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狂氣と狂喜

アホなことしてる人は好きですか?
実は好き。
アホなことを、伝染させていく人が好き。

勘違いしそうだけど、迷惑かけてくる人は嫌いよ。もちろん。
どういうことかというと、
アホでもその人は面白いと思っている事、
例えば、キャバクラやスナックに足繁く通うこと。
・・・語弊のある書き方になってしまったけど、、まぁいいや。
その人が通う分には止めもしないし、
体験談を語ってくれるのは面白いから聞けるのだけど、
じゃあ一緒に行こうかと強要させるのは嫌だなぁ。
アホだし、面白いのかもしれないけれど、
何故、知らない女性と酒を飲まなきゃいかんのじゃ!
って思うんだよね。

でも、
高いところから海や川に飛び込むの、
怖いけど一緒にやろうよ!って言われたら
僕はOKしちゃうよね。
でもビビっているから、一回飛んで見せてよとか言っちゃう。
一回見て安全そうだったら、なおのこと
2回目は一緒にやろう!
って言っちゃうよね。

好きなのはそういうアホなこと。

周りとは少しずれているんだけど、
大分ずれているんだけど、
気にせず我が道を行く人の行動とか
それは例えば、
冬でもかまわず海入りますとか
ニヤニヤしながら山の中の希少な花を
捜し歩いてますとか
え?それ実行してんの?ひとりで大丈夫なのそれ?
みたいなこと。
当人は慣れ切っているから、何を心配されてるのかもわからなくなる。

なるほどそれが狂氣なんだな。
もちろん大きな狂氣は山籠もりとか武道とか宗教とかのいわゆる
「修行」ってやつだとは思うけどさ。
一心不乱に打ち込む「テーマ」みたいなものと
そこに向き合うための「狂氣」があって、
この二つが組み合っていれば、日常の些細なことも
他人と違う「何かアホなこと」に見えるのだろうな。

狂氣を抱えて動くと
知りもしなかった世界が見えてくる気がする。
思考も体もそっちに大きく持っていかれるし
その不思議な一瞬だけを神様も見せてくれる。
気がする。


そんな体験としては、
沖縄のとあるパワースポットで
なんとなく気になる空間を思いのままに
あちこち探検して歩いていたら、
「この先聖域につき立ち入り禁止」
という看板に出くわした。
おーこれって都市伝説だと思っていたけど、ほんとにあるんだ。
なんて思いながらも、踏み込むことにドキドキしていたら
その看板の隣の木のふもとに見たことのない毛虫がウネウネしていて、
「あ、気色悪っ。行くのやめよ」
と思って引き返したのでした。


海で浮かんでいるときにふと思い浮かぶことや
山の中で出会う動植物や素敵な景色や
すべては必然だと思いつつも
であったのは何か特別な意味があるんじゃないだろうかと
妄想して嬉しくなる。

あくまで気がするだけだし、妄想だし、そこばかり見ていたら
現実見えなくなるけれど。
それでもその喜びを、もっと味わいたくて
私の場合は、海へ山への自然探検。

狂氣を携えた先に狂喜はあるのかもしれない。


読んでいただいてありがとうございます!いただいたサポートは自然や福祉の探求に使わせていただきたいと思います!これからも宜しくお願い致します!