【日記】「雷鳴」
「またひとつ、分からないことが増えた」
本や記事を読んで何かを学ぶたびに、
そう思います。
今は、このことわざの本当の意味を
ずっと考えてる。
ネットサーフィンをしていて偶然見つけた言葉
なのに、出会ったそのときから、
まるで感電したかのように惹かれています。
《口の中にある雷鳴》の意味はなんとなく掴めるんです。
悪口とか、愚痴とか、怒りとか。
雷鳴は、たとえ言わないようにと我慢していたと
しても、ほんのちょっとのきっかけでポロッと
口から出てきてしまう。
話をしていた相手に「避雷針」があれば大事には
ならないと思うこともあると思う。
けれど、人によって「避雷針」(こころ)の強度や形、耐久性はさまざま。
だから、アパッチ族の人々は、
相手に雷鳴を向けることは、その相手の心や体を 壊してしまうことと同じである。と戒めの気持ちを込めて、この言葉を受け継いでいったのではないかと思うのです。
まだ現在進行系で考え中なのが、《手の中にある雷光》は、何を指しているのか。
何も見えない暗闇では、雷光なしでは道を照らして進めない。
これって今、私たちが置かれている状況に似ていませんか。
コロナ禍を経て、今まで当たり前に存在していた
概念が次々と崩れ去っていきました。「これが美徳で正しいこと」とされていたことが。
行動や価値観の基準になっていた、雷光が消えていっているように感じます。
じゃあ、自分で雷光をおこして手のひらに乗せればいいじゃない。自分たちで、新しい概念作ろう。
雷光を大事に育てていけば、きっと光も大きくなってあたりを照らし、他の人たちも寄ってきてもっと強くなれるはず。
今、私の手のひらは、とってもあたたかい。
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