中、大切なのはポジティブでいることではなく、ありのままの自分自身でいることだとわかりました。ネガティブな思考をすべて取り去る必要はなかったのです。そして、他人が望む私でいることではなく、ただありのままの自分を愛することだけが必要でした。
恐れやネガティビティを感じても、自分の感情と闘ったり、その感情を抱いたことを責めたりしないでください。それらの感情をそのまま認めて、十分に感じるようにしましょう。そうすれば、動きが取れなくなってしまうことなく、その感情を通り抜けることができるはずです。
思考や感情のすべてを含めて「ありのままの自分を受け入れている」と言えるのは
▼ネガティブな思考を追いやろうとせず、それば現れるたびにそれを認めて十分に感じるようにしている。
▼他人が私の思考や感情に対して何を望むかは気にせず、ありのままの自分の一部であるすべての感情を何の判断もせずに愛して受け入れている。
▼喜びと情熱を最も感じさせてくれるものとつながることによって、本当の自分を表現できる。

まとめ

自分自身を無条件に愛して、ありのままの自分でいればいい。

一言で言えば、そうなるのですが、普通に生活していると、それが難しく感じられることが多いし、こまごました疑問も出てきてしまいます。

人生で迷いや事件が生じた時に読み返して、「本当の自分は、純粋な愛、純粋な意識である」ということを思い出すようにしようと思いました。

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