同性婚を認めるかどうかのディベート
昔トロントのダウンタウンにあるカレッジに通っていた時、スピーチの授業があった。
その授業で、ある時賛否意見が分かれがちなトピックのリストを教授が作り、それぞれのグループはくじ引きでランダムに対戦相手を決めてトピックを与えられた。
ずいぶん前のことで内容全ては覚えていないけど、安楽死、中絶、同性婚、などだったと思う。
私のチームメイトは、ブラジル出身の女性だった。
相手チームのメンバーはロシア出身の女性と、カザフスタン出身の女性だった。
私たち2チームが引いたディベートの題は”同性婚”だった。
賛成もしくは反対どちらを論じるかは両チームが相談して決めることになっていたので4人で集まって相談することに。
ものの数秒であっさりと決まった。
相手チームが反対の意見を論じたいと強く希望したからだった。実際の考えのもとの選択のようだった。
そして私とチームメイトのブラジル人の彼女も同性婚に賛成だったのでちょうどよかった。話を聞けば彼女にはゲイのいとこがいるということだった。
次の授業までの一週間、ブラジル人の彼女はいとこの身の上話をベースに内容を組み立て、私は実際の統計をリサーチすることになった。
当日、差別主義でいて強気な相手チームは自信にみなぎっていた!
ディベートは彼女たちの主張から始まった。
彼女らの主張をまとめると、『カナダでは同性婚や同性愛者のサポートに莫大な税金がかかっている、無駄使いだ。』というものだった。
『生まれつき同性愛の人間はいない。』とまで言っていたと思う。
彼女たちの言葉のきつさがすごいな、表情もきついと思った。。
課題を超えて同性愛者を嫌っているのがよく伝わった。
そして教授もよくこんなトピックを与えたな、とも感じた。
クラスの中に同性愛者がいたら、傷つくかもしれない。(なんとこの授業を受けていた何年も後にこの場にいたメキシコ出身の男性のクラスメイトがゲイだったとInstagramでフォローしあって知ることになる!この時どんな気持ちで聞いていたのかな、、!)
そして私の番になった。
相手側の『年間〇〇ドルも税金が使われていることをあなたは知っていましたか?』という問いに答えなければならなかった。
私は『知らなかった。』とこたえ、そして北米で自殺するティーンネージャーの多くが同性愛者であるという統計を示し、『多額の税金を投入する価値がある。』と反論した。
ブラジル出身のチームメイトが私の後に続いた。
いとこについて話していた。
ブラジルではまだトロントのように性の多様性が広く認められていない背景、それ故のいとこの葛藤などを話していた。
チームメイトのいとこへの暖かい想いが滲み出ている主張と相手チームの突き放すような冷静で冷たい主張があまりにも対照的だった、ということと、自分の口から出る『ティーンネージャーの自殺』という言葉の重さが頭にのしかかって感情的になっていく自分を感じた。
そして思わず最後に一言、『自分のアイデンティティが社会に認められなかったら隠して生きる選択をするかもしれない。それがどんなに悲しいことか、私は想像もできない。』と少し感情的に付け加えてしまった。
10分ほどのディーベートはすぐに終わった。
勝敗はクラスメイトの挙手による多数決で決まる。どちらが説得力があったか。
結果は私たちが大勝だった。
ディベートをしていた私たち4人以外に15人ほどいたクラスメイトの中で1人だけ反対側に手をあげていたと思う。
そしてなんと私たちのチームはクラスメイトから拍手をもらった。
とても暖かい気分になった!
アフリカ出身の男性クラスメイトが私に『最後の発言で気持ちがこもってなかった?もしかして君、、、』と話しかけてきた。
私があまりにも感情的に話すから、私こそが同性愛者、当事者なのかもしれないと思ったようだ。
『違うけど、ディベートをしてるうちに感情的になってしまった、、』とだけ答えた。
教授の意図はさておき、いい経験をしたなと思った。
こうやって若い頃からカナダで勉強をする生徒たちはセンシティブな内容について意見を交わすことに慣れるのだろうな。
30歳を超えてからディベートに挑戦する私は免疫がなくて思わず涙目になってしまった。
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