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グレーゾーンの夕暮れ

「はっきりさせなくてもいい あやふやなままでいい 僕たちはなんとなく幸せになるんだ」

THE BLUE HEARTSの『夕暮れ』は、こんな歌い出しで始まる。

夫婦間における人間関係の距離間や、ビジネスや商売においても、世の中にはあやふやなくらいがちょうどいい、ということがいくつもある。 

このちょっとしたグレーゾーンのようなものが、人の落ち着ける居場所として機能してきたが、今、これが全て白黒はっきりさせられようとしている。

埼玉県に関するメルマガを6年間今尚配信してきているが、

「3月22日に開催された、さいたまスーパーアリーナでのK-1大会から感染者が大量に出ることはないのではないか」と先日書いた。「素人の見解」であることを付け加えた上で。

そう思った薄い根拠は、「興行場法」にある。

さいたまスーパーアリーナなどの興行場は、厳しい換気基準を満たした上で作られているが、世の多くのライブハウスは、飲食店として登録されている。ワンドリンク制なのはそういう理由からだ。

つまり、多くのライヴハウスは興行場法に基づく喚起基準が満たされていない。もしここに因果関係があるとすれば、「イベント会場=感染源」と一律で決めてしまうのは早計かもしれないということ。

小池都知事の会見以降、今はナイトクラブも槍玉に上がっている。

0時以降の営業、店舗の面積・密度、客との距離、さらに言えば、お触りのありなしなど、ここも幾重ものグレーゾーンが存在する。

飲食店として登録することで厳しい興行場法を免れることができたからこそ、ライブハウスは存在できた。尾崎豊やTHE BLUE HEARTS、Mr.Childrenも、このライブハウスがあったからこそ世に出ることができた。

夜のお店に本名で行く者はいない。お店はそれを了承しているし、お触り禁止といっていても多少は泳がしもする。

考えてみると法というのは、一つの基準として機能していると感じる。この基準の前後がグレーゾーンであり、ここからたくさんの需要と供給が生まれ、経済が回ってきたことは事実。

タバコもそう。パチンコもそう。反社会勢力と芸能界、風営法、賭博罪etc…。

それが今、全て白黒はっきりさせられようとしている。個々人の環境に依存しながら叩き合いが繰り広げられている。「本来お前の業界なんか」「それならお前の業界だって」と舌戦は人をバラバラに切り離していく。

個々人においても価値観の違いが浮き彫りになり、仲が良かった相手にさえ嫌悪感を抱き始める。グレーゾーンが担っていた役割は大きい。

ボブディランの言葉に『君の立場になれば君が正しい 僕の立場になれば僕が正しい』というのがある。

良い悪いではなく、その人の置かれている環境に準じて感情は変容する。

K-1を禁止に追いやるべきだったという人もいる。それだけの権限を、国や知事にきちんと持たせて、強制力を持って禁止させるべきだったと。

日頃、権力の行使に敏感で、すぐに独裁だ戦時中だと騒ぎ立てるわりに、こういうときだけ国の権力行使頼みというのもどうだろう。

禁止させ、補填もせよ、という人もある。しかし、そのお金はどのように申請すべきか。補填すべき費用はいかほどか。売上見込みはいかほどか。誰がどのように算出し、真偽を見極めればいいか。

「お前ら嘘つきそうだから嫌なんだよ」と国は言えない。かと言って、申請内容が本当かどうか全て精査するには膨大な時間がかかる。

ちなみに僕はアルバイトをしていたとき、電車の交通費を一番高い設定で申請していました。ごめんなさい。

ところで保険屋さんはどうなってるんだろう。やはり「例外」になるんだろうか。まさにグレーか。

そもそも、国が行動を制限するかわりに生活の面倒を見るというのは、僕が習った限り、それは別の国のシステムような気がしないでもない。

また、こういったムードの中で生まれてきたヒーローが某国の独裁者だ。今の日本の状況を、太平洋戦争の頃と重ねる人もいる。

政府は国民を映す鏡だ。我々が臨んだものがそこに現れる。

東日本震災のときと一番違うのがこの空気感で、あのときTwitterでは、デマ情報以上に、たくさんの優しき匿名者たちが、人々を慰め、励ます言葉を連日投稿し続けた。

そこから8年の月日が流れた令和2年。

Twitterは、おじさんとビジネスインフルエンサー気取りのマウンティングパーティー会場と化した。

呆れた若者達はアカウントだけを残し、姿を消した。

つい最近まで誰もが口々に言っていた「ワンチーム」という言葉も、はるか遠い昔の記憶にように思える。

志村けんさんの死を、「警告」と捉えた人は多い。僕もそれくらいの悲しみと恐怖に包まれた。

しかし、お会いしたことないついでに、もう一歩勝手に踏み込ませてもらうと、志村さんは、本当に僕たちに警告なんてしたかっただろうか。

「自分の死が、結果的にみんなへの注意喚起になったのなら、良しとするか」なんて志村さんが思うだろうか。僕たちは志村けんさんの何を見てきたんだっけ。

あのバカバカしすぎる動き、表情、言葉、それらが一対となった芸に徹底的に笑わされてきた。警告めいたものなんて一度も感じたことはない。ただただバカバカしくて、ただただ底抜けに面白かった。

そんな人が、みんなを悲しませ、怖がらせるような最期を良しとするか。今頃いかりやさんに、「志村、お前最期の最期であのギャグわかりにくいよ。なにやってんだよ。だめだこりゃ」と怒られているんではないか。

10恐れるべきものを、5程度に捉えている者には緊張感が必要だ。

しかし、20恐れることは、10ものズレが生じていることを忘れてはいけない。

「正しく恐れよう」とメディアは言うけど、その正しさの基準は全員違う。

感染者をニュース速報で発表するのもどうかと思う。世の中が冷静に判断できる人ばかりならいいけど、ほとんどの人は恐怖に感じるはず。

感染者をまるで犯人探しのように動く者もいる。そうして積もり積もった恐怖の感情はやがて暴発し、パニックになる。だから買い占めのような問題まで併発する。

隠せとは言わない。しかし、連日トップニュースで報じるほどのことではない。今や誰でもかかりうる病気であり、有名人の感染発覚に驚いている場合ではないのだから。

自分の町、隣近所、家族、そして自分も含めていつ感染者になっても全く不思議ではないと考えておくべきだ。

今の報道では、まるで死神が音を立てながら近づいてくるかのようで、誰だって疑心暗鬼にもなる。これでは健康な人だって具合が悪くなる。

近所のドラッグストアは、毎朝マスクを求める人達で行列がなされているが、どうやら同じような人たちが連日買っているきらいがある。これでは、どれだけ量産してもなかなか手に入らないと感じた。

そこで全世帯へ布マスク2枚の配布。ちなみに、世帯毎の配布になっている経緯には、僕らが住基ネットやマイナンバー制度を拒み続けてきた歴史があることを忘れてはいけない。他国のように、ひとりひとりがID管理されていないのだ。

そんな他国の、手厚い給付金もマスク2枚と比較され取り沙汰されているが、日本ではすでに2月から中小零細企業向けに休業分の従業員の給与を国がカバーする「雇用調整助成金」が始まっている。

もちろん、こういうことは報道されない。叩きがいがないし、不安も煽れないから。

アメリカの1200ドル給付も、年収7万5千円以上は縮小、9万5千以上はなしと二段構えの線引きをしていることもあってか、現地メディアではかなり叩かれてる、ことはあまり報道されない。

ドイツはスペシャリスト育成プログラムであるマイスター制度が元々背景にあるんで、つまり、個人の国アメリカでは個人を重要視し、ドイツはアーティスト(個人事業主)に、日本は中小零細企業にと、国によって対応の順番が違うのは当然のこと。

国が順次確保している不織布マスクを医療関係者に優先的に回すのも当然。

後手になっていた個人への対応としてこのタイミングで2枚の配布は格好の餌食にされるということは想定すべきだったと思う。給付金も一時期お肉券とかなんとか話が出ていたし、やはり票を握っているところとの繋がりは深い。

今、マスクをどのように生産し、どのように配布するのがいいか、これだ!とわかる人は声を上げるべきだと思うし、大声でその良策を国に届けるべきだ。ただまくし立ててるだけでは解決は遠のく。

現金給付は、電子マネー50万、現金25万というのはどうか。

電子マネーはちょうど厚生労働省が感染拡大防止のLINEを使った意識調査をしたところだから、LINE Payでいこう。電子マネーなら人件費や製造コスト、時間も労力もかなり抑えられる。

財源が問題になるが、マスクの配布費用が約50億円というのが本当だとして、今国民に提供できる予算がその額なら、全然足りないな…。

いずれにせよ緩和策にはもう戻れない。「自粛すれば感染者は減るんだ」という共通認識を根付かせるために、この4月、この1ヶ月間は我慢するしかない。

一番大事なのは、ここで冷静さを取り戻すことだ。ただ自粛して、感染者減ったー、ワーイ、ではない。日を追うごとに破産へ向かっている人が、こうしてる今もいるのだから。

こういう対策をおこなえば、こういう基準を満たしていれば、ライブハウスも、飲食店も、ナイトクラブも、限りなく感染リスクが低くなる、ということを、きちんと明らかにしていかなければならない。

お金の補償以上に、これこそが一番大切なことだと思う。

2月29日、3月1日に東京国際フォーラムで開催された東京事変のライブから感染者発覚のニュースが出ない。3月22日のさいたまスーパーアリーナK-1大会から感染者が出ない。それはなぜなのか。

これまで起こったことをきちんと調べ上げない限り、僕たちは闇雲に恐れる日々から逃れられない。

だから、なんとしても、5月以降の営業体制の可能性を見出すから、この4月、この4月だけ厳しめに移動制限かけさせてくれ、ということであれば協力すると思う。とういうより、それしか方法はないと思う。

全員家から一歩も出るなとしていない以上は感染者が増え続けるのは当然で、無症状患者やそのまま治っていたような人まで検査が受けれるようになっていくとすれば、感染者の数字はまだまだ増えていくと思う。

今のままでは、コロナのコの字の影を徹底的に炙り出しては怯えるといったルーティンで、まるで先が見えない。そうして失業率が上がり、自殺率が上がり、社会は混迷を極め恐慌へと突入する。

このnoteで僕が一番言いたいのは、「ここを乗り切れば、光が見えるかもしれない」という希望の形をどのように全員で作れるか、ということだ。

全員が10というところにうまく着地できるかどうか。0や20に着地してしまう人があまりに多いのなら、必然、国に10まで強制的に連れていってもらうことになる。母親が我が子の手を引いて、横断歩道を歩くように。

我々が自発的に10というところへ向かえるかが試されている。メディアの切り取り報道に惑わされていないか。インパクトある見出しを見ただけで判断していないだろうか。SNSのマウンティングパーティーや論調に流されていないだろうか。

全員が10ジャストじゃなくてもいい。7や8でもいい。12や13だっていい。グレーゾーンはあっていい。

はっきりさせなくても、あやふやなままでも、「なんとなく」幸せになれる光が見えるなら。

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