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生き残ったガチョウのがっちゃん

 むちゃくちゃ久しぶりとなりましたが、なんだか急に長文を書きたくなりました。テーマが何かと問われても僕にもわかりません。自由連想とは便利な言葉ですね。この言葉に全部の責任を押し付けて、ちょうどこの文章を書いているときに思い出した小学校時代の思い出について、つらつらと書いていきましょう。
 

 僕が過ごした小学校では、運動場の端の方で動物を育てるスペースがありました。金網で囲ってあるそのスペースには、たしか、小動物に加えてガチョウのがっちゃんがいました。そこに近づくと、動物園特有のあのくさいにおいが漂いました。動物は子供たちから人気で、お昼休みになると見に行く子供や、授業の一環で餌やりをする機会もありました。僕も、まあ、たぶん好きだったんでしょう。


 ちょうど小学校の中学年の頃でしたかね。その動物たちが殺されてしまいました。どうやらイタチか何かが、そのスペースに侵入したらしく、小学校の片隅で捕食が行われてしまいました。もちろん、子供たちがその現場を見ることはなかったのですが、先生たちからの説明がありました。残された動物は、ガチョウのがっちゃんに災難を逃れたいくつかの小動物。先生たちは、イタチが侵入しないように隙間を覆ったとのことでしたが、ご馳走を一度口にしたイタチの知恵が上回り、再び捕食が行われ、生き残ったのは体の大きかったガチョウのがっちゃんただ一羽になりました。ガチョウのがっちゃんは周りで、最後の一羽になるまで、それまで一緒に過ごしてきた動物たちが食い殺されるのを抵抗もできずに、見ていたことになります。
 

 その後ガチョウのがっちゃんは、一羽だけ場所を変えて飼われ続けることになりましたが、どうも、僕には、昔のように見ることはできなくなって、がっちゃんは寂しさをまとっているように見えました。がっちゃんの表情も暗く見えました。おそらく、あの小学校にいた大勢の子供たちにとって、誰も口には出しませんでしたが、そのように見えたに違いありません。ガア、ガアと元気よく鳴くガッチャンは、あの小学校で死の象徴になってしまったのです。


 はい、これでおしまいです。教訓もテーマも特にないまま書き連ねたので、尻切れトンボのおしまいです。すみません、オチもないです(笑)

 ですが、人の認識というのはいとも簡単に変わってしまうので今、大切に思っている人のことは、ちょっとでも大事にしようと書いてて思っていました。永遠があっけなく終わりを迎えることもあるので。

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