ベトナムの方言
今日は、ベトナムの方言について。と言っても、僕はベトナム語をほとんど話せないので、ベトナム語の方言の細かいことを解説することはできません。ベトナムの方言がどんな状況なのか、ベトナムに長く暮らしてきた経験からフワッと考察します。
まず、ベトナムは地方ごとの方言がかなり強いです。僕の2人のダナン在住のベトナム人の友人がるのですが、彼らは2人とも日本で数年働いた経験があり、1人はフエ出身、1人はハノイ出身です。そして、なんとこの2人が会話をする時に、日本語で話してました。ハノイ訛りと、フエ訛りは意思疎通が難し程違っているようで、それならお互い上手な日本語で話す方が楽だったようです。
また、別の友人の話。彼は、日本で育ったベトナム人で、家庭内ではベトナム語で会話するけど、学校や会社では日本語しか話さない、むしろ日本語ネイティブな人でした。会社の赴任で、ベトナムのホーチミンに来る事になりました。それまで家庭内でしかベトナム語を話してなかったので、語彙が少ない、ビジネス用語や法律用語、もちろん下ネタは一切知らないと言う状態でベトナムに来たので、とりあえずベトナム語を勉強しようと思い、ベトナム語を習う学校をさがしてみたそうです。日本語でベトナム語を習う学校では、さすがにレベルが低いと言うことで、ベトナム語でベトナム語を習う学校を探して行ってみたところ、なんとハノイ出身の先生がハノイ後を教えるクラスだったそうです。ホーチミンで働くから、ホーチミンの言葉を習おうとしていたのに、びっくりしたそうです。
ベトナムでは、地方出身者は訛りを直すために学校に行って矯正することが多いようです。
中でも、一応「標準語」扱いのハノイ弁が人気で、ホーチミンでもハノイ弁を教えている教室は多いようです。青森出身の人が、大阪に来て、わざわざ標準語教室に通う、日本では中々考えにくい状況です。特に、公務員は首都ハノイの言葉が話せないと出世できなく、学校に通って一生懸命ハノイ弁を学ぶと言う噂も聞いたことがあります。
こんな感じで、地方により言葉がかなり違うようです。私が住むダナンは観光地のため、ベトナム各地から観光客が来るのですが、ハノイやホーチミンから来る観光客は、みんな言葉がなかなか通じなくて困っているようです。私の友人のホーチミン人が遊びに来た時も、タクシーの運転手とかなり長く話していると思ったら、全然話が通じないと怒ってました。
ちなみに、どんな感じで違うのかと言うと、例えばベトナムの乾杯の挨拶。ホーチミン風では、「1(モッオ)、2(ハイ)、3(バー)、Zo(ヨー)」と言います。意味は、「1、2、3、飲めー!!」みたいな感じです。何とも猪木イズムが浸透した国です。これが、ハノイでは「1(モッオ)、2(ハイ)、3(バー)、Zo(ゾー)」と発音します。日本人的感覚では、ちょっと音違うだけだし、アジャストできそうに感じてしまいますが、ベトナム語は表音文字の国。ちょっとした音の違いで意味の違う単語が_たくさんあり、「ヨー」と「ゾー」くらい違うと大混乱のようです。
ベトナムのニュースサイトには読み上げ機能がついていることもあるのですが、その場合も「北の言葉(つまりハノイ弁)」「南の言葉(つまりホーチミン弁)」を選ぶことができるようになってます。そして、ダナン出身の私の住むアパートの受付の女子に、「この場合どっち使うの?」と聞いたところ、「どっちも使わないけど、あえて言うならハノイ弁」とのことでした。こんな感じで、ベトナムは地方ごとの方言がかなり強く、違う地域の人同士では、コミュニケーションも難しい状況です。
しかし、日本に置き換えて考えたとき、日本もやはり方言は色々あるけど、「会話が成立しないほど強い方言ってあるっけ?」と感じないですか?もちろん、全くないとは言いませんが。東京の人が標準語、大阪の人が関西弁を話してもコミュニケーションはだいたい成立します。
例えば私の実家、青森ですが、村とか町レベルの田舎に行ったり、80歳以上の高齢の方と話すと、全く単語の意味がわからないということもあります。私の亡くなった祖父もかなり津軽弁がキツく、子供の頃祖父の言ってることは7割くらい意味がわかりませんでした。(が、そんな中でもノリでなんとなく言いたいことの雰囲気掴むという謎のスキルが身につきました。それはベトナムで暮らす今、かなり役に立っている気がします。)しかし、青森くらいの田舎でも、市クラスの街になると、話しているのはほとんど、鈍った標準語です。青森市もみんな津軽弁風味の標準語を喋っているので、よく聞くと理解できる言葉を話しています。もちろん、東京からきた人が標準語で話すと、青森の人はみんな意味を理解します。
ちなみに、司馬遼太郎の「翔ぶが如く」を読んだことがありますか?明治維新後、西南戦争が起こるまでをまとめた本なのですが、この中で、薩摩出身の維新志士と元江戸幕府旗本が二人でフランスに警察制度を勉強に留学に行く時の話があります。(負けた江戸幕府の役人も、やはり優秀な人はしっかり登用されていたようです。)薩摩出身の維新志士はもちろん薩摩弁しか話せず、元旗本は江戸言葉しか話せず、二人は全く意思疎通できず、習いたてのフランス語で片言で話をしていました。(最初に書いた私の二人のベトナム人友人みたいですね。)つまり、少なくとも、明治時代には日本もベトナム同様に方言は、全く会話不可能に近い状況であったようです。
江戸時代、参勤交代により、藩主や偉い家臣の家族は、江戸で育てられるのが一般的でした。結果地元の言葉が話せず、成人して藩主として地元に帰ると、まずは地元の言葉を習っていたそうです。それでも、中々地元の言葉に馴染めなく、また江戸育ちのエリート意識からか地元育ちの家臣の信頼を得られず、政治が上手くいかない藩主がよく居たようです。逆に、当初後継になる予定などなく、地元で育てられた子供が、たまたま藩主になると、言葉もよく通じて地元の家臣の信頼を強く得て、藩政改革に成功したと言う話もよく聞きます。(坂本龍馬で有名な幕末の土佐藩の藩主、山内容堂もその一人です。)それくらい、日本も昔は言葉の隔絶が酷かったのでしょう。
しかし、それが今では、日本全国どこに行っても「標準語」なるもので話が通じる、これはどうしてこうなったのか、調べてみると、テレビ局が全国ネットになっているということが、大きく影響しているようです。
日本には、全国ネットと言う仕組みがあり、地方のテレビ局は日本テレビ・TBS・テレビ朝日・フジテレビ・テレビ東京と5つの東京にあるテレビ局の傘下にある仕組みになっています。これは1957年に当時郵政大臣だった田中角栄が推し進めて政策のようで、世界的にはあまり例の見ない制度のようですが、これによりニュースやバラエティー番組・ドラマなど、色々な番組を系列内で共有する仕組みが出来上がりました。これにより、日本国中の人々が、東京で制作された番組を見る機会が多く、日本中の人がテレビを通して「標準語」を理解できるようになり、だいたい話せるようになったようです。さらに言うと、バラエティー番組は吉本の影響で、関西弁も多く使われるため、日本中の人が関西弁もなんとなく理解できる状況も出来上がっています。このため、日本で一家に一台テレビが普及した1970年代以降に生まれた人は、基本的に方言よりもなまった標準語を話すようになったのではと思っています。テレビというのは、ビックリするくらい影響力が大きいようです。
しかし、この全国ネットのテレビ網と言うのは、世界的にみても珍しく、日本以外では、地方局が色々な番組を制作していることが多いです。ここベトナムももちろんそうです。このため、全国区の「標準語」と言うものがあまりなく、各地方の言葉もお互いに交わることが少ないようです。
テレビの影響という意味では、Wikipediaで調べたところによると、タイ語とラオス語は、標準語と大阪弁みたいな方言関係にあるらしいのですが、ラオスではあまりテレビコンテンツを作れなく、タイのテレビとか映画が放送されることが多いため、ラオス国民の多くはタイ語を理解することができ、さらにラオス語が、年々タイ語化してきているらしいです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%A4%E8%AA%9E#%E6%A6%82%E8%A6%81
まとめます。
ベトナムは地方により方言がきつく、違う地方の人同士での意思疎通が難しいレベルの方言があります。しかし、これが特殊と言うよりは、日本のように「標準語」が全国で通じることが特殊なようです。そして、これはテレビの全国ネットと言う、日本独特の制度の影響が大きいようです。そういう意味では、ベトナムの方言がひどいというよりは、日本が世界的にも珍しい「標準語」が強い国ということなのかと思います。(ベトナム語の方言というより、日本語の考察になってしまった。。。)
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