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あれ?確かそんな歌あったよね。

常々、今近の社会情勢を見て思ってるのですが。なんで人類って「認め合うことができないんだろうね」と思うわけですよ。
あっ、私が言いたいのは最近の主流の「多様性を認めよう」っていうのとはちょっと違って
「別に多様性を認めることに拒否感や違和感をを持つ人がいてもいいんじゃないかな?」ってことなんですよ。
別に拒否や嫌悪感を持つことを悪とは思わないんですよ。それはきっと一種の防衛本能だと思うんです。

わかりやすく言うと、私は子供の頃南瓜とイクラが嫌いでした。
まぁ、どちらも食わず嫌いに近い形でしたが、南瓜は、食べてみると凄く美味しい物とあんまり美味しくないと思う物に分かれてて(恐らく鮮度や品種の問題だった)イクラはやっぱり口に入れても口に入れた瞬間に気持ち悪くなり吐き出しました。

イクラは、今でも嫌いだけど、別に親の鮭は普通に食べるしイクラ好きな人に「えー、あんなクッソマズイ物よく食べられるねー」とは思いません。イクラ好きな人はそれがたまらなく美味しい食べ物なのでしょう。

自分の中では理解しがたいけど、「そういう人もいるよね」と自分の考えの中から切り離しておくことが「認め合う」の第一歩だと思います。そして「理解し難い」ことを相手を傷つける攻撃材料には絶対にしない。


実はこれ、結婚前に働いてた上司の受け売りです。訪問介護をやっていく上での心構えみたいな感じで教えて貰いました。色々な事情を持った家を渡り歩いて行いたり、仕事を辞めてからも。かなり自分の中で「あっ、そういう人もいるよね」データが蓄積されていきました。その中には勿論ちょっと受け入れがたい元もあれば目から鱗なこともあるし「これは人生3週回っても私には触れることのない世界!!」と思うこともありました。

そして現在も蓄積しています、きっと私が出会った数の分だけ誰一人重なることなく蓄積されていくと思います。

これから出会う価値観や趣向にも自分なりに分かり合う、「そういう人もいるよね」精神で生きていこうと思います。

そして思い出しました。今回「そんな歌あったよね」って歌


ミスチルだった。良き歌である。


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