見出し画像

言葉が暴走する時代の処世術

つい先日、よくわからない人の、よくわからない言葉の影響で、我々はみんな、トイレットペーパーを買いに走り回されることになった。

出自はTwitter。

「トイレットペーパーは中国産だからコロナの影響でトイレットペーパー等の紙類が入ってこなくなるため、早めに確保しておいたほうがいい」

といったようなツイートだった思う。

これが大いに拡散され、慌てて買い占めに走る人が続々と現れた。

あとは雪だるま式につられ街からトイレットペーパーが一夜にして消えた。

トイレットペーパーは9割は国産であるという。結果、地域によっては4、5日で大量に再入荷され、事態はあっさり沈静化した。

出回った情報がデマであることはみんな承知していたが、買いにいかざるを得ない状況に陥った。

『言葉が暴走する時代の処世術』

という本がある。

爆笑問題・太田光さんと、京都大学総長・山極寿一さんによる対談本だ。

高校3年間誰とも口をきかなかった太田光さんと、チンパンジー研究の第一人者である霊長類学者・山極寿一さんによる動物の生態学から語られる、コミュニケーションの本質を探る対談がとても興味深い。

コミュニケーションの重要性が叫ばれて久しいが、このコミュニケーションとはいったいなんなのか。

言葉なのか。表現力なのか。

声なのか。文字なのか。

本書の後半でとても共感した一節がある。

それは、「コミュニケーションとは、発信者よりも、受け手がどう捉えるかが大事」という件。

例えば赤ちゃんはまだ言語を操れないが、回りにいる人達が懸命にその意図を汲み取り、行動に変える。

つまり赤ちゃんはものすごくコミュニケーション能力が高いのだ。

同じく本書によれば、落語界では、「声をケチる」技術があるという。噺家があえて小声にしたりして、聴衆の関心を引きつけるテクニックだという。

この人が言うから聞く、ということは確かにある。

ビートたけしさんはバイク事故の影響もあり往年の頃に比べれば少し言葉が聞き取りにくいときもあるが、我々は必死に耳を傾けようとする。

たけしさんがなにを話されるか、とても興味があるからだ。

さすればコミュニケーション能力とは、耳を傾けさせる能力なのかもしれない。

分かりやすく短く伝える技術は、広告コピー業界に問わず、大切な技術であることには違いない。

しかし、それが仇となってわかりやすいものばかりに流されてきた結果が、トイレットペーパー買い占め騒動だ。

よくわからない人の140文字で、これだけ多くの人が実際に動かされる。5Gを目前にした超情報化社会令和2年の日本でも。

赤ちゃんの声を汲み取ろうとするように、140文字のテキストをよく吟味することが各々できていれば、トイレットペーパーが街から消えることはなかったかもしれない。

武田鉄矢さんが以前、こんなお話をされていた。

「人は、学ぼうという意識さえあれば、誰からも学ぶことができる。ホームレスからでも、子どもからでも」と。

AIの台頭により頭の良し悪しについての議論が日夜散見されるようになった。

頭の良い人と悪い人の違いは脳の構造ではなく、学ぼうとする姿勢にあるのではないかと思う。

テレビをどう見るか。ネットをどう見るか。

「トイレットペーパーは中国産=輸入がなくなる=大変だ!」という情報をTwitterからいち早くキャッチし買いに走った人を「頭が良い人だなあ」と思う人はいないだろう。

世に溢れている情報からなにを抽出し、なにを遮断するか。

それを信じるか、疑うか。

楽しむか。批判するか。

トイレットペーパーに続き、このあと流通する言葉はさしずめ「世界恐慌」といったところだろう。

トイレットペーパーもシャレにならないが、これはもっとシャレにならない。

短くわかりやすい言葉はウィルスよりも強大な力を持って暴走し、人の心に感染していく。それが、本来起こる必要のなかった事態まで招いてしまう。

今こそ誰かが大衆を落ち着かせなければならないが、それにはやはり、わかりやすく短い言葉が有効なのだろうか。

あるいは、耳を傾けさせる能力が高い人が求められるのか。

大手メディアか、ネットで真実を暴露しているかのように見える人か、バズっている情報か。

しかし、よくわからない人のデマに流されてしまうくらいなら、よくわからない人の「良いデマ」に流されるのも良いかもしれない。

世界恐慌なんて起きない。

世の中は悪くならない。

そんな言葉が暴走すれば、今よりは随分落ち着くのではないかと思うがどうだろうか。

サポートしてくれたら今日は「麦とホップ」から「エビスビール」に変えます。本当にありがとうございます。