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「乗り」で訪れた香川高松からの徳島木頭が濃厚。言い訳(キッカケ)があれば旅の栞は無くても良い派です♪

この春の緊急事態宣言が解除されたタイミング、音声ソーシャルを通して生まれたご縁から「乗り」で二泊三日の旅に出た。メンバー構成を紹介しておくと、舟橋さん(兵庫・神戸)、池嶋さん(香川・高松)、福田さん(徳島・鳴門)、川人さん(徳島・木頭)、そして僕。基本的には本州を拠点にしている僕と舟橋さんが四国にお邪魔するという枠組みとなっており、初日は高松でうどん。二日目は木頭で自然を満喫するという言い訳を軽く掲げて、実際は彼らと出会うことが目的といったところ。感謝!


2021年3月24日(水)

およそ4時間ほど(高松EXP京都1号 / 京都駅 07:50 - 高松駅 11:35)で、京都から高松に到着する。高速バスは乗りっぱなし、一応、平日なので日課であるメールチェックから午前中の仕事を済ませる。旅の準備としてメールチェックができれば特に問題ないように仕事のスケジュールを整えておいたし、ワーケーションということでいいよね♪

四国に行くのは初めてだったんだけれど、京都駅には高速バスの乗り場が八条口(南)と中央口(北)の二箇所あることを見落としており、バスの無い八条口に行ってしまい、慌てて中央口に戻って、目的のバスに乗り込んだのは発車時間ちょうど....焦ったw 途中、乗車・下車があったようだけれど、乗客8人ぐらいだった思う。

少し大阪に入ると渋滞もあったようだが、数時間経って淡路島に入る。30年ほど前だろうか、大学の友達らとバイクでツーリングして訪れた記憶がふっと思い出される(秘宝館とか行ったw)。これまでの旅の多くも「乗り」で行っている気がする。鳥取砂丘や富士山など目的地を体験することが言い訳(キッカケ)、海外の多くは友人に合いにいくという言い訳、どちらにしても行動するには言い訳があった方が動きやすいわ。

具体的なスケジュールも定めていないので、香川の情報を改めて調べていると、今いる高松駅のすぐ近くは瀬戸内海があって、本州や島々と拠点になっているようだった。もしも近くに金刀比羅宮(こんぴらさん)があったら行こうかと思っていたけれど、ちょっと時間が足りない...。

返信したいメールもあったので、目的地の1つであった Setouchi-i-Base にて Drop-in 。Setouchi-i-Base は香川県高松駅前のシンボルタワーにあるコワーキングスペースで、池嶋さんは Setouchi-i-Base の立ち上げにも尽力されている。舟橋さんも同じスペースの一室にてオンラインMTGをされていた。14時ぐらいにお互い時間が空いたので、ランチ目的で近くをぶらつくも、時間も遅くランチ難民になりそうではあったが、アイドリングタイム無しの「韋駄天」と「七幸」にて昼飲みとなる。

ひとまず、近くにある立ち飲みの寿司「七幸」に訪れるも満席! 周辺でお店を探すも時間も遅いため、ランチが終わっているお店もあり、営業中は全国展開しているお店... 再び七幸を訪れるも変わらず満席であったので、市内をぶらつくことにする。

初めて訪問する高松市、お店が集まってそうなのでアーケード街に入ってみたが、高級店などが路面をかためているメイン通りと昔からあるような裏町のような通りがあって、うまい飯を探して裏通りを進んでいくと、営業中の飲み屋「韋駄天」に誘われるように入って、串揚げ、刺し身、手羽先と軽く昼飲み(綾菊)。どちらにしても Setouchi-i-Base に戻るので、三度目の「七幸」を覗いてみると、席が空いていたので、瀬戸内海の魚(タイ・ハマチ)の握り寿司や、お店の名物となっているスッキリ(ナス巻)とビックリ(ナマコ巻)と昼飲み(金陵)いただき、ほろ酔い加減が深まる...

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高松のアーケードにあるドーム

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スッキリ(ナス巻)とビックリ(ナマコ巻)

徳島・木頭から川人さんが到着 17時ぐらいとなったが、各自 Setouchi-i-Base にて残っている仕事を済ませ、ホテルにチェックインをして、改めて飲みに出かける。先ずは、しるの店「おふくろ」にて夕食。コロナ禍で忘れてしまいそうな活気が店内にあり、すこし郷愁にふける。

本好き川人さんの案内で「なタ書」というお店を覗いてみるがお休みであったので、近くの珈琲と本と音楽の「半空(なかぞら)」のカウンターで蒸留酒を飲みながら限界集落の課題や可能性を探る。人から人へ言葉を通して伝えていくことの深さに触れつつ、夜も更けて来たので、ひとまず解散。

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しるの店「おふくろ」のメニュー

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「半空」にあったヘミングウェイ『移動祝祭日』(付箋の意味を忘れた...)

追記:お店でいただいた蒸留酒(ヘミングウェイが愛したセントジャームス社のラム酒)に触れているらしい!


2021年3月25日(木)

朝から香川県庁裏にある「さか枝」にて釜玉うどんを食べて、車で徳島に向かう。うどん目的の一つとして「竹清」にも行きたかったが、時間が合わない、次回の楽しみにしておく。

小雨の降る中、丸亀・金比羅山を通過し、四国を縦断しているJR土讃線(どさんせん)に沿った讃岐と土佐を結ぶ山越えルートを進んでいく。大歩危(おおぼけ)・小歩危(こぼけ)という可愛らしい音の名称からは想像つかない山深い渓谷での暮らしぶりはなかなか見れない光景だ。

徳島県の最高峰 剣山(つるぎさん:標高1,955m)の周辺をぐるっと迂回するルートで進んでいるようで、途中、祖谷(いや)という地域にある茅葺屋根の落合集落を展望。国指定重要伝統的建造物群保存地区に指定されており、茅葺屋根の工法を用いた家屋を積極的に増築できる仕組み(助成)が組み込まれているようで、年を追うごとに茅葺屋根が増えていくと聞いた。

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祖谷の落合集落

吉野川(四国)が流れる美馬に入り昼食をとる。大阪出身の若いオーナー夫婦が営まれている「白草社」にてスパイシーカレーとホットコーヒーが旨い。高松からの美馬までのルートの話をお伝えすると、かなりハードなルートであったようだが、旅の乗りとしてはむしろ歓迎できる体験であった。(僕は助手席に乗っているだけ... 舟橋さんあざっす!)

福田さんが鳴門に住んでいるので、木頭と鳴門の中間ぐらいに位置する神山(かみやま)にて合流することになる。神山はサテライトオフィスとして市外からの誘致や、地元の価値の再提案がうまく進んでいる地域らしく、「かま屋」で買い物をしてから、「えんがわオフィス」「リヒトリヒト」を立ち寄り、神山しずくプロジェクトの母体である「しずくギャラリーショップ」を訪問。すべてノーアポイントメントであったが、福田さんの案内で各拠点ともそれぞれの活動やその背景を伺う機会ができた。特に神山しずくプロジェクトの代表である廣瀬さんから伺った今の行動に至ったキッカケが深く、僕が関わっている赤穂ギャベの活動への後押しになるような響きもあった。日も暮れるころ、神山にて行政側で開発に関わっている女性も合流するも、公園にある柳桜の下で缶コーヒーを飲みながら駄弁っている姿は中学生がたむろっているようで...、と濃厚な神山での時間をしめくくる。

福田さんは大学時代の後輩であり友人、彼は大阪から鳴門に移り住んで建築の仕事に携わっている中、四国の建築ガイドライン(書籍)も作られており、建物から各地の文化への深堀りに繋がることもあって話が尽きない!明日の朝、福田さんは重要伝統的建造物の改修工事の施主検査で出羽島(てばじま)ということなので解散。

この後、僕たちが向かうのは「木頭(きとう)」...、神山から193号線を抜けるルートは夜間と山間というリスクも高いということで、時間はかかるが一旦阿南側の迂回ルートを選択し、徳島から土佐を結ぶ那賀川(なかがわ)に沿った195号線をひたすら進む。23時ぐらいだっただろうか...、木頭に到着。「はなれ」と呼ばれる一棟貸のゲストハウスにて、川人さんも交え木頭の話を肴に酒を酌み交わす。(数時間ぐらいしゃべったかと思うが、疲れは思いの外溜まっており、よく寝た♪)


2021年3月26日(金)

少しお酒が残っている気怠い朝。ゆっくり目を覚まして、ゲストハウスの周囲を軽く散歩すると、少しずつ澄んだ空気が体内に入っていくのを感じる。木頭は、柚子と杉の産地ということもあって、周辺には京都でも見慣れた杉林に、柚子畑が点在している。訪れた時期が良ければ柚子の実が実って黄色に染まっているのだろうか。

ちなみに、僕が住んでいる右京区には水尾と呼ばれる柚子の産地があって、歴史を紐解くと柚子の重要な地区であったようなんだけれど、「桃栗3年柿8年」ということわざの先に「柚子の大馬鹿18年」というのがあって、結実(実がなるのに)までに柚子は18年かかる果樹として農産物としての生業にするには条件が厳しいとされていた。しかし昭和30年代、木頭果樹研究会の初代会長である走川徳祝(そがわとくよし)氏が、その18年を3年に短縮する早期結実方法(カラタチに接ぎ木)の開発に成功し、柚子の近代化だけでなく、当時、林業のみに傾倒していた木頭の産業にとって未来へつながる貢献であったとされる。(参照:『ユズロードを求めて』)

木頭周辺は『四国のチベット』や『平家の落人伝説』というキャッチフレーズで紹介されるようなこともあるらしいが、那賀川によって東西に長く伸びた谷間の集落で人口は1000名ほど、多い時でも5000名だったということから今は限界集落という枠組みだという。

宿泊している「はなれ」に置いてあった写真集『ぬくいぜんか』には、集落に生きる人の営みを撮影されており当時を垣間見ることができる。(「ぬくいぜんか」とは何かを調べていると、ウェブサイトにたどり着くも今は更新が止まっているようであった...)

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「はなれ」の周辺

川人さんの案内で「未来コンビニ」「きとうむら」「木頭小学校」「ヨンロッパ」... を訪問。そもそも川人さんは徳島県の阿波市に生まれて、県外(海外も含め)での生活を経て徳島木頭に移り住まれている。未来コンビニは彼が所属されている仕事先の1つらしいのだが、多様性に富んだ生き方をされているようで、この数日で読み取るには短すぎる人物だとはわかった♪

木頭に移り住んだ人、昔からいる人が混ざり合いながらも村に関わる。これは田舎も都会も同じなんだろう。晴天の空、うまい空気、営みの真ん中に流れる川。息抜きと呼ぶにはもったいない、得るものばかりの時間だ。

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那賀川(木頭付近)

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那賀町立 きとう・こども園の前にあった公園

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未来コンビニとお手製のe-Cub

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エメラルドグリーンの那賀川

束の間の濃厚な時間をゆっくりと溶きほぐすように山間部から街へ移動する。四国をしめくくるのは福田さんが改装に関わった鳴門市の「ザ・コーヒービーンズ」。僕の家ではフレンチプレスでコーヒーを淹れる習慣があってか、いつもと同じような油分が残った味にホッとする。コーヒーを飲みながら軽く溜まったメールの返信をして四国を後にし、淡路島を北上し神戸に入る。三ノ宮駅から新快速に乗ると日常の週末に切り替わった。

いろんな場所には人の生き様があって、考えや悩みもある。旅を通してそんな人たちと出会えたことが一番印象に残っている。久しぶりに乗りだけで出かけてみたけれど、こんな時間の過ごし方を、再び習慣化していくこともいいかも知れない♪

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翌日、家呑みで焼酎「鳴門金時」の炭酸割り

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焼酎「鳴門金時」の炭酸割りに木頭柚子の一番しぼりを加える


#四国 #高松 #神山 #木頭 #旅


追記:この旅の企画が持ち上がったのは「三匹のおっちゃん」という音声ソーシャルを用いた番組。プラットフォームにしているアプリDabelは、2021年4月26日に生まれ変わるがファイナルとなるのか、続けて行くのかは全く未定♪w

<メモ>
関東から九州まで日本を横断している中央構造線の外帯に接する変成岩帯(三波川編成帯 さんばがわへんせいたい)となっており、緑色片岩層が含まれる。これがこの辺りの川の色が緑色になっているのだろうか。

その昔(...それこそ瀬戸内海すらなかった時代)、吉野川は高知・徳島付近の山脈から香川方面へ注ぎ込んでおり、中央構造線の地殻変動によって東西に伸びる吉野川に変わったと推測されている。その名残りとして徳島県三好市付近では吉野川が直角に曲がっている。

中央構造線で断層が生じて河川が生まれている2つの吉野川。四国の剣山から東へ、同じく紀伊半島の高野山から西へ、紀伊水道を軸に対称構造として流れて込んでいるのはどのような謂れがあるのだろうか。


僕のnoteは自分自身の備忘録としての側面が強いですが、もしも誰かの役にたって、そのアクションの一つとしてサポートがあるなら、ただただ感謝です。