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「まぁるい日本 国家安全保障(ビジョン2100)」No8~Ⅰ-3:脅威等への対応手段(その1)~

■全般

人的・物的な国際交流、金融・経済の自由化、国家間の産業の機能分担と相互依存(サプライチェーン)は進み、情報は、サイバー空間のネットワーク化によって世界中にリアルタイムで伝達され、誰もが等しく手に入れることができるようになった。
脅威は予想を超えた時間、地域、規模、機能的範囲で奇襲的に発生し、脅威がもたらした被害や混乱は、人々に与えた心理的影響や世論を受けて複合的に拡大し、またたく間に世界中に波及する。
脅威への対処は、脅威の拡大に先んじて、迅速かつ細心にして大胆に、省庁横断的に行われなければならない。

脅威の項では、国内で生じる脅威と国外で生じる脅威に大別して、さらに国内で生じる脅威を自然による脅威と人為的な脅威とその他の脅威に分類した。
国外で生じる脅威のほとんどは人間の意図に基づいて生まれ、何らかの情勢の変化を伴って波及してくる。
テロやサイバー攻撃は国内で生じる脅威に分類しているが、国外における敵の姿を明確に捕らえた場合には、国際的な犯罪として取り扱われる。影響が国外に及ぶと考えた場合には、国際的な協力を得て処置する。
脅威の発信(生)源とされた国は、他国への攻撃の意図を許容しているものと見なされて、国際的に厳しく指弾される。状況によっては戦争行為だと見なされ、秘密裡に超法規的・懲罰的なサイバー攻撃が行われたり、軍事的手段がとられたりすることがあり得る。
現実に、そのような高い技術的能力を持ち、組織された機能を整備している国は米国以外にはないが、遠くない将来、数カ国の先進技術を備えた国が限定的ではあろうが、そのような能力を保有することは間違いない。
バンデミックだけは自然発生的な疫病から発生し、突然拡大してしまった結果のことをいう。

脅威は、何らかの目に見える損害を被らない限り、気付かないことが多い。損害があってからさえ、その意図を判断できないことがある。
意図がはっきりと分からない脅威が発生した場合、的確な情報を手に入れた国だけが説得力をもって説明して支持を獲得し、自信と責任をもって対処し、自国の安全を確保することができる。
確たる情報を持たない国は感情論に走り、無用の論争を生じさせ、断固たる態度を示すことができないまま混乱を拡大させる。その結果、他国に追従するか、国内外の支持、信用を失うことになる。

脅威は心理的かつ相対的なものだから、対象国との力関係や歴史的背景によって感じ方や受け取り方、そして脅威への対応要領が異なってくる。
それだけに相手国の能力、指導者の個人的な性格や資質、国民の宗教観や価値観などに関する情報の蓄積、継続的な分析・評価が欠かせない。

脅威への対応手段とは、文字通りの脅威への対応手段であると同時に、対象国や諸外国などへのメッセージであり、国民の安全安心を確保する対策である。
発生した事案への対処が適切に行われない場合、社会的、経済的、政治的な影響が広がり、国家の一部の機能が損なわれ、国家的活動が制限され、より大きな混乱や問題や損失が生まれる。
適切に対処できない場合には、それに引き続くより大きな、しかも周到に準備された脅威が顕在化し、国家安全保障上の危機に発展する。

ここでは、主要な脅威を取り上げ、対応手段をそれぞれの特性に応じて、予防、抑止、対処の三つに区分して考察した。

取り上げた脅威は、全面戦争、領域警備事案(限定侵略)、ミサイル攻撃、テロ等不法行動、サイバー攻撃、地域覇権国の出現、地域紛争等、シーレーンへの妨害等、自由貿易体制の阻害、諜報活動、謀略の十一項目である。

これらの脅威に対して考えられる限り幅広く対応手段を準備することで、脅威の顕在化を未然に抑止できる可能性が高くなり、脅威が顕在化したした場合に、被害を局限することができる。
政治目標を追求する際、リスクを計算して、予想するさまざまな事態への対応手段を用意しながら進めるのが危機管理である。
対応手段の選択肢が多くなればなるほど、平和的な手段で脅威の出現を予防し、抑止して、政治目標を円滑に達成できる可能性は大きくなる。

脅威への対応手段は、国際的な秩序やルール、科学技術などが一定であることを前提として考察している。
国際的なルールは、国際世論、科学技術の発達、関係者の個人的な感情などによって簡単に変えられるので、常に細心の注意を払って見ておかなければならない。
スポーツの例を思い出せば分かりやすい。
スキーのジャンプ競技の採点基準の変更、水泳の水着の使用基準の変更、柔道の判定基準など、突然のルールの変更で全く勝敗の行方が変わってしまう。科学技術の発達による新器材の登場や競技人口の拡大、新しいファン層を獲得するために多くの人たちに分かりやすい判定基準にする。
果ては関係者の好み、自国への利益誘導など予想もしなかったさまざまな目的や理由で変更される。
不変的なものだと思われている領土、領海、領空、宇宙空間、国家の領域に関する概念でさえ、国際基準は変遷している。将来変更される可能性は十分にある。

例えば、領海一二海里、経済水域二〇〇海里認識がほぼ固まったのは、ほんの三〇年前、一九八二年の海洋法条約の採択によってである。
それまでは海洋資源保護の利害関係や海軍力の優劣によって、各国の主張は異なっていた。
中国は、大陸棚が資源の宝庫である可能性が指摘されると、大陸棚は領土の「自然の延長」であり、資源の所有権は、領土に対する主権の効果として当然かつ始原的に存在する固有の権利だと主張しだした。
中国ばかりではない。

アメリカは、一九四五年にはトルーマンが、領海外の大陸棚の鉱物資源の管轄権を宣言していた。
大陸棚の境界画定を巡っては、一九六九年北海大陸棚事件、一九七七年英仏大陸棚事件、一九八二年チュニジア・リビア大陸棚事件、一九八五年リビア・マルタ大陸棚事件などの係争が起きている。

資源開発に関しては、自国にとって利益が大きいと判断した国が発意し、関係国の利害関係が集約されれば、それまでの概念は簡単に変えられてしまう。
むしろ、このようなことの方が当たり前なのだと意識して、自国に有利な状況を作り出す努力を継続しなければならない。

金融でも経済でも貿易でも同じで、自国に有利だと判断すれば自由化を主張するし、そうでなければ規制を設け、新しいルールを作る。
どこの国の指導者も、自国に対する責務を果たすことを第一義に考えることが当然である。
自国にとって有益だという判断基準や価値観は、環境や国民意識(世論)や指導者の性格などによって容易に変化する。

一九八七年に東京都が一万個のテトラポットで囲みコンクリートで固めた沖の鳥島は、歴史的には間違いなく日本の領土であるが、浸蝕され、単なる二つの岩のようになってしまっている現状だけを見れば、海洋法で定める「島」に該当しない恐れがある。
二〇〇七年に灯台を設置した東京都の処置がなければ領土として存在していたかどうかさえ分からない。それに対して、口を挟む国もある。
地球温暖化が進み、海水面が上昇すれば、それさえも危うい存在になってしまう可能性は大きい。

日本人にはない発想で予想外の行動をする国がある。
日本海の歴史的名称変更を画策したり、突然、軍事力を持って実効支配したり、海底地形の名称を届け出ることによって、それまでは関係のなかった海域までを自国の影響力の及ぶ範囲だということを認知させる手段にしようとする。
それに対応しないと既成事実になってしまう。

理由があればまだ良い方で、何の理由もなく、突然、隣国の領土の領有権を主張する国がある。知的所有権や商標登録でも同じような予想外のことが起きている。
馬鹿馬鹿しいと言ってはいられない。
自国の主張は、言い続けなければならない。

意に沿わないことでも、論理的に進むのであれば、まだましな方かも知れない。
全く異なる価値観をもってすれば、黒だって白だと言いかねないし、ルールは作るのだと言う者がいてもおかしくない。
主張しなければ認めたものと見なされ、一〇〇万遍言い続けた者の主張が正しいとされる恐れが出てくる。主張しない方が悪いのだと言われる。
考えられないことを考えて、予想外のものが予想外でなくなるように対応手段を考え、できれば事が起きる前に争いの芽を摘み獲り、一度事態が起きたならば、直ちに対応する準備を整えておかなければならない。

人間というのは不思議なもので、不測事態を心配して予測すればするほど、不測事態がなくなるような錯覚に陥る。自分が考えた対策が、万全のものであると主張すればするほど、意識のなかから不測事態そのものが失せてしまう。
不測事態は、予測できないから不測事態なのであり、危機は、管理することができないから危機なのだということを忘れてしまう。
どれだけ科学技術が進んでもどのような対策がとられても、不測事態は生まれる。
「災害は忘れた頃にくる」のである。

危機を管理できるのは、対応手段を持っているからであり、無駄だと思われるほどの余裕のある能力を持っているから対処できるのである。
対応手段を持つにあたって最も大事なことは、経済的な効率性から考えると無駄だと思われるほどに大きな余裕を持つことである。
余裕を持っていること、予備能力の大きさが、対応能力そのものになる。
それが、災害時や有事における自衛隊の価値である。

大国と呼ばれる国が何故大国なのか。
それは国土に多くの人的、物的資源を抱えているから大国なのであって、人的資源が少なく、物的資源のない不毛の国は、大国になり得ない。
豊かな天然資源は、“予備”能力に他ならない。
天然資源に代わる“予備”の能力を持つことを無駄と言うかどうか、非効率と言うかどうか。その感性が、緊急事態への潜在的な対応能力であり、国力そのものにつながる。


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