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ダイバーシティを進めるなら行儀の定義も変えないと

日本においては、


足を使って物を動かしたり、


足で襖を開けたり、


何か物を渡すときに足で蹴って渡したり、




こんなことをすると行儀が悪いというふうに受け取られ、


叱られることがあります☝️





でも
よくよく考えてみると、



なぜ足を手のように使って扉を開けたり、


物を動かしたりすることが行儀悪い認定を受けるんでしょうか?




そもそも行儀が悪いとはなんでしょうか⁇



例えば、

手が使えない人がいたとして、



その人は当然
手が使えないので、



足を使っていろんなことをします☝️





と言いますか、


現に手がない方や事故などで動かない方達が
絵を描いたり、



字を書いたり、



スマホを扱ったりする時には
足を使い、



口を使い、



顎や肩も使って、



手ができる事と同じことをやる人もいます🙄




つまり、


手が使えるからこそ
僕ら献上と言われる人たちは手のみに頼り切って生活しているだけであって、



そもそも口や足、



顎や肩も使えば
もっともっとやれる事が広がるし、



もしかしたら効率も良くなるかもしれませんよね🙄




しかも
ダイバーシティとか言われる今の世の中、



今更
足を使うことが果たして
行儀悪いという一言で
その可能性を止めてしまっていいんだろうかと疑問に思う事があります🤔


昔からの習わしを後世に残す必要もあるでしょうが、


それを頑なに受け入れないことで
その人の本来持っている可能性やポテンシャルを
引き出せずに人生終えてしまうのも
もったいないなぁと思います😑



今までの考え方は、

手が使えなければ足を使うでしたが、



これからは
手も使えれば足も使うでいいような気もします😊



多様性を認める世の中にするのなら
手が使える人も同じように足も使って、


行儀の定義を変えたほうがいいと思いました😁



ではまた✌️

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