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日常のちょっとした感情の変化に学びが隠れているという話

お久しぶりです。さほぴです。
すっかり夏になりまして、晴れたり曇ったりしていますが、気温の高い日が続いていますね。
あっという間に7月もあと数日で、体感明日には誕生日(10月)、明後日には年が明けていそうな気すらします笑

昨日みっちゃん先生(@UKANOMITAMA0324)が緊急で魂の課題の超え方というお題でインスタライブをされていました。
昨日1日寝て過ごしていたため夜中まで起きていられて、うつらうつらはしていましたが大切なお話をたくさん受け取ることができました。
毎日、癒しも入れながら全力で生きているつもりでも、なかなか力が入らない、面倒、そうやって逃げていること・やり切らないことが私もまだまだあるなあという気づきをいただきました。
2年くらい前からずっと沖縄行きたいんだけど、行ってない笑
お金の使い方も、時間の使い方も、まだまだ改善の余地があるのだなあと気付かされる今日この頃です。
でも一番の気づきは、少しでも自分が気乗りしないこと(嫌いなこと・苦手なこと)が混ざってると、全力で取り組みづらいなということ。だからと言って嫌なこと全部から逃げると言っているわけじゃなくて、少しでも自分の心が「こっちだ」と思う方向を選ばないと、エンジンをかけづらいのかなと。あと見習うことはとても大切だけど、憧れの人と自分が全く同じ気質ではないことも考慮しないといけない…と思います。けど正直この辺難しいですね。私は女性性が強いタイプなので、あまりに行動行動で男性性が強くなることばかりしていると、どこかしらで体が不調をきたしそうな予感もしつつ、結局真似しないと成長もないから。
それこそ自分と常に向き合って相談ということなのかもしれません。

気づきといえばということで、近頃コーチと話したり、自分に湧き上がってくる負の感情と向き合い、考え方が変わるようなことがいくつもありましたので、以下3つの話題で私の学びを書き記したいと思います。
何か参考になれば幸いです。


1. 無責任に生きたいから責任感が強いという特性

昔から、要領よく人に甘えて自分のやるべきことから逃げる人や、だらしない人が大っ嫌いでした。先日も仕事で前者の人に遭遇して、叫びたくなるような悔しさと怒りで しばらくイライラ。大体イライラするときの私の気持ちは「なんでみんな責任果たしてんのにお前だけ自由にやってんだよ💢」。
それをコーチに話したときに言われたこと。
「実はさほぴさん、自分も無責任に過ごしたい、自由に振る舞いたいって思ってませんか?」

…思ってます。

現に、私はそのことが起こる前に、あまりの日常の息苦しさに「自由に生きる」と筆ペンで紙に書いて、仕事用のデスクの壁に貼ってるんです。
でも、あまりに自分が自由に生きちゃうと、やるべきことを本当に全部放り出すくらいの無責任さを持っていることを知っているんですよね。ある種自分がそのように振る舞えないイライラを他人にぶつけていたと言ってもいいのかも知れません。

仕事の話題が出たので仕事の話をしますが、この度自ら申し出て、社内異動をすることになりました。その話も紆余曲折あって、まさに「今選べ」と言われているようなことが起こったので、この辺はまた追って書きたいと思います。

2. 得体の知れない寂しさの正体

先日連休で実家に帰っていたのですが、散々家族と一緒に過ごしていたのにその日は自宅に帰ることに対して、全く気乗りがせず。その前日も、みっちゃん先生のライブがあったのですが、やたらコメントをするときに自分からかまちょの念がこもるのを感じていて、いろいろおかしいなと感じていました。
まあ今思えば若干取り憑かれていたのかなとも思うのですが笑、そのとき私が思い出したのは親との過去の出来事。
今関係は良好ですし、特に何か当時のことについて追加アクションをしてほしいわけでは全くないのですが、
「あのときこうしてほしかった」
「こういう言葉がほしかった」
という気持ちは、いくら今関係が良好だからと言って忘れられる、自然と癒えるものではなかったようです。
驚きですよね。今が良ければ過去のことなんて許しちゃうし、忘れちゃうのに。また、大人になると当時の親の気持ちも理解ができるじゃないですか。両面わかるとあの時は仕方なかったと、余計自分の気持ちを置いてけぼりにする可能性もあって、大人になって物分かりが良くなるって、必ずしもいいことばかりではないんだなあという印象です。
癒し方は人それぞれですが、詳細の内容が思い出せたらできるだけ思い出しつつ、思い出せなくても当時感じていた感情を思い出し、本当はどうしてほしかったのかを書き出しながら、ギャンスカ泣いてしまうことが一番かと思います。涙の浄化効果は計り知れないです。すごい。

癒せたかどうかはパッとその場でわかるものではないですが、私はわかりやすい事例があったのでおまけで置いておきます。

私はお酒を飲んで酔っ払うと、途端にひとりでいることが虚しくなって、他人に絡む、もしくはやたらめったらツイートしてしまう癖がありました(本当よくない)。いつも隠している気持ちが出てくるのでしょう。
ただ、↑の癒しワークを自分でしてから、何回か飲みに行ってちゃんとお酒は回っていましたが、特に寂しいと感じることもなく、おかしなツイートをすることもなく、「なんか…心がすごく普通だ!!」と思いながら帰宅しました。これが0地点ってやつかしら。

3. 急に不安になって自分を責めるのは大体邪気が原因

先日、ちょっと一悶着あった方からの連絡が急に途絶えて、これは何か私がやっちまったんじゃないかとものすごく不安になる出来事がありました。
別に相手から何を言われたわけでもないのに、勝手に嫌われてしまったのではないかという不安が死ぬほど募る。
そして、一悶着の時に割と強めの表現を使ったので、それを今更思い出されているのではないか、言わなきゃ良かったんじゃないか…等、とにかく自分責めが始まりました。
今回一悶着あった方とは全く関係のない、過去お付き合いしていた方とのやり取りの中で不安を抱き、精神的に参ってしまったことまで思い出し、「自分が弱いからだ」「やっぱり私は何も変われていない」と、負のスパイラルもスパイラル。
そのときふと、千晴さん(@chiharu1000hare)が過去、みっちゃん先生に対し同様の不安を抱き、連絡ができなくなったとツイートされていたことを思い出しました。ありもしないのに、言われてもいないのに勝手に想像して疑心暗鬼になってしまったとの内容だったと記憶しています。
疑心暗鬼という言葉を思い出したところで、そもそもなぜ人が疑心暗鬼になるのか、ということに対して疑問が出たので、ASAMIさん(@LUGDRyfbT4eyMhN)の過去ツイートで「疑心暗鬼」というワードを検索し、片っ端からツイートを読み漁りました。

宇宙人親子ASAMIさんのツイートより拝借しました

「邪気・邪念」
つまり、私のせい(私の心が弱い)ではなく、攻撃をされているということ。気づいた瞬間にびっくりするくらい何も気にならなくなりました笑
厳密にいうと、攻撃されて心が弱っているので私は弱いんですが、事実と異なる自分責めは違うよねという話です。勝手に相手の心境を良からぬ方向に想像するとか。

まあ、お相手がいることで、明らかにお相手が原因なら話は別なときもあるかもしれませんね。でもそれなら嫌だということは少なくともきちんと伝えるべきです。
大切な人のこと邪気まみれにして平気な人間と一緒にいてはいけませんので、言っても変わらないならお別れすることをお勧めします。

まとめ

最近の気づきを3つほどシェアしました。
どれも、日常普通に生きていれば感じうる気持ちだったのではないかと思います。今までなら私も無視していた気がしますが、無視しなくなったのはこれまでの積み重ねのおかげで、サポートのおかげで、少しのことにも気づけるようになってきたのではないかと思います。うれぴよ。

余談ですが昨日ASAMIさんがみっちゃん先生のライブ中に「そろそろひとりの修行は終えて、分かち合いの時期」と、とある方に仰っていたのがすごく気になりました。
なぜなら私もシェアしたいから笑
ただ、きっとTwitterで積極的にフォローして、絡んで、ってやればそういったこともできるようになるのかもしれませんが、私自身馴れ合いが得意じゃないので、あんまりやりたくないなあというのが正直な気持ちです。
noteも気まぐれ更新だし、Twitterも普段はオタクですが、ちょっとずつ発信していることが誰かのもとに届き、そこから輪が生まれて行ったらいいなと考えています。

ずっと会いたい人もいるのですが、連絡先もSNSも何もわからなくなってしまったので、どこかでご縁が繋がることを心待ちにしています。

それではまた次回もお楽しみに!

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