見出し画像

出産から退院まで

ざっくりあらすじ
旦那の呼びかけ虚しく、旦那が帰ったその日の夜に破水した。

いや、最初は尿漏れ?って思った。時期も時期だし、なんか途中で止まったし、「とりあえず寝てから考えよう」と寝て翌朝また尿漏れ感。流石におかしいぞ?と思いとりあえず病院で診察してもらったところ、
「あー、これは、破水だねぇ~。はい、入院だね」

尿漏れと破水の違いとは…?
わけもわからず、付き添いの母に破水したことを告げ入院セットを持ってきてもらうように頼むと、後ろからもの凄い形相で看護師さんが「宰田さん!!何歩いてるんですか!車椅子ですよ!!車椅子!!」と車椅子を持ってきて駆け寄ってきた。ここで思わぬ車椅子デビューを果たした。仕事で押した事は何度もあるけど、実際に押される側になるとなんとも違和感。粛々と入院手続き諸々をしてると、いい具合にお昼ごはん。もう、お昼ごはんから病院のお食事をいただけるらしい。ひゃっふーーーーーーー!!(クチコミで「ごはん美味しい」と書いてあった)部屋についた後はすぐ旦那に「破水したので、入院します」と連絡し昼食配膳担当の人が献立表を持ってきて、場合によってはメニューを選べる日があったり、ちょうど入院期間中は土用の丑の日を挟んでたので、(季節の行事食もタイミングがよければいただけるらしい)うなぎの文字に心躍った。

ご飯後は特にすることもなかった(基本絶対安静)本当に何もすることがなかった。折角なのでSNSに「これから入院します」的なことを呟いてみたり、ぼーっとしたり、おやつを食べた後には、入院中の献立表を見ながらニヤニヤしてたら、旦那がきた。意外と早くきた(来るのは明日ぐらいになると思ってた)その後、産気づく気配がない事から翌日の朝までに陣痛が来ない場合は、陣痛促進剤の点滴をすることになり、その同意書にサインしたり、今日は旦那も病院に寝泊まりするらしいので、その手続きもした。

 翌朝、陣痛感はさっぱりなく、陣痛促進剤の点滴がはじまった。徐々に生理痛の強いやつが来る。昼近くにつれて徐々に痛みが強くなるので、「これ、今昼食ってしっかりお産に備えないとダメなやつ!!」と頑張ってお昼ごはんを食べてたら、主治医が様子を見に来て「うん、まだご飯食べれる余裕があるなら大丈夫だね。」と別室の妊婦さんの分娩から先に行うことになった。行動が裏目に出た_(´ཀ`」 ∠)_

昼食後徐々に点滴ペースの上がった陣痛促進剤が聞いてきたのと別室の方の分娩が始まったピークあたりで、つられて自分もいきみ逃しがしんどくなり。「いや、これ無理」と騒ぎ始めると、意外とあっさり分娩台に連れて来られたが、主治医や助産師達は、隣のお産にかかりきりで私に最初ついたのは、ベテランっぽい助産師さんが一人だけだった。
顔でいきまない。口で呼吸しない、腹式呼吸、時折雑談しながら陣痛の波に乗り始めた。ここで、「血圧高めで父が高血圧の糖尿病」情報はしっかりここでも引き継がれており、いつの間にか促進剤の点滴に加え、一定の間隔で血圧を測る血圧計にも繋がれた。お産中はやたら喉が渇いたので何度か水分補給をお願いした。この時に役に立つとネットで聞いていたストロー付きのペットボトルキャップはまさかのたまたま買った飲み物のサイズと合わず、病院の吸い飲みで水分補給してもらった。車椅子に続いて介護用品でもある吸い飲みも経験できるとか、あっ、これよくできた介助用品だわ。
それから、何時間経ったかわからない。立ち合いは産まれてくる直前で許可が下りるらしく旦那は待ちぼうけ、時折助産師さんが「旦那さんが…」と入室のタイミングを計りかねてる声が聞こえた。多分生まれたらすぐ職場に戻る予定なのだろう。後の旦那は「ドラクエのパパスのようだった」と語る。

そして、ついに産まれた!!隣の分娩室で…(遠い目)どうやら父親が英語圏の人のようでめっちゃ主治医がつたない英語で伝えてたのはウケた。
担当の助産師さんは、「さぁ、次は宰田さんよ。」と励ましたけど、これいつ産まれるのだろう。お隣のお産が終わり、いよいよ私を囲む助産師さん、看護師さんも増えてきた。そしていよいよ医師も登場。主治医ではなかった。そして診察後会陰がものすごく腫れてきてるということで、会陰切開が行われた。麻酔のおかげで痛みは感じなかったが、ジョキンジョキンとキレのいい断ちばさみのような音が響くのが怖かった。えっ、この音切られてるの?((((;゚Д゚))
その後旦那の入室も許可され、分娩もラストスパート。しかし、体力なし子さんの私は、ここまででかなり疲労困憊していた。にもかかわらず、助産師さん、看護師さん寄ってたかって私の腹を押し「はい、この力に負けない力でいきんで」これで最後だと数回は頑張ったものの、えっ、まだ??ちょっとこれ以上は無理頑張れないゴメンそんな力私にはもうない。そんな弱音を言葉にする直前16時46分に娘が産まれた。最初泣き声が聞こえなくて不安になったけど、どうやら羊水を飲み込んでたらしく先生が処置をすると元気よく泣いた。

産まれたが、身体何故か動かない。陣痛促進剤の点滴からも解放されるかと思ったら、別の種類の点滴が追加された。
切開の音も怖かったが、縫合の「シュッシュ」という音も怖かった。ねぇ、今縫ってるの?物凄い勢いで縫ってるの???怖いんだけど((((;゚Д゚))
その間娘は体重や身長を測ったり、綺麗に洗ったりしてもらった。抱っこはできなかったが、頭を撫でさせてもらった。初めて娘にかけた言葉は「よかったね」だった。大体何がよかったのか今思えば、ツッコミどころ満載だけど、こういう大事な時に語彙力が死にがちになるのは、あるある。

母体を休ませるのが第一な方針の病院なので、とりあえず横になっていた。
その間。娘は旦那に抱っこされまくってたらしくずっと「かわいいね。かわいいね」と言ってたと助産師さん情報で聞いた。初抱っこは旦那に奪われていた_(´ཀ`」 ∠)_
時々娘の泣き声が聞こえてきたが、泣き声よりやたらくしゃみをしていて(とてもかわいい)少し心配になった。娑婆の空気に戸惑っているのだおるか?

その後夕飯が出されたが流石にこの日は白飯をかっこむ食欲がなくデザートと汁物だけ頂いた。この日だけは肉ではなく魚をチョイスしてたので、ナイス判断昨日の自分!!と称賛して半分頂いた。気付くと手が血濡れになっていることに気付いた、手持ちの物がないので点滴の交換に来た看護師さんに「手がなんか血だらけでなんですけど?」って話したら手を拭いてくれた。
あぁ、赤ちゃんを撫でた時についたのか…。

点滴が終わり、病室に戻れば時既に22時、その後一切眠気が訪れることはないので出産報告をSNS各所にした。娘の出産写真も撮る機会はなく旦那が撮った写真を転送してもらいそれをアップした。初だっこ、初写真旦那に奪われた_(´ཀ`」 ∠)_

翌朝、身体が動かなかった原因がわかった。
全身筋肉痛だこれ(辛)寝返りもままならない。少しでも身体を動かすが思うように動かない。そんな中、講習に初授乳とタイトなスケジュールをこなし二度目の授乳時間になったので、ガッタガタの身体で新生児室まで向かうとそこに見覚えのある夫婦が…義両親だったΣ(゚Д゚;
確かに「いつでもきていいですよ」とは言ったが「それは、アポなしOK」という意味ではないのだよ(ゴゴゴゴゴゴ)まぁ、こちらも言葉足らずだったので、疲労を極力隠し、応対してると娘が噴水の様に盛大に吐いた。
事情を説明すると、丁度授乳のタイミングだったから、このまま授乳しても大丈夫ということだったので、授乳室で授乳した。授乳が終わっても義両親は待っていたので、娘と一緒に病室に行って孫撮影会が催された。

母子同室は退院までの間3日間あったが、娘は朝~昼は吐いてトラブルを起こし、夜は何をしても泣いていた。最終的にはナースコールをして預かってもらっていた。3日のうち2日も夜間に預かってもらい、ふとあることに気付いた

これ、里帰り出産失敗したー

それ、以降一か月検診をごねて私はこの産院で、娘は実家に帰って受ける事を約束し、少しでも早い帰省スケジュールを組むことにした。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?