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煉獄さんの精神の核が赤かった理由

明日は鬼滅の刃無限列車編のノーカット版の放送日です!おめでとう!

同じ映画を何回も見ていると「もしかしてこれってこういう意味だったのか!?」とひらめきに近い気付きを得る瞬間がある。

例えばそう、煉獄さんの精神の核が赤い理由とか。



煉獄さんは赤が似合う。

情熱、炎の呼吸、心を燃やせ、など、燃え盛る炎の色として。

その精神の核が赤いのは違和感がない。そもそも精神の核の通常の色は何色なのかもわからない。

だがセリフから察するに、煉獄さんの夢に入り込んだ少女は何度か人の精神の核を壊しているのだろう。

「精神の核ってカラフル…」とか言っていないので、おそらく通常は無彩色ないし淡い色合いが多いのではないかと思う。

ではなぜ、煉獄さんの精神の核は赤かったのか。

それは煉獄さんの精神の核は「燃えていた」からなのではないだろうか。


精神の核≒魂と仮定して、煉獄さんの魂は燃えていたのではないか?

この場合の燃えているというのは情熱や昂ぶりといった意味ではなく、文字通りの燃焼、つまり何かを燃料にして炎が広がっているさまをさす。燃料となる何か、はもちろん魂≒精神の核だ。

普通の人間には魂を燃料に心に炎を灯すことなんてできない。

なぜなら燃え尽きてしまったら困るから。

だが、煉獄さんはそれができたのではないだろうか?

だから煉獄さんの精神の核は「初めて見た」といわれるほど珍しい赤色だったのではないだろうか?


さて、ここで煉獄さんの魂が燃えている仮説の証明をしたい。

煉獄さんは一見熱血漢キャラで、何事にも一途かつ勢いよく突き進むような性質をもっていそうに見える。

だが彼は、すべてを気合や根性で片づけてしまうような型にはまった熱血漢キャラではない。

それは彼が夢の中で、弟の千寿郎に稽古をつけている時の口ぶりからも察することができる。

素振りに力をこめすぎている弟に、肩の力を抜いて、と優しい声音で語り掛ける煉獄さんは、炭治郎に「どこを見てるんですか!?」といわれた時とはまるで雰囲気が違う。

おそらく、煉獄さんの本質はこちらの「優しくて周りの人間のことをよく見ている、頼れるお兄さん」なのではないだろうか。

それを、魂を燃料にして心を燃やすことで、情熱や気合で武装をしているのだ。

ならばなぜ、彼は心を燃やして武装せねばならなかったのか?

それは母の残した言葉、そして炎の呼吸の家系に生まれたという運命によるものであると思う。


煉獄さんの母は、煉獄杏寿郎に「強く生まれたならば、弱きものを守るのが使命だ」と教えた。

これは母の正義感の強さを子に伝えるために大切な話だったと思うし、こういうと語弊があるかもしれないのだが、この言葉は煉獄杏寿郎にとって一種の呪いとなったのではないか。

すなわち、自分は強く生まれた、弱き者を守る使命の糧になるのならば魂を燃やすこともいとわない。そしてもっと強くなるために、炎の呼吸の使い手にふさわしい人間にならなくてはいけない。心を燃やせ、情熱を持て、と。

母は優しさと正義感から、子が道を誤ることのないように強くあれ、と言った。子はそれに習い、強くなるために心を燃やした。

普通の人間にはできないことを選択してしまう、特別性が煉獄杏寿郎には備わっていたのだと思う。


どこを見ているのかわからないと言われる目は、彼が常に気をはっている証左であろう。

ファンブック2に載っている煉獄零巻のマンガの中には、父が急に自分たち兄弟に冷たくなった理由について「死んでほしくないから」ではないだろうかと考える煉獄さんの姿がある。

無限列車より先のストーリーを知っていると煉獄さんの父が急に冷たくなった理由は全く別の場所にあるのだが、煉獄さんの考え方はなんというか、優しすぎる。

同じくファンブック2に煉獄さんは空気を読めないわけではない、との記載もあるのに、荒んだ父へ向ける思いが優しすぎるのだ。


そう考えると、煉獄さんの素というのは本当にただ優しいだけで、強くも弱くもない普通の、周囲の人のことが大好きな思いやりのある人間だったのじゃないかと。

そんな優しい人が人を守るために刀を振るわなくてはならない、鬼を倒さなければならない世界が、尊くも残酷だと、感じざるを得ないのです。

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