見出し画像

「椎間板モリモリだねぇ」

先週の頭から違和感があった腰の痛みは水曜の夜には激烈な痛みに変貌していて、翌朝ベッドから起き上がることすらままならない程になっていた。どうやら横たわる姿勢が一番負荷のかかる痛め方をしてしまったようで夜眠ることもままならず、かといって人間は眠らずに生きることもできやしないから否応なく眠りについて、そして凝り固まった最悪のコンディションで朝を迎えた。
我慢する必要も感じなかったので、転職したての会社で「すみません病院に行きたいので早退させてください」と言った。理解ゆえに、と言うよりは保身が先行している思考の上司から許可を得て病院に行ってレントゲン検査を受けた。ヘルニア、という単語が医者の口から出てくることを恐れていたけれど目立った異常は見当たらず、むしろ状態のいい背骨と椎間板でたいそう褒められた。実際に撮られる写真よりレントゲン写真の方が自信あります。今のところ週2程度のリハビリに通いつつ徐々に快方へ向かっている。

先週の木曜の朝に感じた「世界一不幸な私の最悪な一日の始まり」なんて、振り返ってみればなんてこともなく終わっている。むしろ平穏な方だ。やっちまってるその瞬間はこの上なく必死なのに。
とはいえ、身体の衰えを如実に感じた出来事であった。幸い身体的な不自由を被ったことは今までなく、体力にものを言わせて何かと進めてきたきらいがあった。土曜日に仕事を終えて夜行バスに乗って、一日東京を回遊してまた夜行バスに乗って月曜日は仕事、みたいな。何度振り返っても当時の自分が元気すぎて引く。でもそういうのがさほど苦ではなかったし、同時にそうでもしなくては経済的に不可能なことをしていた。自分はさほど効率よく入出力できる方ではないことは何となく思っていて、それをこういう無茶な行脚で補っているところはあった。それがだんだんと通用しなくなってくるのだろう、今回そう思わせられた。ではそういう無茶をいつまで要するのか、と考えたら、きっとそれはずっとなのだろう、とも思ってしまうが。なので腰治ったらジムに行きます。市営の安いところが近くにあるので。

しかし、身体的な痛みと言うやつはつくづく人間の意識を根こそぎ持っていくなと思いましたよ。この1週間腰の痛みのことしか考えていない気がする。そしてげんきんなことに、それが快方に向かっている今は万事とても晴れやかな気持ちですらある。

サグラダファミリア、楽しそうで何よりでした。「いつまで経っても完成しない巨大建造物」の喩えとして定着していたサグラダファミリアが完成してしまうとなると、自嘲的にそうあだ名されていたものについても頑張って完成させなくてはならなくなってしまった。いつまで工事してんだここ、みたいなところあるよね。うちから程近い国道もそう。ずっと車線規制。国道。酷道。いつぞや一緒に走った奈良の道は酷かった。記憶している中で「こんな道二度と走りたくねぇ!」と思ったところがいくつかあるけれど、あそこはまた格別だった。でも、ああいうところで生活している人も当たり前に存在しているわけで。
僕が幼いころ住んでいた町は海沿いにコンビナートが立ち並ぶ都市だったのだけれど、そのせいか「海には工場みたいなのが建っているもの」という認識でそれなりの年まで成長していた。わりあい特異的な都市であったことを知ったのは随分経ってから。故郷の風景、をふと今想起してみると、既に無い家ではなく海が出てきた。別に海に近い場所で育ったわけでもなく、足繫く通ったこともないくせに。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?