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マタニティライフ


ざっくりあらすじ
すんげぇ、タイミングで妊娠した。

妊娠検査薬には、見たこともないラインがくっきり浮き出たに

も関わらず、まやかしだ!と思って産婦人科に駆け込んだ。妊娠したことと、ここまで頑張ったことを労われた。その後何か色々あった気がするけど、この後かなり記憶が飛んだ。
旦那には、家に帰ってすぐ連絡したが他の人はどのタイミングで報告すべきか?
とりあえず万が一のことも頭を過ったが、年末年始の挨拶周りもあるので、どのみち報告するならと双方の両親にはその日のうちにそれぞれ報告した、共に妊活温泉めぐりをし、先に妊娠した友達にも先に報告しておいた(この件に関しては次回に改めて書き記す)他の友達には安定期入ってから報告することにした。
予定日は、二度目の検診で軌道修正が入り、数日後ろにズレることになった。その安定期に入る日時が丁度私の誕生日だった。

幸い、妊婦生活は、ほぼ順風満帆。つわりはほぼなく、ただ眠かった。油断するといつの間にか寝てたりしてたが、専業主婦なのでいくらでも立て直しが効いた。ただ、問題だったのが、通常の血圧がやや高いデヴだったこと。あと両親が高血圧か糖尿病だとマズいらしく、父が高血圧の糖尿病だったので、これが後にちょっと問題になったのだが…。そして、糖負荷検査でがっつり引っかかった(死)ハイリスク妊婦になりかけたのだが、よく考えたらその日の夜風呂上がりにゼリーうっかり食べてたのが原因で、再検査は無事パスした。炭酸が苦手なので炭酸水を飲むのが気持ち悪かった。あの検査だけはもう二度とやりたくない。
そしてデヴだったので、最初の助産師の指導で
「宰田さんが太れる範囲は+5kgまでですね」
体重管理は、妊婦の時だけは本当に気を使った。幸いつわりはなかったので、眠くないときや、寝すぎた時の眠気覚ましに徒歩や自転車買い物に行ったり、駅まで歩いて立ち読みしたり、妊婦が自転車は問題あるみたいなことを書いてあったけど、里帰りするタイミングのギリギリまでチャリを飛ばして買い物してた。

そう、里帰り出産をすることにした。当初里帰り出産する気はなかったが、正月に帰省した際に
「友達は、里帰り出産って言って実家に帰って産むって言ってたけど、私も実家に帰った方がいいかな?」
と両親に聞いたところ、むしろそういう物があるならそうして欲しいと言われたので、里帰り出産を決めた、里帰り出産をするにあたって新たな病院を選ぶ作業が始まったが、実家がある市は分娩ができる産院が1件しかなく、旦那が来るには、不自由しそうな立地(車でしか来れない)だったので、隣の市の私が産まれた病院を選ぶことにした。

それに当たって必要な出産準備を進めたがなかなか、産まれてくる子の性別がわからない。名前も帰省前に決めておきたいので、そろそろわかってほしいのだけれど…モヤモヤして結構ギリギリのタイミングで女の子だということがわかった。名前決めの始まりである。

名前は、まず旦那と私で何十個か候補(平仮名)を挙げ、被った中からさらに漢字を当ててそれをすり合わせていった。
ちなみに私の中での候補を挙げた理由は
・漢字一文字カッコいい!!
・呼んでいくうちにどうせ縮められて2文字くらいになるだろうから、最初から、平仮名二文字でよくね?
その時に


この話も出てきて、最終的に「鯖」になった
(※あくまでも、実名を伏せる便宜上の仮名で実際は、それはとてもかわいい名前ですよ!!)

両親学級や母親学級にも参加した。母親学級は楽しみにしてた調理実習がある回が調理室の改修工事で、口頭での説明のみになり、レシピだけ配られたことに舌打ちをし、両親学級では、元介護職のアドバンテージで沐浴の理屈は概ね解っていたので、夫婦が講師の先生の指示を仰ぎながら、助け合いながら人形を沐浴させてる中、
「ほら、ちゃんと首を支えないと!!震えてたら赤ちゃん落ちちゃうよ?」
「え?まだ、そこ洗ってないよ?」
と講師でも経産婦でもないのに、偉そうにビシバシ旦那をしごいた。(講師の先生は他のプレパパ、ママにかかりっきりだったので、自分のところは私が出張らねばと思った)

里帰り先でも、マタニティー教室的な物が存在しそこでは、より出産に控えた心構えや、入院までの流れが説明された。
講習後には入院時に食べられるおやつが配布され、給食で食べたあのミルククレープが出た時には、再会に感動した。

特に勉強になったことは
・顔でいきまない
・お産の痛さは「痛い」という悪いイメージを膨らませすぎると実際のお産の時より辛くなる。


里帰り先の病院は入院が決まると、「お産バック」という入院生活に必要な物が最低限揃ったセットが与えられるので、自分で用意するのは病院で指定された用品(赤ちゃんを包むバスタオル等)+αで済んだので楽だった。

里帰りしてからの検診では、診察の時には妊婦と妊活中の人と交互に名前が呼ばれるというシステムで、呼ばれて体重や血圧を測り、エコーを撮る為寝台に横になり、その間に不妊治療で来ている人が呼ばれ先生の診察を受けるというシステムなのだが、ある時いつものように診察待ちで寝ていると、突然泣き声が聞こえて、なんか親戚の「子供を産め」の圧力が凄すぎてもう辛くて逃げ出したい…みたいな話、めっちゃ聞こえてくるんですけど(辛っ)勿論、先輩妊婦さんから妊活成功オーラめっちゃ吸い取ってた自分は、もう本当に「わー、この人の努力や辛さ是非報われて欲しい。是非幸せになっておくれ~」とめっちゃ念を送った。例えこの人が子供を産まない選択肢を選んでもこうして話を聞いてしまった以上は幸せになってもらいたい。

実家に帰って、まぁ色々あったけど(この色々に関しての一部は、おいおい語ることにしよう)いよいよ、最初に設定された予定日。出産予定日近辺にいつでもこれるように(旦那の希望で立ち合い出産)予定を調整し、たまたま工場の長期休暇と被った旦那が休暇中に滞在したものの休暇中に産気づくことはなく、旦那は「次の休みまで待っててね」とお腹の子に呼び掛けていたが、その願いは、お腹の中の子に通じることなく旦那が茨城に帰ったその日の夜に破水した。

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