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オンラインフェスがはじまって、おわった。

5月30日と31日の2日間、Dabel(ダベル)というアプリの中で「TadoFes(タドーフェス・多動フェス)」と呼ばれるオンラインフェスが開催された。

フェス内で開催されたのはプログラム(表番組) 20件ほど、そしてTadoFesに触発されるように裏番組もいくつか開催された。下記リンクからプログラムの各記事をご覧いただくとアーカイブを視聴できます♪

何人の人が関わっているのか把握をしていないのだけれど、Dabel内の対話の中で企画が生まれてコトを起こすことが決まり、気が付くと僕は事務方のひとりを務めることになっていた。

オンラインフェスということもあって、フェスに関わるほとんどの人とは面識もなく、お会いしたこともない。すべては音声とテキストによるコミュニケーションで議論を重ねて形が出来上がっていく。普段、僕の仕事の半分ぐらいは以前からオンラインで行っていることもあってか、その流れ自体は特に違和感がなかった。

この企画がいつから始まったのか、すでに記憶にないんだけれど、Dabelのアーカイブ(5月15日)に「多動フェス」というアイデアが出てきたものがあったので貼っとく。

ちょうど、新型コロナウイルスの影響下にあって全国に緊急事態宣言が発出された時期、すでに僕はDabelと出会っていてそのアプリの中毒的な沼にのめり込んでおり、毎日Dabelを開いては誰かのストリームに入っている(今も)。


そもそも「多動」って

詳しく理解していないけれど、個性のひとつだと認識している。多動とは何か、当事者以上に親も含めた周りの人の向き合い方や理解で、その捉え方はずいぶん違う。僕は多動かどうかと言われると診断は受けたことはない。衝動で動くこともあるし、物忘れも多い事実もあったし、無自覚に人を傷つけていたこともあった。

子供の頃は落ち着きがないと通知簿に毎回書かれていたし、友人との電話で数時間一方的に話を続けていた記憶もある。小学生の頃は自由に放任されていた気がするが、中学・高校になると内向的になっていった(今でも思春期だと理解している)。たまたま大学が美術大学だったこともあって、その小学生の頃の自分を再び開放しても何ら咎められることがなかったと自分では思っていたけれど、友人らとバイクでツーリングをしていたんだけれど、(当時スマホなんて無くて)「道に迷っているようなんだけど、楽しいんだわ♪ 」って言うと、友人が若干ひいていたことを思い出しているところ…。

いつしかこういうことも含めて個性じゃないの?って思うようになっている。そういえば、最近でも「デリカシーの無い人(サイコパスとか♪)」って言われることもあるわー


5月15日にアイデアが生まれ、その月末にフェスが開催される。

国内の感染状況はひとつのピークとなっていたこともあって、全国(全世界)の人が自宅に留まる生活を余儀なくされていた。他者との接触を強制的に抑制されることは世界中に不安と疲弊を生んでいるし、まだ収束している状況でもなく、アフターコロナとして新しい生活スタイルが始まる節目にいるんだと感じている。

国内においては緊急事態宣言解除のタイミングで今回のフェス「TadoFes」もあって、ひとつの昇華になっていると思っている。Dabelに出会って、新しいコミュニティが形成され、そして祭になったのだ。

TadoFesのプログラムの多くは、もともとDabel内で開催されていた企画(番組?)のTadoFes版という位置づけのものもあったが、その他のプログラムはDabel内で自然発生的に生まれていて、「Morning Relay on Dabel」は僕もがっつり関わっていて、5月31日以降も続けるプロジェクトになっている(いつ終えるのかは決めていない)。

僕は年に一度ぐらいの頻度でテント持参して屋外フェスに行ってる。今朝の京都は雨が降っていたんだけれど、テントに落ちる雨音、イヤフォンから聴こえる先にはフェス会場が点在しているように、テントサイトでテント張って楽しんでいる錯覚があった。明日は月曜日、はたして無事に日常生活を過ごせるのだろうか。


Dabelの沼にようこそ

Dabelは、ラジオのような一方向の音声メディアにある誰かの声が聴きたいというよりも、会話を聴いて、コメントしたり、時にはその会話に参加する。そんな双方向性がこのアプリの特徴なんだけれど、クローズドな場でもなく、すべてが公開され、見知らぬ人が容易に行き交う余地を残した仕掛けが絶妙に作られているんだと思っている。

ちなみに、改めて僕がDabelのCEOである井口さんを知るキッカケは「セカイカメラ」。今から10年ほど前に某機関から委託を受けて、当時のiPhone(3ぐらいか?)を大量に使ったイベントをサポートすることになった。僕はセカイカメラから見える京都の情報を位置情報として入力(ベースはGoogleマップだったかな)したり、イベント会場ではiPhoneを使ったセカイカメラの操作方法のレクチャーなどを担当していたんだけれど、そのレクチャーの中で偶然、全盲の方をサポートする機会があって「セカイカメラから見える情報を言葉に置き換え伝える」その体験そのものに僕自身が感動していたことはまだ記憶に残っている。

#Dabel #ダベル #祭 #フェス #多動


僕のnoteは自分自身の備忘録としての側面が強いですが、もしも誰かの役にたって、そのアクションの一つとしてサポートがあるなら、ただただ感謝です。