【エッセイ】教室では間違ってなんぼだと思う
■優等生な日々
小学校、中学校、高校と、わたしはいわゆる「優等生」でした。
先生の言うことは逐一守ったし、宿題は欠かさず提出し、テストはいつも100点を目指していました。
今思えばそれは、「周りから認められたい」とか「道を外したくない」という欲求を満たしたいだけであって、「優等生」のその先の何者かを目指していたわけではありませんでした。
「優等生」なわたしは、先生や同級生、さらには家族からの「さあいに任せておけば大丈夫」「さあいは間違わないだろう」という信頼と期待の入り混じった気持ちを感じていました。
だからテストのときや、授業中先生に当てられて回答するときはとんでもなく緊張しました。
手が震え、冷や汗をかき、「間違ったらどうしよう」という恐怖感に苛まれ...今振り返ると、結構ストレスフルな毎日を送っていたように思います。
■間違えるなんてねぇ...
今でも忘れられない経験があります。高校のとある授業のときです。
わたしは先生に当てられて、文章問題の答えを板書しに行きました。
たしか授業終了5分前とかぎりぎりの時間だったと思います。
わたしは大急ぎで回答し、チャイムの音と同時くらいに板書を書き終えました。
わたしの回答は...イージーミスがあって、途中から間違っていました。
「やってしまった...。わたしは間違ってはいけなかったのに...」
汗がどっと噴き出し、顔が熱くなるのを感じます。
「さあいが間違えるなんてねぇ...」
問題の解説を終えた先生は、最後にこう付け加えました。
周りの視線を感じ、とても恥ずかしかった。
■Don't be afraid to make mistakes
時が経ち、わたしは大学に進学しました。
大学では英語を勉強したかったので、短期留学に行ったり、英語の授業を積極的に取ったり、英会話教室に通ったりしました。
そこで何度も言われたのが
「Don't be afraid to make mistakes」
という言葉です。
「外国語を学ぶ上では、ミスがあって当たり前。ミスする中で学んでいけばいい」というスタンスは、わたしをこのうえなく安心させてくれました。
大人になった今、学生の頃のわたしに会えたとしたら、「間違ってもいいんだよ」と伝えたい。
間違いを恐れなかったら、正解できるかどうかの勘定なしに、もっといろいろチャレンジできたのではないかと思います。
「学ぶ」ということは、「完璧に答えること」ではありません。
教室では、先生が答えを知っていることや、教科書に答えが載っていることが大半ですが、社会に出たら答えのない問題がたくさんあります。
「やってみて、うまくいかなければ調整する」ことの繰り返しです。
社会人になったときのためにも、教室では「間違ってもいい。間違う中で学んでいけばいい」ということを伝えていってほしいなと思います。
先生やご家族や学生の皆さんには、誰かのミスを笑ったり、否定したりしないでほしいのです。
これがわたしの「#こんな学校あったらいいな」です。
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